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「香澄、テニス部見に行こ」  教室の後ろのドアから莉香が顔を出して言った。さっとクラスの男子の注目が上がるのがわかる。莉香は細くて茶色っぽい髪を肩の上で軽くカールさせている。ちょうどいい感じの癖っ毛で、パーマみたいでいいなぁと香澄は思う。ちょっと高めの声はアニメのヒロインみたいだし、目もぱっちり二重で可愛い。肌も色白だし華奢な感じの体型をしている。彼女が男子の視線を独り占めするたび、香澄は自分のがっしりした体型をちょっと呪いたくなる。平塚拓人に限らず、小柄な男子数人よりも背が高いし、色は黒いし太ももも太い。テニスは莉香より上手いけど、男子にモテるのは断然莉香の方だ。別にモテたいわけじゃないけど、香澄だって彼氏ぐらいほしいと思っている。 「アリスは美術部?」  香澄はクラスのもう一人の同じ中学出身のアリスに声をかけた。彼女も小柄だけど、莉香みたいな華々しさはない。もの静かで読書や絵画が好きなタイプだ。臙脂色のフレームのメガネがチャームポイントで、三つ編みおさげもアリスの真面目さを表している。平塚拓人とは違って、彼女は本当に真面目で勉強もできる。香澄も莉香もアリスもそれぞれ性格のタイプは違ったが、何となく三人は気が合って中学のときから仲が良かった。同じ高校に入れたのはラッキーだと思っている。 「まだ決めてないけど、いろいろ見て回るつもり。テニス部見た後、付き合ってくれる?」  アリスが言って、香澄も莉香も「もちろん」とうなずいた。  ふと見ると平塚拓人の姿はなく、香澄は野球部かなと思った。でもまさかねぇ。 「平塚君、メガネかけてたね。ビックリ」莉香がクラブハウスへ行く道すがら言った。「真面目っ子に見えちゃった」 「高校デビューなんだって」香澄は呆れて言った。「真面目なフリして仮面かぶるつもりなんじゃない?」 「無理無理」莉香はケラケラと軽く笑った。アリスもクスッと笑っている。 「二、三日後には仮面、剥がれてるよ」  香澄はそう言って、ちょっと足を早めた。テニス部のコートが見えたからだ。周囲には真新しい制服の新入生と、ジャージやユニフォーム姿の勧誘の上級生が入り交じっている。香澄の心もウキウキしてきた。もちろんどんな先輩がいるのかとか、練習はキツいかなとか不安もある。でも東高を選んだ理由の一つは、このテニスコートでもある。人工芝だけどちゃんと二面あって、ネットで囲われている。思い切り練習ができるし、進学校にしてはそこそこ強いとも聞いている。練習は比較的生徒の自主性に任されているそうで、自由な空気があるという噂だった。東高は高校全体が学区内で一番自由だった。制服も基準服であって、指定の日以外は私服の生徒も多い。さすがに入学式の今日は全員が制服だが、明日からは襟付きシャツなら指定でなくてもいい。  香澄と莉香は予定通り、テニス部に仮入部した。三年生の男子の部長も爽やかだったし、女子の方の部長も人なつこい笑顔で迎えてくれた。二人が中学時代は軟式テニス部だったと言うと、部長はじゃぁすぐに上手くなるよとうなずいた。  アリスは中学時代は美術部だった。でも高校では違うこともしてみたいからと、マイナーな部を見学して回っていた。付き添う香澄や莉香も楽しかった。オタクっぽいクラブもあったけど、アリスならどこでも淡々とやっていけそうだった。  演劇部を見学した後、残りは明日にするとアリスが言ったので三人でお茶して帰ろうということになった。演劇部が使っている多目的室から靴箱のある方へ廊下を歩いていたら、平塚拓人が職員室から出てきたところに鉢合わせた。メガネはかけていなかった。 「入学早々呼び出し?」  もう化けの皮が剥がれたかと香澄が言うと、拓人は三人を見比べ「大、中、小」と香澄、莉香、アリスを指差した。莉香とアリスは笑ったが、香澄はムカッとした。でもからかわれているのもわかっているので、相手の思うつぼにはまらないようにグッと我慢する。 「平塚君、メガネは? 結構似合ってるよ」  莉香が笑顔で会話をつなぐ。 「だろ」平塚拓人も莉香にはニヤつく。「でも慣れてないから目が疲れる」 「やっぱり、度、入ってるの?」香澄は拓人を見た。拓人は体にいろいろな不都合を持っているが、目も右だけちょっと視力が弱い。耳は左だけ少し弱いらしい。足は左が低気圧に辛いらしいし、右腕は肘と手首の間で途切れている。 「右だけな」拓人は左手に持っていたデイパックを肩にかけた。 「平塚君、クラブ何か入るの?」莉香が聞く。 「バイトするから帰宅部」 「何のバイト?」香澄は嫌な予感を感じて尋ねた。ヤバいのじゃないといいけど。別に平塚拓人が停学になろうが退学になろうが構わないけど、平塚拓人のことをほんのり好きなアリスが心配するからやめてほしい。 「あんたは俺の保護者か」平塚拓人は香澄を見て笑った。「ちゃんと今、届けも出してきて受理もされた。俺が片手だからバイトなんか無理だって思ってんだろ」  平塚拓人は三人に向けて右手を突き出した。手首から先がすぽんとなくなっている手を。香澄は突き出されたそれを、片手で叩き落とした。 「思ってないわよ。あんたが器用なことぐらい知ってますぅ」 「こら、障害者を叩くな」拓人は右手の叩かれたところを左手で大げさにさすった。「もっと短くなったらどうするんだ」  莉香とアリスが呆れて笑う。香澄は拓人を睨んだ。 「あんたみたいなのがいるから、世の障害者は苦労してるのよ」 「言っとくがな、世の障害者はほとんどが障害を武器にしてんだよ、わかったか、健常者」 「めっちゃムカつく」香澄は拓人を睨み、莉香とアリスの手を掴んで歩き出した。早く離れないと、平塚拓人をビンタしてしまいそうだ。  彼から遠く離れてから、アリスが「二人はいいなぁ」と言った。「平塚君と普通に話せて」 「あいつのどこがいいの?」と香澄が尋ねると、アリスはちょっと赤くなって「えーっと」と考えた。  香澄も莉香も知っている。平塚拓人が転校早々、大暴れしていた二年前、アリスは美術部のデッサン素材の花瓶を運んでいて、廊下を走りまくっていた拓人にぶつかられた。花瓶は割れてしまい、アリスも少し擦りむいた。その後の対処がアリスには完璧だったらしい。花瓶の始末をし、職員室に出向いて花瓶を割ったことを美術部顧問に伝え、保健室までアリスに付き添って謝った。  普通じゃん。香澄も莉香もそう言ったが、アリスは首を振った。すごく紳士だったの。ぼうっと歩いてんじゃない!とかって怒られるのかと思ってたら、全然怒らなかったの。 「自分が当たったんだから当たり前じゃない」香澄と莉香はそう言ったが、アリスには伝わらなかった。 「あー私も恋がしたぁい」  莉香が言って、香澄は苦笑いした。莉香は恋多き乙女だ。彼女の恋はすぐに見つかるに違いない。 「私も」香澄は莉香に乗っかるようにして言うと、莉香が「頑張ろうね」とよくわからないガッツポーズを作った。
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