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こぢんまりとしていて、こぎたないお店だった。いくつか並んだテーブル席にサラリーマン風の男たちがアルコール臭を背広に染み付かせて座っていた。カウンター席には誰もおらず、そのなかの厨房では店主らしき若い女性が暇そうにテレビのリモコンをいじっていた。
「巨人つえー」
とその女は言った。私はもう怒髪天を突く勢いだった。巨人つえーだと? ふざけるな。こっちは死のうとしてるのに、よくもそんなことが言えたな。今期いちばん強いのはヤクルトスワローズだ。異論は認めんぞ。
「おい」
と私は格好良く声を発したつもりだったが、七年間におよぶひきこもり生活のせいで、ほとんど掠れてじっさいには「ほい」と言ってしまった。むやみに恥ずかしかったけれど、誰も私の存在には気付いていなかったので、その声はなかったことにできた。
「おい!」
再チャレンジの末、女店主は振り返った。驚いたことだろう。スウェット姿で髪ぼさぼさのアラサー女が、包丁片手にそこに立っているのだから。
「うわ、強盗?」
サラリーマン風の男たちが振り向いてスマートフォンを向けていた。ああ、くそ、いいな。私いまだにガラケーなんだよ。なんだその装甲騎兵ボトムズみたいなカメラ。いいな、くそ。包丁買うんじゃなくてそっち買えばよかった。
「強盗じゃねー!」
私は声を荒げて包丁を振りかざした。
「死んでやる!」
最高に狂っている。自分でもそう思うのだから、周りから観たら恐怖の対象以外の何物でもなかっただろう。ああ、糞くらえだ、と呟く。こんな人生、さっさと終わらせてしまえばよかった。
「待ちなよ」
と女店主が言ったのと、ぐーーーーーーーーーーーーと長いお腹の音が鳴ったのは同時だった。まるで格好がつかない。こんなときに鳴る腹の虫なんぞ、飼った覚えはないというのに。
「腹、減ってんの?」
「……うん」
「髪ぼさぼさ。肌ぼろぼろ」
「……うん」
「死ぬ前に、なんかうまいもんでも食ってきなよ」
蓮っ葉な調子でそう言って、女店主はリモコンを手放した。
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