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振り向くと、見覚えのある髪色をした女が松池を指差していた。その顔を見た瞬間、三奈は思わず「げっ……」と声を上げていた。女は三奈を見ると怪訝そうに首を傾げる。
「げってなんだよ? どっかで会ったっけ?」
彼女はあの夜、美桜の部屋に乗り込んできた女に間違いない。しかし、どうやら三奈の顔は覚えていないようだ。
「瑞穂、この子誰? 人の顔見て、げって言うのはないと思うんだけど。教育が悪いぞ」
松池が苦笑しながら「柚原さんもですよ」と言った。
「人を指差すのは失礼です」
「ああ、そっか」
彼女はそう言うと素直に「ごめん」と謝った。ニッと笑みを浮かべたその顔は、あの夜とは別人のようだ。
「で、誰?」
柚原は三奈の隣に座りながら言う。
「高知さんです」
三奈が答える前に松池が言った。高知、と口の中で呟いた彼女は合点がいったように「ああ」と頷く。
「高知三奈か。そういや見たことあるわ」
「え、会ったことあるんです?」
松池が目を丸くする。しかし柚原は「あー、まあ、ちょっとね……。な?」と三奈に視線を向けてきた。どうやらあの夜のことは松池には内緒にしておきたいようだ。
三奈は彼女を見返し、そして少し考えてから口を開く。
「……美桜のとこに泊まった夜、めっちゃ怒りながら怒鳴り込んできた人ですよね。うるさいって」
「あ、おい! なんで言うんだよ!」
慌てた様子で柚原は三奈の肩を掴む。
「怒鳴り込んで……?」
松池が怪訝そうに柚原を見つめている。柚原は頭を掻きながらため息を吐いた。
「ほら、明宮が熱出したときにさ」
「ああ、あのとき……」
松池は頷き、それ以上は何も聞かなかった。柚原はどことなく気まずそうな表情を浮かべながら「あー、で、どういう組み合わせ?」と聞いた。
「なんで二人で一緒に水族館にいるわけ? 仲良いの?」
「なわけないじゃん。たまたま会っただけだし。先生が、一人でこの空間にいるのはいたたまれないって言うから」
「へえ。だから付き合って一緒に座ってんの?」
柚原は意外そうに目を丸くして三奈を見てきた。
「悪い?」
三奈は彼女から視線を逸らし、何も泳いでいないプールを見つめる。フッと笑ったような息遣いが聞こえた。
「いや、全然。全然悪くないよ」
優しい声色に、三奈は横目で彼女を見る。あの夜のように怒りに満ちた表情ではない。彼女はまるですべてを見透かしているかのような笑みを浮かべて三奈を見ていた。
「それより、どうして柚原さんがここに?」
てっきり松池が呼んでいたのかと思ったが、どうやら違うらしい。柚原は「だってさ」と少し困ったような笑みを浮かべた。
「瑞穂がわたしの誘いを断ってまで水族館に行くって言うから――」
言葉を切って、彼女は周囲に視線を向けた。
「ここ、明宮と一緒に来た最初の場所でしょ?」
「そうだけど。でも、わたしはもう別に一人でも……。それに連絡もないまま来ても会えるとは限らないのに」
「うん。そう思ったんだけど、ほら、メッセに書いてたでしょ? 家でご飯でもどうかって。わたしさ、まさか断られるとは思ってなかったから幸に言っちゃったんだよね。瑞穂が来るぞーって」
「え……?」
「そしたらあの子、すっかり瑞穂に会う気になっててさ。今日は会えなくなったって言ったらめっちゃ拗ねちゃって。だから旦那と幸と一緒にここに来たの。幸のご機嫌取りと、万が一にも瑞穂に会えたらいいなと思って」
「で、会えたってわけ?」
三奈が口を挟むと柚原は屈託のない笑みを浮かべて「うん」と頷いた。
「瑞穂はさ、わりと遠くからでもわかるんだよね。目立つから。後ろ姿すら目立つ。ちょっと腹立つ」
「なんですか、それ」
瑞穂は苦笑気味に言いながら背後を振り返った。
「それで、ご家族はどちらに?」
「えっと」
言いながら柚原は振り返る。そして「あそこ」と指差した。そこにはイベントショップがあった。夏休み期間限定のグッズが売り出されているらしい。そのショップの中には多くの客がいたが、その中で子供を連れた家族連れはごくわずか。
「あ、もしかして今レジでお会計してる方ですか?」
「そう。よくわかったね」
「わかりますよ。柚原さんにそっくりじゃないですか、幸ちゃん」
「そうだろう、そうだろう。幸はわたしに似て可愛いから」
三奈は呆れて柚原に視線を向ける。しかし彼女はまったく気づかない様子でショップの方を温かな表情で見つめていた。そのとき、ふいに松池が立ち上がった。
「わたし、ちょっとご挨拶してきますね」
「いいけど、幸に変なこと言わないでよ? あとで怒られるから」
「なんですか、変なことって」
松池は笑いながら観覧席の階段を上がって行く。
「え、ちょ、先生?」
この人と二人きりにされるのは気まずい。そう思って呼びかけたが、どうやらもう彼女の耳には届かないようだ。
「瑞穂、ちょっと元気になったね。昨日よりスッキリした顔してる」
ショップに駆けていく松池の姿を目で追いながら柚原は言った。
松池は笑顔で幼い少女とその父親に挨拶をしている。幼い少女の笑った顔は柚原にそっくりだった。
「あんたと話したおかげかな」
言って彼女は三奈に視線を向けると「ありがとう」と続けた。三奈は彼女から目を逸らしながら「別に、わたしは」と口ごもる。
なんとなく、この人は苦手だ。
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