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 入学式。新しい学校、新しい制服、新しい通学路、新しい景色、新しい同級生、新しい先輩。何もかもがリフレッシュする。緊張もあるけど、わくわくの方が多い。児島香澄はチェックのスカートを揺らしてルンルン気分で歩いた。隣には母がいる。母もいつもよりちょっとおめかしして、スーツなんて着ている。  香澄が入学する県立那家川東高校は、学区内では一番偏差値が高い。とはいえ、地域的には下町とベッドタウンの中間ぐらいの街であり、それほど教育熱心ではないので偏差値自体が驚くほど高いわけではない。それでも東高に行っていると言えば賢いんだなと思われる程度には高い。出身中学から同じ高校に合格したのは普通科とその他の科を合わせて十人弱。それはそれで香澄は喜ばしいと思っていた。とんでもないバカと話をしなくて済む。中学はいろんな子がいて楽しかったけど、疲れることも多かった。香澄のように優等生と目される生徒にとっては、足を引っ張る生徒が邪魔に思えることも少なくない。  例えばアイツみたいに。  香澄は前の方にポツンと立って、熱心に校舎の上の方を見ている人影を見た。隣に誰もいないのを見ると、一人で来たのかもしれない。そう思うと香澄は急に同情する気持ちになってイライラが心から消えた。  案内の教師の声を背後に聞きながら、香澄は校門から校舎に続く石畳の道を歩いた。ほんの数メートルだが花壇と木々が並ぶ小道は雰囲気がいい。母親にちょっとごめんと言って、香澄は行き先がわからず立ち尽くしているような人影に近づいた。 「一人?」彼の隣に立って、驚かすように横から顔を覗きこんで香澄は「うわっ」と声を上げた。周りが香澄を見る。 「何、それ」香澄は平塚拓人の顔を指差して笑った。そこには見慣れない琥珀色のフレームのメガネがかかっている。それが彼をとても真面目な生徒に見せている。中身はともあれ。 「高校デビュー」  平塚拓人は平然とした顔で答えた。 「真面目な生徒を装おうって魂胆?」 「真面目に見えるか?」拓人は嬉しそうに香澄を見た。香澄の方が少し背が高いので、拓人が香澄を見上げることになる。 「うわべだけはね」香澄は渋々うなずく。「中身はともかく」 「見た目が大事だろ、最初は特に」彼はまた校舎の上を見た。  香澄は呆れて息をついた。 「お友達?」母が来る。驚いたことに平塚拓人は香澄の母に向き直って笑顔を見せた。「こんにちは」と挨拶までする。香澄はその礼儀正しさに驚いた。 「あら」母はすっかり騙されて平塚拓人に好感を抱いたようだ。平塚拓人の高校デビュー、一人目の犠牲者が自分の母だと思うと香澄は情けなくなった。しかし目の前の男は校則通りに制服を着こなし、知人の親に気づいて向き直って挨拶する完璧さ。さっぱりした短髪に品のいいメガネ、制服の白いシャツと紺のネクタイ、上品なグレーのブレザーも相まって、平塚拓人をとんでもなく良い人物に見せている。 「中学が一緒だっただけだから」香澄は母をグイと押した。早く彼から遠ざけなければ、母はどんどん平塚拓人の企みにはまってしまう。この男はホントに始末が悪いんだから。 「お名前は?」母が香澄の肩から首を出して拓人に聞く。 「平塚です」拓人がにこやかに答える。香澄はワーと叫びたくなる。これ以上、知り合わなくていいから。 「平塚君、高校でもよろしくね。この子はちょっと人見知りするから同じ中学のお友達がいると安心だわ」 「もういいから」香澄は母を平塚拓人から遠ざけた。自分も一緒に遠ざかり、会話が不可能なところまで遠ざけてから拓人を振り返った。彼は香澄をチラリと見たが、すぐにまた上を見た。香澄も上を見る。  校門に面した校舎の三階の窓に『祝・入学 来たれ東高野球部』という張り紙が見えた。気づけば、他の窓や壁にもさまざまな部活の勧誘ポスターが貼ってある。平塚拓人はこれを見ていたのか。香澄はそれらを一瞥し、それから入学式が行われる体育館に入ってから「あ」と気づいた。そっか。メガネ。メガネが嬉しくて遠くを見てたんだ。
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