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チケットを買ったあと、ロビーでふと大学で見たことのある人物が蜜花の視界に入る。巴も気づいたようだ。
「ね、あれ、小野田さんじゃない? 『珠雨くん』て呼ばれてるイケメン女子」
小野田珠雨は女の子だ。女の子だが、蜜花からしてみれば純粋に女の子という枠で括るのは難しい。着ている服も大体男物だし、雰囲気が普通の女の子とは一線を画しているのだ。
「あ、そうだね小野田さんだ。いつもながらカッコいいな。えーでも、あの隣の彼氏かな? ……なんか、ハイスペックな仕上がりの彼氏だね。ああいうのどこで見つけるんだろ。BでLな感じに見えちゃうのはあたしの頭が腐ってるから?」
巴は小さな声で蜜花に耳打ちした。しかしそう思ってしまう気持ちもわかった。珠雨の傍にいるのは背の高い華奢な男で、見方によってはひょろくて軟弱そうとも取れるが、とにかく繊細な作りの顔が良い。穏やかな雰囲気の中にも色気を感じる。
つい二人してはしゃいでしまったら、相手に気づかれた。
「あれっ、偶然だねー。佐倉さんと、南さん……で、合ってるよね」
直接話したことは皆無に等しかったが、相手がちゃんと覚えてくれていたのがなんだか嬉しく、びっくりした。
「二人とも、この映画観るの? 俺……私は今日初めてここ来たんだけど……」
一人称を言い直したのに気づく。こちらに気を使っているのだろうか。
「えっ、うん。そうなの、あたし達映画サークル入ってて。コバト座は穴場だから、ね」
巴も声を掛けられて嬉しかったのか、声が弾んでいる。
「小野田さんは映画好き? サークルどこか入ってたっけ」
「サクちゃん! 小野田さんは駅前の王子なんだから、サークルとか時間ないでしょ」
あまりにも巴が楽しそうに話すので、なんとなく珠雨に対してもやもやと嫉妬心が芽生えてくる。つい蜜花が口を挟んだら、珠雨は怪訝な顔をした。
「王子って何」
まずかっただろうか? ちょっと焦ってなんとか言葉を繋ぐ。
「有名人だよねー? 駅前でたまに演奏してるじゃない。えっと、アコーディオン?」
「バンドネオンね。……いやだから王子って」
失敗した。楽器の名前を間違えて、物知らずと思われたかも知れない。つまらない気持ちを抱いている自分にもがっかりした。何故嫉妬などしたのだろう。内心落ち込んでいる蜜花を尻目に、巴が軽く笑う。
「あは、姫ではないよねえ。ねーねー、あそこで待ってるの、彼氏?」
「……えと」
距離感に戸惑っているのか、まだ彼氏ではなかったのか、珠雨が言い淀んでいる。
「なんか小野田さんとの組み合わせが、エモいよねー。あ、気に障ったらごめん。でもマジで」
「うん、尊いね」
願わくばハイスペックな彼氏と上手く行って欲しかった。見ている分にはおいしい組み合わせだし、何よりも巴が珠雨に興味を持つのが嫌だった。
(あたしだけ、見てればいいのに)
ちりっと胸が痛んだ。
サクちゃんではなく、巴と呼びたいが、どうしてか恥ずかしかった。
(汚い気持ちなんか持たないで、小野田さんとも仲良く出来たら、楽しそうだけど……)
余計なことを考えながらも意外と気さくな珠雨と話していたら、彼氏(仮)がやってきて、上映時間が迫っているのをやんわりと指摘される。時間なのは事実だったので、そろそろ移動することにした。
「もしかしてなんか妄想してる?」
劇場内に足を踏み入れながら蜜花が訊ねると、巴は当然というような顔をした。
「妄想するでしょ、あんなん。でもいいなあ、あんな彼氏いたら」
「サクちゃん彼氏欲しいの?」
「彼氏が! 欲しい!」
「……そっか」
苦笑いしてやり過ごした。
中学受験して違う学校を選んだのは、自分の気持ちにブレーキをかける為だった。しばらく離れていればこの気持ちも忘れることが出来るだろう。当時はそう思っていた。
巴のことが、好きだった。
また出会ってしまったのは、好きでいても良いということなのだろうか。
(そんなわけない)
巴は蜜花をそんなふうには見ていないから。
照明の落とされた劇場内で、映画が始まる。
蜥蜴の尻尾をコレクションしている男が、ある出来事をきっかけに陰謀に巻き込まれてゆくという話だった。日本ではほとんど知名度のない俳優陣だったが、サントラが秀逸で全体的に美しくまとまった作品だ。
巴が隣でスクリーンを凝視しているのをたまに盗み見しながら、ずっとこの時間が続けば良いのにと願っていた。
少し前の方で先ほど別れた珠雨たちが座っているのが見えた。
(なんかいちゃついてるように見えるのは、気のせいではない……いいな)
見てはいけないものを見てしまった気になって、蜜花はスクリーンに視線を戻した。
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