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月下美人の花である女性。
彼女は育ててくれている男性にお礼が言いたくて、いつも彼に声を掛ける。
雨の日も、風の日も、夜中だって様子を見に来ては声をかけてくれていたから、彼女はそれに応えるように話しかけていた。
けれど、彼には彼女の声は聞こえていない。
満月の日、彼女は咲いた。
その前の日、彼は彼女に「そろそろ咲くかな?また明日も夜に来るね。」と声を掛けていた。
だから彼女は願った。
「私は咲けば、朝にはもうしぼんでしまってここに居られなくなる。だから、せめて最後に彼に聞こえる声でお礼を言いたい。」
その願いを月が聞いていた。
月は彼女にこう言った。
「私が沈むまで、あなたを人の姿にしてあげる。でも、私はあなたの願いを叶えることまでは出来ない。だから、自分の力で頑張りなさい。」
人の姿になった月下美人はすぐに彼の元へと向かおうとした。
けれど、彼女は歩き方を知らない。
立っている事は出来ても、足の動かし方が分からない。手の動かし方も、なにもかも、人の出来ることは彼女には分からない。
今まで見てきた人間の動作をなんとか真似てみようとするものの、うまく動かせない。
月明かりが差し込むころ、ようやくなんとか前に進めるようになった。
そんな時、彼が来たのだった。
彼は彼女を見ると驚いた顔をしていた。
彼女はそれを見ると笑ってこう言った。
「驚いた?私人の姿にしてもらったの。これでやっと話せるのね。」
でも、その言葉は声に出ていなくて彼の耳には入って行かなかった。
お互い不思議そうな顔をする。
彼は、彼女が月下美人の近くに立っているのを見て、誰かに聞いて見に来たのかと思った。
「もしかして、月下美人を見に来たのですか?」
彼女に近付きながらそう言うと、彼女も彼に近付こうとしたが足が縺れてずっこけてしまった。
急いで彼女を起こした彼は近くで見た彼女の美しさに顔を赤らめる。
彼女が彼の優しさとよく知った手のぬくもりを感じて微笑むと、その赤みは増した。
彼女を立ち上がらせて「大丈夫ですか?」と聞く彼に声が届かないのを理解した彼女は深々とお辞儀をした。
何度も彼がお客さんにお礼を言いながらしていたのを見ていたから、それがお礼を言う時にする仕草だと知っていたから。
彼は慌てて、「そんな、お気になさらず!」と下げた頭を上げさせようとした。
お互い顔を上げて目を合わせ照れていると、そこには甘い匂いが漂ってきた。
月下美人がどんどんにおいを強めているからだ。
その甘い香りは彼を魅了するかのようで、彼は月下美人の方へ行き「綺麗…。」と呟いた。
彼女は自分が褒められたと喜ぶけれど、それ以上に顔に熱が集まるのが気になって仕方が無かった。
彼は彼女の事を思い出し、隣に来るように声を掛ける。嬉しく思いながらゆっくりと彼に近付いて、でも真正面からは彼の事を見ることが出来ない不思議な気持ちに戸惑っていた。
二人して月下美人の花を眺める。
彼は彼女にその月下美人のことについて話す。
彼女は彼の話すことを知っているけれど、彼が自分の事をそれだけ理解してくれているみたいだと思えて頷いたり、微笑んだりして静かに聞いていた。
甘い匂いはその間も強くなり二人を包んでいた。
それを見守っていた月明かりも陰りだす。
月が沈むまであともう少し。
でも彼女は彼に何も言うことが出来ていない。
「ありがとう」
その一言が言いたいのに、声の出し方が分からない。
「そろそろしぼんじゃうな…。」
彼の一言にびくっと体を震わせる。
「あと少し、少しでいいから…。」
そう願う彼女に反して無情にも時間は刻々と過ぎていく。
彼が立ち上がり、彼女は彼に行かないでとでも言うように袖を引っ張る。
上手く力が入らない手で、たどたどしい手の形で掴んだにも関わらず彼は彼女にどうしたのかと聞く。
上手く声が出せないけど、それでも頑張って気持ちを伝えようと崩れ落ちそうな弱い足で伸びをして彼の頬に唇を触れさせた。
どうして、その行動をしたのか彼女自身も分からなかった。
でもそうすれば伝わる気がした。
最後の力を振り絞って「ありがとう」と言った。
その声が彼に届くものだったのか、確かめることも出来ずに彼女は消えてしまった。
取り残された彼は暫く呆然と立っていた。
それは月が沈むまであと5分という時間だった。
花もまだ咲いている。
彼女が人の姿を消したのはもしかしたら願いが叶ったからかもしれない。
「あと5分、あと5分だけでもそばにいられたら…。」
消えた彼女を探す彼を見ながら、月下美人の花はそう思ってしぼむまで彼に聞こえない声で「ありがとう」と言い続けた。
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