はじまりのチャーシュー麺

1/6
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ

はじまりのチャーシュー麺

 死のうと思った。それで包丁を買った。買うときに免許証の提示を求められたので、とっくに期限の切れた免許証を出したら、その顔写真があまりにも死んだ目をしているので、ああ私は大学生の頃からこんな顔で死にたいと思っていたのかと安心した。安心して、死ねると思った。過去の自分にすら自殺を恨まれたらどうしようかと不安だったのだ。  包丁を持って、さあどこで死のうかと考えたときに、一番しずかなところを選んだ。刃物屋のそばにある裏通り。室外機がずらりと並ぶ、雑居ビル同士の間だった。  包丁をパッケージから取り出す。切っ先から柄にかけて、なにか温かい光が映り込んでいた。ふと見え挙げると満月。ビルの隙間から、満月に見下ろされていた。  死ねなかったのはそのせいじゃない。ふと顔を上げたときに、鼻先で香ばしい香りが漂った。どこかの換気扇から流れてくるのだろう。あまりに懐かしいにおいで、しかし、本当にこのにおいを嗅いだことがあるのかと言われると怪しい。中華料理の店だろうと思った。ごま油と豚肉の焼ける匂いがした。  どんどん腹が立ってきた。どうして人が就職に失敗して何年もひきこもったあげく、両親に家を追い出されてもう死ぬしかないと腹をくくったところに、おいしいにおいを発しているんだ? どういうわけだ。ふざけるな。人をおちょくっているとしか思えない。中華シェフには常識がないのか。  気付くと、私はのれんをくぐっていた。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!