皆泣きながら産まれてくる(わあ陳腐)

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皆泣きながら産まれてくる(わあ陳腐)

 閲覧数であったり、スターの数であったり、こういう場所では常に数字がついてまわる。運営側が数字を追求するように煽っている様子もないのに、気が付けば自分自身、いくつも並んだ数字の変化にとらわれている。  別に、それで何の利益が出るわけでもない。スターの数で表彰されたり、賞をとることに結びついたりするわけでもない。閲覧数とスターの数の比は、作品に対する満足度の指標になりうるが、母集団が十分大きくなければ結局何の判断材料にもなりえない。  不思議なことだ。結局我々は、分かりやすい努力が分かりやすい効果を生むこと、それ自体が好きなんだろう。ゲームの中で経験値を稼いでキャラを強くすること、それ自体が快楽になるように。  単純な努力の積み重ねが必ず結果に結びつくようなことは、現実の社会ではほとんどない。一番練習したチームが必ず優勝するようには、この世の中はできていない。どれだけ愛情を表現し続けようと、好きな人が振り向いてくれるとは限らない。  【世界】も【他者】も、【私】の外側にあって、【私】の願望を直接反映するようには全くできていない。母の胎内から出てきた瞬間から、人生というのはずっとそういうものだ。だから我々は泣きながら産まれてくるのだ。  でもだからこそ、自分の思いや夢が人に理解されたとき、共有できた時、大きな喜びを得ることができる。試しに、身の回りの誰かにあなたの小説を目の前で読んでもらってみるといい。感想など聞く必要はない。その顔つき、呼吸、頁をめくる手、それらが言葉以上に、あなたの作り上げたものがどれほどの魅力を持っているか語ってくれる。それは奇跡だ。そうした経験は、一生分のモチベーションになる。少なくとも私はそうだった。  数値の変化は、そうした喜びには到底追いつけない。それは単純な努力の積み重ねで生み出されるもので、奇跡ではないからだ。  サイトの中で広告を打つことを否定するわけではない。少しも否定しない。私もやっている。    だが、もっと遠くを見て歩き出せば、もっと大きな喜びを得ることができる。少なくともその可能性がある。それを始めるには、暗闇の中、向こう側の見えない崖を飛び越えようとジャンプするような、非常な勇気を必要とする。だが、誰の魂にも、それを行う勇気が最初から備わっている。私はそう信じる。何となれば、まさにそのために、我々は泣きながらでも産まれてくるのだから。      この項終わり
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