加害者家族健全育成法

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 クラスの喧騒を背景に、裕樹は自身の机の上に伏して思考にふけっていた。  時刻は昼。午前の授業を終えた生徒たちがめいめい昼食を始める中、裕樹はさっさと弁当を食べ終え、朝の会話について思い起こしていた。  秋穂のこと。母のこと。父のこと。  考えなければならないことは山のようにあり、けれども心に余裕がない裕樹は、その事実だけで頭がいっぱいだった。 「お前さあ、ほんと要領悪いよなぁ」  一つ前の席に腰を下ろして裕樹の机で弁当を広げていた和人へ、裕樹はうるせえと小声で返した。 「まずは秋穂から考えたらどうだ?そうすれば母親の説得を二人でできるし、それから父親に向き合っていけばいいだろ?少なくとも、お前一人で今の裕香さんを持ち直させるなんてできねえよ」  和人の辛辣な言葉に、けれど裕樹はそれもそうかと同意を示した。裕樹は力量をある程度把握できているタイプの人間である。挑戦心が薄いという問題もあるが、それゆえ裕樹は自分を過信せずに物事に打ち込めるという長所がある。 「秋穂、か」 「秋穂ちゃんがどうかしたのー?」  裕樹のつぶやきに反応した声に、二人はそろって声の方へと視線を向けた。  苦虫をかみつぶした顔の裕樹と人好きする笑顔を顔に張り付けた和人。対照的な二人の視線にさらされた少女は、ふん、と鼻を鳴らし、手近な椅子を引っ張ってきて二人が囲む机へと合流して見せた。  釣り目がちな瞳がキッと向けられた裕樹は、憮然とした態度で「何だ?」と返した。 「何よ、秋穂ちゃんの名前が出たから話を聞きに来たんじゃない。悪い?」 「いや、夏海。お前の席は右前方だろうが。どう考えたって、左後方のここの話は聞こえないし、こっちを通る理由もないだろうが」 「なによ、また和人くんと二人で密談?私に隠し事なんていい度胸ね。私とヒロとの間柄でそんなことゆるさないわ」  眉尻を吊り上げてまくしたてる夏海に、裕樹は溜息を吐き、それからにやにやと不快な笑みを浮かべる和人をにらみつけた。 「お前との間柄?腐れ縁だろ?」 「幼馴染でしょうがっ。まったくヒロは相変わらず天邪鬼なんだから……それで、秋穂ちゃんの話なのよね?」  今までの怒りをたたえた表情から一転、姉のような慈悲あふれる表情になった夏海を見て、和人はまたか、と心の中でつぶやいた。  秋の稲穂、夏の海、という名前の作りが似ていた二人は、お互いの気さくな性格も相まって姉妹のような間柄である。一方、異性である裕樹は年を経るごとに夏海とは疎遠になりつつあったが、高校でクラスが一緒になってから、やたら夏海から関わってくることが多く辟易していた。 「お前には関係のない話だ。大事な話だから向こう行っててくれ」 「なっ……なんで私だけのけ者にするのよっ。秋穂ちゃんに関わる大事なことなら、なおさら同性の私に相談しなさいよ。なんで和人くんなのよ」  強く指さされた和人は両手を上げながら裕樹を見た。当の裕樹はと言えば、夏海の後ろから迫っている、最近彼女の保護者のような存在になりつつある人物へと視線をやり、救援を求めていた。 「ほら、ナッツったら、あんまり裕樹君を困らせちゃだめよ?ナッツだって『秘密なんて一切なしだ、全てを話せ』なんて裕樹君に言われたら困っちゃうでしょ?」 「私は別に嫌じゃ……」  おっとりとした雰囲気のある女子生徒に頭をなでられた夏海は、その手を払ってから顔を下に向けながらボソッとつぶやいた。 「困った子ねぇ。まあ、そんなところが可愛いんだけども」  ぎゅうぎゅうと抱き着く少女と、彼女を引きはがそうとする夏海といういつもの光景をしばらく見続けた裕樹と和人は、お互い視線を合わせて肩をすくめた。 「ナッツが失礼したわぁ」 「別に構わないよ、琴音さん。いつもの夫婦漫才を見せられてただけだしね」  きゅうと脱力した夏海を両腕で抱える少女に、和人が笑い返す。その言葉に、普段ならツッコミを入れるだろう裕樹が何の反応も示さないことを疑問に思ったらしい少女は、しばし眉間にしわを寄せ、それからはっと思い至ったらしく、顔を上げた。  そのタイミングで、机の木目を見つめていた裕樹が顔を上げ、二人の視線が交差した。 「……言うなよ?」 「分かっているわ」  二人の会話に、今度こそ我慢ならないと暴れだした夏海を押さえながら、それじゃあ、と短く告げて琴音は去って行った。 「さて、僕も生徒会があるからこれで失礼するよ」  告げられた和人の言葉に、しかし再び机上に顔を向け、思考の渦に飲まれていた裕樹は何の反応も返さなかった。
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