はじまりのチャーシュー麺

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 結局チャーシュー麺を食べ終えるまでも結論は出せなくて、「じゃあ食べた分だけお皿洗いね」とにやにやしながら言われたので皿を洗って、床を磨いて、ついでに明日の仕込みも手伝わされた。うまいな、と思った。これではもう、半ば従業員みたいなものだ。 「京子さん、思ったよりてきぱき働くね」 「働くの、嫌いじゃないから」 「へえ。なんでずっと働かなかったの?」 「うぐ」  さすが令和に生きる女。人の聞かれたくないところに直球どストレートをぐさぐさ差し込んでくる。 「怖くて」  だからか、私も自然と素直に答えてしまう。 「怖くて。人と比べられることも、自分に点数を付けられることも」 「ふうん?」 「怖い」  ああ、本当にみじめだ。涙がぽろぽろ。そんなかわいいもんじゃない。じゅくじゅく、目の端から頬から顎から流れて、排水溝に落ちていった。 「たぶん、私もう、人生終わってるんです。どうやっても、ふつうの人と同じように、生きられないってわかってて、だから死にたくて、でも死ねなくて、腹が立ってたんです」 「じゃあさ、ここから始めようよ」  わけもなさそうにミエちゃんは言った。 「京子さんの人生は、ここから始めようよ」 「ここから?」 「そう。中華料理屋の厨房から」  ミエちゃんはそういうと、私が買った中華包丁をざあっと洗って、「はい」と手渡してきた。興奮してない精神状態で改めて持つとなんて重いものなんだろう。蛍光灯の光を浴びて、それは真新しい銀色に輝いていた。 「どう? 料理、やってみない?」 「……私にもできますか」 「それは、わかんないよ。やってみなきゃ」  ミエちゃんはふふふ、と何かたくらむ女児のように笑った。 「でも、私はできたよ」  私は包丁とミエちゃんの顔を何度も見つめて、結局包丁をミエちゃんに渡した。 「よろしくお願いします」 「うん、よろしく」  ミエちゃんが笑う。私も、久しぶりに、本当に久しぶりに笑った。たぶんヤクルトが優勝した五年前ぶりだったと思う。床を洗ったばかりの水くさい匂いのする厨房で、私は生きようと思った。 (続く)
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