加害者家族健全育成法

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 佐竹家での会話の翌日。裕樹は学校帰り、琴音と一緒に家の近くの喫茶店へと足を運んでいた。  夏海の小学生からの友人である琴音の家は、もちろん裕樹の家からそれほど離れたところにはない。今日の目的地である喫茶店は、ちょうど二人の家の中間地点辺りに位置していた。 「お姉ちゃん、こっち」  からんころん、という軽快な音を響かせて扉をくぐった先、アンティーク調の落ち着いた喫茶店の一角で、幼さの残る少女が手を振っていた。 「こんにちは、東小学校四年二組、佐竹秋穂の兄の裕樹です」 「六年三組の遠藤初音です。いつも姉がお世話になってます」  いえいえこちらこそお世話になっています、という裕樹の言葉を頭に手刀を叩きこむことで終わらせた琴音が、いそいそと妹の隣へと座った。 「いい、余計なことなんて言わなくていいからね」 「余計なこと?お姉ちゃんが普段おもしろおかしく語っている裕樹さんと夏海さんの話?」 「そう、それよ」  小声で進む姉妹の会話に頬を緩めながら、裕樹は二人の対面の椅子に腰を下ろした。  んっと裕樹がのどを鳴らせば、途端に密接していた顔をぱっと離し、いそいそと聞く準備を始めた二人を、裕樹はさすが姉妹だなぁとのんびり眺めた。 「それで、佐竹裕樹さん。今日は私にお話があるとお姉ちゃんから聞きましたが」 「ああ、裕樹でいいよ」 「では裕樹さんと。それで、どのような用事でしょうか」 「……妹のことだ」  そこで裕樹は一旦言葉を区切り、ちらりと初音の隣に座る琴音に視線をやった。琴音が小さくうなずくのを確認してから、裕樹はしばし目を閉じ、軽く息を吸って話し始めた。 「実は、俺と秋穂の父が逮捕されたといううわさが、東小学校で広まっているということを聞いた」 「ええ、それについては私も耳にしています」 「それなら話が早い。そのうわさは事実だ。そして、うわさが広まってから、秋穂がいじめにあい始めた。俺は初音さんに、学校での秋穂のサポートをしてほしい。具体的には、休みの時間に一緒にいるとか、ともに下校するとか、その程度で構わない」 「つまり、私にいじめの防波堤になってくれと。期間は?」 「いじめが沈静化するまで頼みたい。場合によっては、卒業までかもしれない。それに、初音さんにいじめが移る可能性もあることを考慮したうえで返答してほしい」 「つまり、やるなら覚悟のうえで頼む、と……お姉ちゃん、この人大丈夫?」  は?と、突然の話の流れに裕樹が素っ頓狂な声を上げるが、初音は琴音と向き合い、裕樹には何の反応も示さなかった。 「交渉術がなってない。正直、いい人すぎて気持ち悪い。だまされそうな、かわいそうな大人になる予感がするよ」 「ふふっ、初音。さすがにそれは少し言い過ぎよ。でもそうね、裕樹君は表裏がなさすぎるわね。それが彼の美点かもしれないし、だからこそ友達付き合いが気楽でいいのだけれど、改善はすべきよね」  言いたい放題な姉妹に涙目になりそうな裕樹をちらっと横目で見た琴音は、この話は終わり、とパンパンと手を叩いた。 「それで、琴音。どうするの?」 「んー、まあ実際のところ、そこまで実害もないし、手間って言うほどでもないんだよね。…………裕樹さん。妹さんのこと、協力させていただきます」 「ありがとうございます」 「それで、妹さんは今日は?」 「ああ、母についてもらっています。母の方が少々不安定で心配なもので」 「では明日、学校で顔合わせだと伝えておいてください」 「分かりました。よろしくお願いします」  そう言って、裕樹は深く、机に額が付きそうなほど頭を下げた。 初音と裕樹の話し合いから数日が経った。  学校で初音と行動する時間が多くなった秋穂に対するいじめは、少なくとも分かるところでは存在しなくなった。  秋穂と初音、それから夏海は、二人の母との会話の時間を多く取るようにして、少しずつ母の口数も戻って行った。 「行ってきまーす」 「行ってらっしゃい」  母とのあいさつに頬を緩ませる日が来るなんて、と秋穂は驚きつつも満足げな顔で通学路を進んだ。 「おはようございます、初音さん」 「おはよう、秋穂ちゃん」  波長が合ったらしい初音と秋穂は、今では登校まで共にするほどの中になっていた。  他愛もない会話を続けながら、特に気負うこともなく登校できるという事実に感動し、そしてそんな状況を作ってくれた兄と初音に、秋穂は感謝の気持ちでいっぱいだった。  下駄箱で靴を履き替え、土間から廊下への階段を上がったところで、秋穂は何かに蹴躓いて前方へと倒れ込んだ。 「何やってるの⁉」  初音の怒声が、六学年共通の広い土間にこだました。痛みに顔をしかめながらも、言い合いを始めた初音ともう一人の方へと秋穂が視線をやると、そこには見知った人物がいた。 「柊さん……」  栗色の短め内巻きボブに釣り目気味の黒い瞳の少女。秋穂のクラスメイトである柊由紀は、腕を組み、初音の怒りの声に耳を貸さずにそっぽを向いて立っていた。 「聞きなさい!秋穂に足をわざと引っかけて、あなた何様のつもり⁉」  クールで通っている初音の怒声に、何事かと周囲の視線が集まっている。遠くからせわしない足音が聞こえてきていることから、教師にまで声が届いているのだろう。 「聞きなさいと言っているのよ!私の友人に手を出して、気のせいですじゃ通らないわよ」  初音が一通り言葉を尽くしたところで教師が到着し、二人をなだめにかかるのを秋穂は呆然と見つめていた。当事者の自覚がなかったという話ではない。ただ、嬉しかったのだ。父の件を知りながら、そのうえで友人になってくれた存在が、自分に対する理不尽に怒ってくれているのを見て、秋穂は胸がすく思いだった。 「はぁ、まあいいわ。どうせここには防犯カメラが設置されているし、あなたの行いには適切な罰が下されるでしょうからね。それに、秋穂の上履きに絵の具を塗ったのもあなたの可能性が高いわけだし、下手したら警察沙汰ね」  そこまで初音が何を言っても無反応だった柊は、最後の言葉に顔を真っ青にして、バッと教師へと顔を向けた。 「……初音さんの言葉通りよ。傷害罪に器物破損罪かしらね。警察から指導が入るレベルであるのは確かでしょうね」 「六年ほど前に上履きを切られる事件があったんですよね。確かそれ以来、下駄箱に防犯カメラが設置されているとか。ただ隠しカメラですし、やはり抑止力のためにも一台くらい目に見えるカメラがあった方がいいですよねぇ」  教師の言葉に、今度こそ事態の重さを知ったらしい柊は、ぺたんと床に腰を下ろし、到着した女教師に抱きかかえられて職員室へと連れていかれた。 「……ありがとう、初音さん」 「いいのよ、秋穂。間違っているのはあちらなのだから、あなたは胸を張っていなさい」  連れていかれる柊を見てふんと鼻を鳴らした初音は、それから優しい笑みを浮かべて秋穂の頭を撫でた。えへへ、という年相応の笑みを浮かべた秋穂は、安堵から膝の力が抜け、倒れ込むように初音に抱き着いた。
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