『恋人』でいられる最後の5分

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 花嫁衣装に身を包んだ新婦は、椅子から男性を見上げて言った。 「今日まで、ありがとう。龍生兄さんのおかげで私、まっさらなままお嫁にいける。」  龍生(たつき)と呼ばれた背すじのスッと伸びた男性は、微笑んだ。 「龍生兄さんにずっと憧れていたから、他の男になんて目もくれないでいられた。みんなみんな、色褪せて見えちゃってたから。……彼が現れるまでは。」 「それは夏海君が弥生の運命の人だったからだろ。」  弥生と呼ばれた新婦は頬を染めてうなずいた。  そこへ、式場の人がやってきた。 「あと5分ほど経ちましたら、新郎様の控え室へ移動のご案内をいたします。」 「はい。」  式場の人が出ていくと、龍生はあらためて弥生を見た。 「きれいになったな、弥生。テニス部でゴボウみたいに日焼けして、短髪で、女の子らしさの欠片もなかったのが、うそみたいだ。」 「さらって逃げたい?」  おちゃめ顔をした弥生に龍生は笑い、 「さらってみようか。」 と言った。 「冗談よ。」 「わかってる。」  歳の離れた幼なじみの二人は、しばらく見つめあった。  言いたいことも、言えないことも、今はなかった。交わしたいのは、言葉じゃない何かだった。そしてそれは、確かに目と目で交わされた気がした。  やがて、ドアがノックされた。 「ご案内いたします。ご用意はよろしいでしょうか。」 「はい。」  新婦はうなずいた。  龍生が脇へ退いた。  新婦は立ち上がり、大好きな『龍生兄さん』から一歩一歩離れていった。  愛すべき伴侶となる人の元へと。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加