来し方を振り返る

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来し方を振り返る

 昔は、長編を書くのに莫大な時間を費やした。公募用の、400字×400枚とかになると、三年も五年もかかった。書いては潰し、書き直し、それを破棄し、また書き、そういう繰り返しだった。  今は、同じサイズのものを書くのに半年もかからない。迷うことはもちろんあるが、それらしい形にするのにそれほど苦労はしない。  それが成長なのか習熟なのかは、よくわからない。雑になっているだけではないかとも思う。確かなのは、一つ書き終わるたびに味わっていた、自分が成長したという実感を、今は感じ取れないということだ。  昨年あたりから、公募用のものを書かなければならないと思うようになったのは、そのあたりの理由もある。小説投稿サイトの、なんというか「居心地の良さ」は、諸刃の剣だ。公募に通るか落ちるかしか選択肢のなかった時代を知っているので、そう感じる。  死に物狂いの格闘をせずに書けるようになったのは、単純に歳をとって、無意識のストレージにいろんなフォルダーができたからなのだろうと思う。しかし逆に、自分の手持ちのファイルで取り廻せるようになったために、自分に足りないものに気づきにくくなっている。  褒められることも、賞をとることも、プロになることも、本当の目的ではない。  自分の全部を絞り出して、自分の人生と等価なものを、あるいはそれ以上のものを創り出したい。その過程の中でだけ、自分が生きている意味を実感できる。苦しんでも生きていたいと思える。  苦しみぬいて満足のいくものを書けたとき、必ずいつも、「自分はこれでスタートラインに立てる」そう感じた。  その感覚を取り戻したい。  だから、今もまだもがいている。    
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