花の蜜

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 映画が終わる頃には外も暗くなってきていた。飲み屋街を二人で歩いていたら、途中でチャラい男たちが声を掛けてくる。 (うわ、ナンパ……やだな)  あまりそういうのに免疫がない蜜花は、どうやって断ろうかとおろおろしていたら、巴があっさりと撃退してくれる。 「あたしたち、デート中なの。ごめーん」 「えー? もったいないよ! オレたちが男の良さ教えてやるってえ」 「ごめん、他当たって。バイバイ」  蜜花の手を引いて足早に男たちから遠ざかる巴の態度は、なんだか慣れたものだ。彼氏が欲しいと言うわりに、ナンパには乗らないらしい。 「……断って良かったの?」 「えっ、ごめん。行きたかった? でもナンパしてくる輩はやめた方がいいよ」 「ううん、全然行きたくないよ。ありがと」  それよりも自分たちがデート中であるという発言に心が浮わついた。勿論それが単なる方便であることはわかっていた。それでも嬉しかった。 「もう、帰る? ご飯食べてく? あ、それともカラオケとか?」  巴が腕時計を見ながら聞いてくる。遅い時間に昼食を摂ったとは言え、小腹が空く時間帯ではあった。しかし蜜花の家は帰宅時間にうるさい方だったので、名残惜しいが帰ることにした。  一緒の電車に乗り、揺れに身を任せる。 「あ、そうだ。今日買ったピアス、付けたげるから出して」 「え、今?」 「似合うか確認したいの」  隣に座った巴がふと思い立ったように提案してきたので、トートバッグから買ったばかりのピアスの入った小袋を取り出す。  きらきらと輝くそれは、巴が蜜花に選んでくれたものだ。巴のピアスは、逆に蜜花が選んだ。  花を(かたど)った淡いハチミツ色のピアスは、多分蜜花の名前になぞらえたのだろう。 「可愛いね、選んでくれてありがと」  既にホールに嵌まっていたピアスを外し、巴に新品のピアスをつけてもらう。 「……なんか、エッチぃね。この行為」 「え、何が?」 「蜜花の狭い穴に、あたしが入れてんの」  ピアスホールにピンの部分を差し込んでいた巴が、耳元で呟く。  息がかかってぞくぞくした。人目があるのに、なんてことを言うのだろう。 「……考えもしなかっ……た」  キャッチを嵌めるかちりという音がして、上手にハチミツ色のピアスが装着された。 「もう一個。左耳出して」 「え、どういう体勢すれば……」 「あー……あたしが移動する。蜜花は動かないで」 「う、うん……」  しかし先程の巴の科白に、変な風に意識してしまい、妙にどきどきした。 「あれ、入らないなあ……ピンが太いのかな?」 「え、右は入ったよね……ひゃ」  巴の唇が蜜花の左の耳朶を柔らかく甘噛みした。 「な、な、なに?」 「ちょっと濡らせば入るかなって。きついんだもん」 「だからって、……前以て言ってよお。びっくりした……」 「うん、ごめんごめん。じゃあ次は実況するね。――あ、入りそ。痛くない?」  ぬるっとピアスのピンが入ってきて、ホールを貫通した。  突然のよくわからないシチュエーションに頭がぼおっとしてしまった蜜花を見て、巴が小さく笑う。 「もしかして別のとこ濡れちゃった? 蜜花は可愛いなあ」 「……別のとこって……何それ」  じわっと涙が滲んだが、それは嫌だからではなかった。ただただびっくりして、どうしたら良いかわからなかったのだ。 「あー、楽しかったぁ。似合ってるよそのピアス」 「楽しくない……」 「今度はあたしにも入れてね。だけど、そろそろ駅に着くから、また今度」 「――ね、恥ずかしいからそういうこと、言わないで」  電車を降り、途中まで暗い夜道を一緒に歩く。小雨が降り始めていたので、蜜花の持っていた折り畳みの傘を開いて二人で差した。 「手ぇ、繋ごっか? 小学生の時みたいに」 「え、……うん」 「蜜花、彼氏出来たら教えてね。あたしも教えるから」 「……うん」  彼氏を作る気などなかった。  巴以外には、興味がないから。  そう言いたかったが、言えなかった。関係が壊れたら、もう二度と一緒に映画には行けなくなる。  駅からは蜜花の家の方が近かった為、家に着いたところで別れた。 「今日は楽しかった! ありがとね、蜜花」 「うん、あたしも。気をつけて帰ってね……サク……巴ちゃん」 「はぁい、巴ちゃんは帰りますよ! あは、言えんじゃん。続けてね!」 「……うん」 「んじゃ、傘だけ貸してくれる? じゃあね、また」  小走りで去ってゆく巴の後ろ姿に手を振り、見えなくなってから玄関の扉を開けた。  巴の行動には、きっとなんの意味もないのだろうが、まだ心臓がどきどきしていた。  甘噛みされた耳朶が、なんだかじんじんと熱を持っている気がした。
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