加害者家族健全育成法

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「眠ったか?」  静かに開け放たれた居間の扉から、裕樹はひょこっと顔を出した。 「眠ったわ。……で、説明してくれるんでしょうね?秋穂ちゃんについても、ヒロが最近酷い顔してた理由についても」  夏海はソファーへと秋穂を優しく寝かせた。それから、先ほどまで秋穂に向けていた聖母のような様子は鳴りを潜め、夏海は裕樹を見て目を細めた。 「いや、それは……」 「わかってるわ。ものすごく大事なことなんでしょ?少なくとも、同世代の中では大人びている秋穂ちゃんがここまで泣くことだし、話を聞く覚悟はできてるわよ」  その真摯なまなざしに、一歩後退りしようとしている自分に気が付いた裕樹は、自嘲めいた笑みを浮かべた。 (秋穂のため母のためと色々考えていたけど、余裕のない一番の理由は、自分が犯罪者の子どもだと言われるかもしれないことへの引け目だったか。それに、身近な人に父の逮捕を告げない事への後ろめたさもあるんだろうな。)  そこまで考えて、ふと裕樹は、自分が「身近な人」と考えた際に浮かんだ人物の一人が目の前にいることに驚き、同時に納得した。  夏海は和人と同じく、全てを話しても自分との関係を変えないでいてくれる友人だったと、裕樹はようやく理解した。  同時に、夏海に父の事件について話すことをためらう感情があることに裕樹は気づいた。  裕樹は今回の件で、自分が変わってしまうことが、ゆがんでしまうことが、ひどく恐ろしかった。だから、己の基準となるような、秋穂の優しい兄である事件前の自分の状態を取り戻すことができる鏡のような存在を裕樹は欲していた。だから、夏海を関わらせたくないと、夏海に変わらないでいてほしいと、裕樹は考えたのだ。 (夏海自身が説明を求めているんだ。だから、俺はそれにこたえるべきだ。でも、話したくないと叫び続ける自分もいる。なんともまあ自分勝手な話だな……。)  脳裏にはびこる悪心を頭を振って霧散させ、裕樹は小さく息を吸いこんだ。 「話を……聞いてくれるか?」 「もちろんよ」  決意に満ちた夏海を見て、裕樹は血がにじむほどに両の手を握りしめながら、静かに、激情を隠すように淡々と語り始めた。 「そう、秋人さんが……ってんなわけないでしょ⁉」  話が終わり、黙って耳を傾けていた夏海が発した第一声がそれだった。 「あの思いやりの塊である秋人さんが、あろうことか殺人なんてしないわよ。もっと信じてあげたらどうなのよ」 「俺だってそう思いたいさ。でも、改めて考えると、俺は父さんのことなんて何にも知らないんだよ。それこそ、秋穂より父さんについて詳しくない。そんな俺が、警察の捜査が間違ってるなんて、そう頭お花畑になれるかよ」 「そういう問題じゃないでしょうが。父よ。実の、父親よ。あんたが信じずに、誰が秋人さんを信じるって言うのよ」  ふーっと怒りのうなり声を上げて見せる夏海を見て、裕樹は呆然と立ち尽くした。 (なんで、こいつはこんなに怒れるんだ。他人の父親だぞ。いくら交流があるからといって、犯人じゃないなんて断言までして……わからない。俺が間違っているのか?父が逮捕されて、少しでも「ああ、父はそんな人だったんだ」と思うことが、思ってしまうことが、そんなにおかしいことか⁉) 「ん……お兄ちゃん、おかえり」 「……ただいま」  夏海の大声で目が覚めたらしい秋穂が、目をこすりながら起き上がった。  ほら、腫れちゃうからこすらないの、とポケットから取り出したハンカチで目じりを拭く夏海と秋穂は、まさに姉妹のようだった。 「あのね、お兄ちゃん。聞いてほしいことがあるの」  夏海にされるがままでいた秋穂は、しばらくしてから裕樹をじっと見つめ、口を開いた。  天真爛漫さが鳴りを潜め、決意に満ちたその表情は、裕樹が初めて見る秋穂の大人の顔だった。 「ああ、聞くよ。それに、俺も話しておかないといけないことがある」  今までずっと立ち続けていた事実に気付いた裕樹は、自分の余裕のなさに苦笑し、それからソファーに腰を下ろし、まずは秋穂の話に耳を傾けた。 「……いじめか。どうしたもんかなぁ」 「そっかぁ、きちんとお父さんと向き合うための時間を作るために……」  宙を見つめてつぶやく裕樹を、秋穂は口の中で言葉を転がしながらじっと見つめていた。夏海は秋穂を抱きかかえ、よしよしよく耐えました、としきりに頭をなでていた。それは、途中で頭をなでようとした裕樹から奪い取るような形で夏海が秋穂を抱き寄せたからであるが、兄に撫でられずに少し寂しそうだった秋穂も、夏海のおかげで現在は少し顔が緩んでいた。 「ねえヒロ、カケイ法でさ、犯罪になるんじゃなかったっけ?」 「ん?確かに『犯罪者の家族として誹謗中傷すること』は犯罪だけど、子どものいじめでそんなことを考えているかっていうと、たぶんたまたま対象として都合がよかったとかそんな感じだろうしな」 「どういうこと?」  しきりに首をひねる夏海に、どう言ったものかと悩みながらも裕樹は言葉を連ねる。 「いじめなんてものは、子どもが考える『普通』からはみ出したとされる対象に、はみ出したからという理由で行われるようなものだからな。今回の場合だと、いじめの始まりはあくまで『秋穂の父が犯罪者』っていううわさだけど、いじめの理由としては『秋穂をいじめても周りの反感が少ないから』とかそういったものになるんだよな。つまり、表立って犯罪者の娘と非難されているわけでもないし、止めても陰で繰り返されるだけになりそうなんだよ」 「じゃあどうしようもないってこと?」 「んー、一時的な処置で時間が過ぎて忘れ去られるのを待つぐらいしか、今のところ思いつかない。ほら、琴音さんの妹、初音っていったっけ。確か秋穂の学校の児童会長やってる、さ」 「あー、初音ちゃん。あの正義感強い子ね」 「そう、琴音さんに頼んで、その初音さんにしばらく秋穂についていてもらうくらいかな。もっとも、それで初音さんにいじめが移る可能性もあるから、向こう次第ではあるんだけどさ」 「お兄ちゃん、初音ちゃんにさん、ってつけるのおかしいと思うよ。正直気持ち悪い」  突然の秋穂の辛辣な言葉に、裕樹はしばらくぽかんと口を開けたまま固まり、それから誤解を生んだらしいことを悟って、青い顔をして慌てだした。 「ちょっ、別に俺はロリコンじゃないからな。シスコンは自覚してるけど、そっちは許せないっ。……ああ、何言ってるんだろうな、俺」  家族の危機に何をしているのかと、裕樹が自分を責めようとしたその時 「ぷっ、ははっ、あははははは」  突如響いた笑い声に狼狽し、それから裕樹は声の主を見つめて、安堵から目を細めた。  父の事件から、一層子ども離れしていた秋穂が、年相応の笑顔を見せていた。 「ふふっ、わかってるわ……ぷっ、おかしいわね。……はははははっ」  それにつられて夏海も笑い始め、事件から初めて、佐竹家は温かい空気に包まれた。  羞恥に顔を赤らめる裕樹をよそに笑い続けた二人がおちつくまで、少しの時間を要した。  その間、裕樹は周知に悶えながらも、心の内では穏やかな気分だった。  家に日常が戻りつつある。その事実をかみしめ、そして裕樹はここにいない二人について思いを馳せた。 (この調子であれば、母が立ち直る日はそう遠くないかもしれない。だが、父は?今まで父についてどれほど見てこなかったのかを理解した自分には、わからない。少なくとも、父は実際に罪を犯したのだろうと考えてしまっていた自分には、何を言う資格もない。だが、秋穂なら……)  そこまで考えた裕樹がふと顔を上げると、真剣な表情で考え込む秋穂と夏海の姿があった。 「夏海、琴音さんに連絡を頼む。そしてできれば、俺自身の口から初音さんに頼む場をセッティングするよう取り計らってほしい。それから、秋穂は母さんを頼む。あの人の心は俺だけじゃ開けない」  頷く二人を見て、少し余裕を取り戻した裕樹は、よし、と膝を叩いて腰を上げた。 「裕香さん、大丈夫よね?」 「ま、なんとかなるんじゃないか?とりあえず母さんは部屋から引っ張り出すか」 「お兄ちゃん、お母さんに乱暴したら怒るよ」  「分かってるって」「ほんとに?」と言いあう兄妹の後ろ姿を眺めながら、夏海は心の中でつぶやいた。 (よかった。いつもの二人だ……)
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