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第四話 桜井晴人
「お前、4人目の子どもなんだって?」
自然学舎の班決めから数日たったある日。
それまで一度も関わったことのなかったクラスメイトの桜井晴人が昼休みに話しかけてきた。
お弁当は教室で食べる決まりで、当然僕は一人教室の端の自分の席で透明人間の如く存在感を極限に薄くしてお弁当を食べていた。お昼休みは教室が賑やかになるけど、今まで暗黙の了解のように誰も僕に直接話しかける奴なんていなかったから、桜井くんが僕に話しかけた途端、教室は静かになった。
「おい、どうなんだよ返事しろよ。」
ガンッと僕の机を蹴って答えを急かす桜井くんは、戒ほど強烈な瞳ではなかったけど、明らかに僕に嫌悪感を抱いていた。教室の雰囲気を気にして、今までちょっかいを出してこなかったということだろうか。
しんと静まった教室に響く不機嫌な声。
教室のみんなが僕らを見ている視線が痛い。声を発するのも憚られるような静かさに臆して、僕はただ頷いた。
だが、それが相手の神経に触ったらしい。
「てめえ返事くらいしろやオラッ!」
殴られると思って咄嗟に腕で顔を庇ったがしかし、苛立ちをあらわにして大声を出した桜井くんは、腕で僕のお弁当を叩き飛ばしてしまった。
後ろの壁に当たって中身が全部散らばってしまったお弁当は、音を立てて床に落ちた。静まりかえった教室に嫌に大きく響いた。
「ケッ。お前普通に返事もできねぇのな。オレら筒美小だからお前のこと知らなかったけど、お前と同小の奴らに聞いたらさ、4番目の子どもらしいじゃん。それって本当は生きてちゃいけないってことなんじゃないの。」
話出したのは桜井晴人の親友らしい男子の岡田夏樹。彼はニヤニヤと嫌な笑い方をして僕を見下した。こういう人の反応は慣れているから、今更泣くこともないけど、やっぱり人前でこういう風に晒されるのはつらい。
僕は出来るだけ静かに立って、散らばったお弁当のおかずを集めた。もう食べられないくらい汚れてしまっている。
「うわっきったねー!お前ちゃんと掃除しとけよ。それまじ汚ねぇわ。」
ゲラゲラと笑い声が教室に響く。
中学になって、こんな目にあったのは初めてだった。今まで必死に気配を消して存在感を消して、みんなの目に入らないよう行動して、絡まれないようにしていたのに。今までは何の問題もなくやれていたのに。
「4番目の子どもなんて、生まれた時から罪人じゃん。学校じゃなくて刑務所に行かないとダメじゃね?」
「陰気臭くて視界に入るだけでウザいんだよお前。」
「第一なんで普通に学校来れんだ?罪人のくせに。」
今までも言われてきたことだから、言葉自体は何でもない。耐えられる。陰口だって散々スルーしてきたし、今更こんな言葉で傷つく必要ないし、と自分に言い聞かせる。
そうやって黙々と手だけ動かしていたら、また逆鱗に触れてしまったのか今度は腹を蹴られてしまった。
「てめえ無視してんじゃねぇぞ!」
蹴られた拍子に集めたお弁当のおかずの上に倒れてしまい、制服が汚れた。けれど、蹴りはそこで終わらなかった。
「お前みたいなのは社会のお荷物だ!いらない人間なんだからいなくなれよ!生きてること事態間違ってるんじゃねーのか!そんな奴と同じクラスとか冗談じゃねーー!」
お弁当もろとも蹴られて踏んづけられ、それをクラスメイト全員に見られてる事実は死にたくなるくらい最低だったが、こういう手合は落ち着くか飽きるかすると自然にやめてくれるはずだと、ひたすら耐えていた。先生には不審がられるだろうけど、いじめを容認してるくらいだから、洗ってくるくらいは許してくれるだろう。気がかりはこの状況に居合わせているクラスメイトたちだ。この光景にショックを受けているのか同調しているのかはわからないけど、どちらにしてもあとが怖い。
そう思っていたら、教室のドアが勢いよく開いた。
そこから入ってきた集団に、目を丸くする。
「おーい落ち着けって君ぃ〜。」
A組の戒と、戒のグループだった。
「お前、どこ小だ。」
戒と一番よくいる稲村翔が桜井くんに聞いた。
このグループの存在は知ってたんだろうけど、初めて矛先を向けられたらしい桜井くんは少し後退りながら答えた。
「つ、筒美小だ。」
「ヘーえ、筒美小。挨拶を元気よくするお行儀の良い学校。坊ちゃんと嬢ちゃんが仲良く通うお綺麗なうつつ学校の出身か。」
稲村くんは馬鹿にしたように皮肉って笑った。戒は値踏みするように桜井くんを眺めると、目を細めた。
「お前、こいつがオレの弟って知ってて手出してんのか?」
「ひっ。」
戒に睨まれて桜井くんは完全に怯んだようで、まるでカエルと蛇の構図だった。岡田くんはとうに端の方に退却していて、桜井くんも後退りして脇に避ける。
「こいつを虐めて良いのはオレだけだから。よろしく。」
そう言って今度は僕に視線を移す戒。相変わらず冷たくて鋭い瞳だった。
思わず固まっていると、急に髪を鷲掴みにされ引っ張られた。恐すぎて声も出なかった。
「おい立てよ!」
耳元で怒鳴られ反射的に縮こまったが、戒の手は容赦なく引っ張って無理やり僕を立たせようとした。
それでも足がすくんで僕が立てないと見るや、戒は諦めたようで学ランの襟に手をかけると乱暴に脱がし始めた。
「ちょ、やっ、」
「うっせーなぁ。」
おかずまみれで汚れた制服を完全に脱がしてしまうと掲げて仲間に目配せしてゴミ箱を持ってこさせた。
「こんな汚ねぇ学ラン、いらねぇよな?」
「やめ、」
「質問に答えろよ。」
「嫌だ返して!」
小学生の頃、戒が僕をいじめる時、物に手を出したことはなかった。教科書をばら撒かれたりしたことはあっても、物を汚したり破いたり壊したりしたことはない。だから何も構えず無防備にしていた。けど、
(これは父さんと母さんが一生懸命働いて買ってくれた学ランなんだ!これ以上汚したら、)
「お前、わかってねーな。」
戒はそう囁くと、容赦なく学ランをゴミ箱に突っ込んだ。
「お前は存在しないはずの人間なんだぜ?存在しないはずの人間の服とか物がどうなっても、別になんてことないだろ?こうでもしないと、お前は自分がオレに恨まれてるって、わかんないもんな。」
その言葉にハッとして、血の気が引いた。
「お前のせいで周りからお前と同じように思われちゃ、たまんねえからな。身の程わきまえとけよ。」
その表情を見て満足したらしい戒は僕の髪を離して乱暴に蹴り倒した。先の後ろの掃除道具のロッカーに思い切り背中を打ち付ける。
そんな僕をよそに、戒と戒のグループはみんなぞろぞろと教室から出ていった。あとに残ったのは桜井くんをはじめとするクラスメイトたちだけ。
僕は惨めに泣いた。
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