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*  確かに野球は好きだ。  拓人はグラウンド脇を通り過ぎながら、少し歩くスピードを緩めた。手前では野球部が、奥ではサッカー部が練習している。スポーツに汗を流す同級生たちを、羨ましいと思わなかったと言えば嘘になる。  まだまだ拓人の日常は落ち着かない。裁判は一向に終わる気配がないし、延々と補習は続く。カウンセリングには行き始めたが、夜中に悪い夢で起きたり、背後から襲われそうな恐怖感はまだ残っている。何かが終わったという感じは全くしない。それなのに、新しいことなんか初めてしまっていいんだろうか。  バックネット裏のベンチに座った有田が野球部員に声をかけていた。  拓人はその向こう側でサッカー部の奥田大貴が女子マネージャーに冷たいタオルらしきものを受け取っているのを見た。大貴も女子マネも笑顔だ。なんだ、あいつら、付き合ってんのか? 拓人は眉を寄せた。レンアイする同級生も羨ましい。  まぁな、と拓人は思う。今までの経験から言っても、キリのいいタイミングなんてものはないんだ。あるとしたら後からそう思うだけで、そんときはいっぱいいっぱいなんだ。自分でゴーサインが出ることなんて滅多になくて、やらないと保たないぐらいの切羽詰まった状況で転機を迎えることが多い。後悔は山盛りで、会えなくなった相手に尽くしきったなんてことはなく、どうしようもない感情が残るだけだ。だから拓人はできる限り、近くにいる人には尽くそうと思っている。後悔するのはわかってる。充分やりきって、もう何も欠けたところがないなんて無理だ。どんだけやっても心は残る。失敗もする。思わぬ結果も招く。迷惑だってかけるし、意図せず憎まれることもある。そこはもうどうしようもないことで、自分には何もできない。諦める。  拓人は息をついて前を向いた。野球部への未練を捨て、校門へ歩き出す。今日は特に予定はなく、真っ直ぐ帰る予定だった。中間試験の結果は予想通り思わしくなかったので、追試前に補習プリントまでもらう始末。ここはしっかり勉強をして追試を一回で通過したいところだった。こんなのは特別サービスだぞと釘を刺しながらも補習してくれたり、プリントをくれる教師たちには感謝しなくてはいけない。  季節は秋になっていた。あと二ヶ月で今年が終わってしまうと思うと、少し切なくなる。今年はあっという間だったなと拓人は思った。今年も、かな。  盛りだくさんの人生だ。もしかして、人生に起きるイベントのほとんどを今までに経験しちゃったんじゃないかと思わなくもない。両親の不和に離婚、引っ越し、転校、そして両親の再婚。その間に祖父との別離があった。死者を初めて見たのはその時だった。田舎の葬儀をして、死者はあっけらかんと送られると知った。理不尽な暴力も受けたし、挙げ句の果てには家族を殺されもした。まわりに頼れずに孤独で死にたくてたまらなかったけど、結果的には生きてる。右手を失い、今もいろんな不都合を抱えてはいるけど、何とか頑張ってる。頑張ってるよな、俺。  拓人は自分でそう思って、小さく笑った。誰も褒めてくんないから褒めてやれ。  考えてみたら、俺、けっこうスゴイんじゃねぇの? 無茶だとか二度とやるなとか言われたけど、結果的には自分で家族を殺した犯人をあぶり出したみたいなもんだし。それで偉い政治家を引退させることになったとしても。そんだけのこと、やった高校生っているかよって話だ。もっと褒められてもいいんじゃねぇのかな。そりゃ一人でやったんじゃなくて、もういろんな人の助けがないとダメだったとしてもだよ。  結局、まわりがすごかったのかな。ハロルドさんいなかったら無理だったし、ハロルドとつなげてくれたの、フランケンとか模型部だし、そもそもこの高校に入れなかったら俺はこういうこともできなかったはずで。俺が自由に動けるのも平塚さんちにいたからだし、バイトもさせてもらえてたから金があったんであって、ああもう俺は自力じゃ何もやってねぇな。褒めなくていい。俺は褒められるもんじゃねぇ。  拓人は思い直して息をついた。そうだな、調子に乗っちゃいけねぇ。俺は一人じゃ何もできねぇ。警察が当てになんないとか言いながら、最終的には警察の人が調べてくれなかったら何にもならなかった。東京にだって瀧本先生がいなかったら行けなかった。吉岡議員にも会えなかった。  那家川の橋まで来て、拓人は川原を見下ろした。甲斐がいないと思うと、今でも胸が痛かった。甲斐、俺の家族殺った奴、捕まったんだよ。そういうことを知らせたいなと思う。でももう知ってる気もする。当たり前だろとか言われそうな気もするんだ。  拓人はふっと笑って橋から顔を上げた。  当たり前だろ。俺はそうだと思ってたよ。  勝ち誇ったような甲斐の言葉が聞こえる。嘘つけ、と拓人は思うが、甲斐は認めない。俺はわかってたよ、おまえは絶対にやるって。  ホントかよ、と拓人はいつも苦笑いしていた。でも自信満々に言われると、何だか誇らしくなるのだ。褒めねぇぞ、当然の結果だからな。甲斐はそう言う。  悔しかったら、もっとスゲェ、俺が逆立ちしても想像できねぇことをしてみろ。  拓人は涙を堪えて空を見上げた。雲が高く流れている。  上等じゃねぇか。
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