プロローグ

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 両者がコートにつくと、審判からボールが渡される。  試合前の練習はおよそ一分。フォアクロス、バッククロスと、他愛のない打ち合いだ。しかしそれだけで相手の力が嫌というほどわかる。たかだかフォアハンドとバックハンド。基本中の基本。一打一打から、収まりきらない廣田の強さがにじみ出ていた。コートにつく前とは別人だった。  しだいに大きくなっていく拓真の心臓の鼓動とボールの弾む音が重なる。指先が冷たい。ちょっとでも咳こんだら胃の中身がこみ上げてきそうだった。 「やめ」  主審の合図で拓真と廣田は中央に集まった。じゃんけんをすると、廣田がサーブ権をとった。 「左で、カット……」  ラケット交換のとき、廣田はぼそっとつぶやいた。  ラケットとラバーの種類を見れば、相手の戦型はたいがい判別できる。廣田はコテコテのドライブマン。拓真は、カットマン用のラケットにハイテンション系の裏ソフトラバーを貼っていた。  珍しげで意外そうな反応には慣れている。左利きでカットマン。初見の人間は、だいたいが拓真の戦型に引っかかる。実力の程より、プレースタイルの物珍しさに興味を示すのだった。それがいくぶん嬉しく、しかしときおり煩わしかった。廣田の一言はどちらにもあてはまらなかった。見下された気分だった。わざわざ本人の前で口に出して言わなくともいいだろう、と思ったものの、相手が強者だと理解しているゆえに弱気な自分が顔を出す。  龍平を手こずらせるサーブ力と、強力な両ハンドドライブ。それにもかかわらず、ミスのない堅実なプレー。はたして自分がどこまでやれるか……  主審が「ラブ・オール」とコールすると、観客席から声援があがった。不安を振り払うように頭を振り、拓真は前のめりに身を屈めた。どこまでやれるかではない。勝つのだ。相手がだれであろうと関係ない。戦いで勝利を目指さなくてどうする。
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