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「結局、事件の真犯人は柊歳三っていう会社の同僚だってんだって?」
事件から度々顔を合わせていた、和人、夏海、琴音と初音の姉妹、裕樹と秋穂の六人は、とある喫茶店で机を囲んでいた。
「ああ。秋穂のクラスメイトの父親だな。もっとも、今はカケイ法で父親ではなくなってるけど」
和人の質問に、カフェオレをすすっていた裕樹がその手を止めて答えた。
「柊ちゃんって確か、秋穂ちゃんをいじめていた主犯ですよね?あの子が先生にそう呼ばれていた記憶があります」
「ああ、初音さんの記憶通り、その子が柊だ。なんでもいじめの件で警察から厳重注意となった際に、罪の意識にから柊歳三は全てを自白したんだと」
「そう考えると、秋穂ちゃんと私のファインプレーですか。そういえば、うわさでやけに詳細まで語られていたのが違和感たっぷりでしたが、あれは?」
「酒を飲まないとやってられなかった犯人が娘に色々暴露したらしいな。捜査上の秘密事項だって口止めされてたことまでしゃべっちまって、それをとがめられたっていうのも自首の一因だとか聞いたな。ま、改めて礼を言わせてもらうよ。ありがとう、初音さん」
「いえいえ……っていうか、裕樹さん、そのさん付けやめません。友人の兄にさん付けで呼ばれるのは新鮮なんですが非常にこそばゆいです」
頬を若干珠に染められながら言われて、裕樹は「次からは初音って呼ぶよ」と返した。
そんな子どもらしい仕草をする初音を琴音がからかって姉妹が言い合いを始める中、今まで黙っていた夏海が口を開いた。
「それにしても、結局犯人はなんで毒殺なんかしたの?」
「ああ、それか。たぶんそのうちニュースになると思うけど……自殺しようとしてたんだって。毒を購入していざ飲もうっていう所であと一歩決心が足りずに毒を入れただけのコップを放置していて、それをもったいないって使ったのが、亡くなった加藤真一さんだったんだって。当時からケチで有名だった人らしい」
「ケチで身を亡ぼすって、なんだかかわいそうな話だな」
「けどまあ、病気で半年の余命宣告受けていたらしいし、コップにコーヒーを注ぐタイミングで、何となくこれを飲んだら死ぬんだろうなっていう確信があったかもって話だよ。死の間際に居合わせた犯人が、加藤さんが『これでやっと死ねる』ってつぶやいたのを聞いたって話だよ。真実かどうかは分からないけどね」
「自殺かぁ。辛かったんだろうなぁ」
「ッ⁉まさか秋穂、父さんが捕まってる間に辛くて自殺を考えてたなんてこと、ないよな?」
「ないよ。私にはお兄ちゃんがついていたしね」
「そりゃよかった。それにしてもお兄ちゃんがついてたから大丈夫なんて嬉しいこと言ってくれるなあ」
ちょっとそんなこと言ってないじゃん、と裕樹につかみかかる秋穂を見つめ、琴音は迫りくる妹の初音をあしらいながら、ここへ来る途中の出来事を思い浮かべた。
急な母の頼みで妹に遅れて家を出た琴音は、先を急いで自転車をこいでいた。
その人物にふと目が吸い寄せられたのは偶然だった。
栗色のショートボブに釣り目がちの黒い瞳、背丈から小学生ほどだと推測で来た。その少女は少し前の琴音の友人と同じように、顔は青白く、瞳には何の光も帯びていなかった。髪はぼさぼさのままで、だらんと体重を古ぼけたベンチに預けながら煌々と光る踏切の点滅を眺めていた。
ガタンガタン、という電車が通過していく様子に一切瞳を動かすことなく淡々と赤いライトを見続けるありさまは狂気すらはらんでい、けれど話しかけなければならないという謎の強迫観念に駆られて琴音は少女に近づいた。
「何してるの?」
自転車を歩道脇に止めて近づいた琴音の声に、しかし少女は暗くなった踏切のライトを眺め、思い出したかのように数度瞬きしてからようやく琴音に視線を向けた。
「なに?」
子どもらしからぬひどくとがった言葉に琴音は眉をひそめ、それから再び尋ね返した。
「何かあったの?」
「ん……ぱぱが、ぱぱじゃなくなった」
声に反した幼い言葉遣いは、少女の悲痛さを、心の叫びを、ひしひしと伝えていた。
「どうして?」
琴音の問いに、少女はしばし虚空を眺めてから、やがてとある言葉に思い至ったようで、ゆっくりと乾いた唇を開く。
「『ツミをおかした』ってままは言ってた。だからぱぱは、他人になったって」
「……私の友達もね、最近お父さんがいなくなったんだ。そのお父さんはね、悪いことをして警察に捕まったんだ」
「そっかぁ、わたしといっしょかぁ」
「……カケイ法って知ってる?」
「ままから聞いた。わたしからぱぱをとっていくわるい法なんだよ」
「そうだね……確かに、君からお父さんを取ってしまったのは、カケイ法だね。でもね、カケイ法には、お父さんを返してくれる必殺技もあるんだよ」
「お父さんを、返してくれる、ひっさつワザ……」
カケイ法に定められた規定の中に、釈放後のカケイ法無効化措置というものがある。それは加害者本人と加害者家族、双方の合意の下でカケイ法によって切られた縁をつなぎなおし、再び家族として歩むことを可能とする法律だ。
これが適用された例はごくわずかで、その一つが今回の佐竹家の事例だ。
「ぱぱが、帰ってくるの?」
「そうよ、だから、お母さんにこう伝えなさい。『カケイ法でぱぱを取り戻すためにがんばる』ってね」
その言葉を言い終えるかそこらで、少女の瞳にわずかながらの光が戻り、ポスン、と少女は琴音の腹部に顔を押し当て、静かに涙を流し始めた。
「あなたが頑張れば、きっとお父さんは帰って来るわ」
実際どうなるのかは分からない。この少女の母親は夫と縁を切ったままにすることを選択するかもしれない。けれど、少女の真摯な気持ちが母に届いたなら、きっといつか、また父と会うことができるはずだと、だから、希望を胸に抱いておけと、そんな激励を込めて、琴音は少女を抱きしめて背中を撫で続けた。
佐竹秋人、柊歳三の一件から十数年後。
とある町の一角で、生き別れの父と娘が再開した。
人が聞けば不幸と同情するであろう生い立ちの少女は、しかしその逆境に打ち勝ち、まっすぐな心を保ち続けた。
それがカケイ法という、今や新しくもない法律のおかげであると、その少女は心の内の片隅で考えていた。
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