恋愛傍観者

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恋愛傍観者

 一ヶ月に一度、税理士の津田庚(つだかのえ)は古民家カフェ・ヒトエにやってくる。  カフェの店主である浅見禅一(あざみぜんいち)は金銭的なことはあまり得意ではないらしく、そういったことを庚に任せていた。 「なあ禅一さんよー、ちょっとこれ大丈夫? 儲け考えて動いて」  パソコンとにらめっこしていた庚の良く通る声が、閉店後の店内に響いた。  このような砕けた口調で顧客に接するのは、普段の庚からしてみればありえない。  本当はもっと早い時間に来てくれて良いと言われていたが、庚はいつもカフェの客が捌けたあとに来ることにしている。禅一としては住まいも兼ねているので何時になっても構わないようだったが、庚の帰りが遅くなる。それでも客がいない時を狙って来訪するのは、気兼ねなく話したいからだ。  年齢が同じなのもあって、お互いに話し易い。しかし禅一をさん付けで呼ぶのは、庚にとってその方がしっくり来るからだった。 「え、そんな赤字だった?」  のんびりと返す禅一は、庚のテーブルにカフェラテを静かに置いた。 「サンキュ。……赤字ってほどではないけどさ、少し心配になるレベル。オープンしてそんな間もないんだし、もっと宣伝したらいいと思うよ。禅一さん折角の容姿を活かしきれてないわぁ。イケメンの無駄遣い。――はい、今月の業務終わり」 「お世話様」  ここからは仕事以外の時間になる。  カフェを開いてまだ数ヶ月だ。まだ地域に馴染んでいないのもあるだろうが、集客率がさほど良くない。禅一はこの土地の出身ではなかったから、知り合いもほとんどいないだろう。けれど当の禅一は呑気なもので、焦る気配はなかった。 「ぼちぼちやってければ良いと思ってるからなあ、独り身だし……あまり繁盛しちゃっても、大変だろうし。それに、どこにでも転がってるでしょう、僕程度の人は。特に付加価値を感じない」 「相変わらず自分のことには無頓着ですなあ……ね、俺と一晩付き合ってくれたら、いい売上アップ方法考えてあげるよ? ど?」  本気とも冗談とも取れる口調の誘い文句に、禅一はあっさり笑顔でかわす。 「あー、ごめんね庚くん、そういうの受け付けてないんだ」  慌てることもない禅一に、庚はつまらなそうな顔をした。 「断り慣れてんのな」 「え、別に? ただ、庚くんと一晩と言われてもね……他に答えようがないから」  不思議そうに返した禅一の態度に、なんて張り合いのない男なのだろうとため息が出る。 「……つまんね」 「庚くんは税理士っぽくないよね。よそでもそんな感じ?」 「禅一さんだけだよー。よそでは品行方正な津田さんで通ってるもん」 「じゃあ僕にも品行方正を貫いたらいいと思うよ」 「いやあ今更。俺と禅一さんの仲じゃんか……では浅見さん、ご希望の通り私は今後ビジネスライクに対応いたします……どう? どう?」 「……なんか違和感があるね。いいよもう、庚くんの好きにして」  禅一と庚はカフェを開いてからの付き合いだが、単なる個人事業主と税理士の間柄とは言い切れない。税理士としては月に一度の来訪だが、仕事の合間に客として立ち寄るし、たまに一緒に飲みに行くこともある。  最初の頃は確かに品行方正だった。時が経つにつれこんなふうになってしまったのは、酒が入った時に一度庚が壊れたからだろう。あそこからお互い気を使わなくなった。 「でも真面目な話、たとえばSNSで宣伝するとかさ。アカ作って、店の紹介とかして。禅一さんが顔出しすれば集客率アップ間違いなし」 「アドバイスはアドバイスとして受け取るけど、庚くんは税理士であって、経営に口出す必要はないんだよ。大丈夫、店の方が赤字になっても、別のとこで帳尻合わせてるから」 「兼業の翻訳っすか。俺正直そっちの方把握してないんだけど、偽名使って書いてるん? ていうか確定申告に必要なんだから把握させて」  偽名と言われて禅一は微妙な顔をした。 「わかった、あとでそっちも任せるから少し時間くれる? 一応は混ざらないように口座別にしてるんだよねえ」 「結構収入ある?」 「懇意にしてる編集さんが仕事回してくれるから、まあまあの収入にはなるよ。小説だけじゃなくて、名前の出ないこまごました仕事も馬鹿に出来ないし。僕は、ほんと英語とは相性良かったんだ。他はあんま駄目だけど。特に数学と体育」 「その編集って、女?」 「そうだね、女性だけど……それが何か?」 「寝たりすんの」 「……え、なに。僕がそういう営業してると? 庚くん失礼じゃない?」  禅一は眉を寄せて抗議する。しかし庚は詫びることもせず、ポケットからタバコを取り出す。 「あ、うち禁煙なんだよね。店にヤニ付くの嫌なんで」 「はっ? 自分だって吸ってるじゃん」 「僕のは電子タバコ。タール0」  禅一はにこりと笑みを浮かべ、庚の手から昔ながらのタバコを奪う。 「いつから電子タバコにしたん? 前は普通の吸ってたりした?」 「そうだねえ。軽いの吸ってたけど、店開いた辺りでシフトしたかな。だからまだ一年経ってない。すぱっとやめるのが一番なんだろうけど、やっぱり何もないと口寂しいんだよね」  しみじみと言いながら、禅一はこれ見よがしに電子タバコを口に咥える。白い水蒸気が上がり、微かな匂いが宙に漂った。 「わかる。俺何回も禁煙してるけど無理なんだよ。……電子タバコってどうなの? 吸ってみたい」 「いいよ……じゃあ、吸うとこ交換するから待って」  禅一は自分の電子タバコの吸い口を取り外そうとしたが、庚に止められる。 「そのままでいいよ。味見するだけだから」 「衛生的にどうかと思うよ」 「いいからぁ、貸して」  庚は電子タバコを禅一から強奪すると、不慣れな感じで吸っている。 「……なにこれ。うーん」 「いろんなフレーバーがあるんだよ。面白いでしょ」 「俺は普通のタバコが好きだわ。……はい、間接キスごちそうさま」  にやりと不敵な笑みを浮かべて、庚がそれを返した。 「間接キスってなんか面白い?」 「……いや大して。リアクション見たかっただけだけど、予想以上の無反応だな。なあ、禅一さんの立ち位置がよくわからんのだけど、ゲイに偏見ない感じでそれはいいんだけどさ、禅一さん自身はノンケなの?」  覗き込むような上目遣いで質問を投げた庚は、言ってからちょっと気まずくなったのかすぐに目を逸らした。 「ノンケ?」 「それともゲイなの?」 「あまり考えたことはないけど、恋愛対象は出来れば年上の女性が良いね」  庚が酔っ払った際の言動で、ゲイであることは禅一にバレている。しかし特に過剰反応を示すこともなく、揶揄も拒否もされず好奇の目で見られることもなく、普通に今に至っている。 「ふーん。付き合ってる女いるの?」 「いや……今はそういう存在はいらない気分」 「禅一さん28歳の男だよな?」 「うん、庚くんと一緒だね」 「ムラムラした時どうしてんの」 「……さっきから庚くんは僕に何を言わせたいの? 寂しいのかな?」 「うん、そお……いかにも淡白な禅一さんに、めちゃくちゃにされたいなーっていう願望がね、俺の中にあって」  ここまで明け透けに言ったところで、ようやく反応らしきものがあった。しかしそれは照れ或いは嫌悪とか言った類いのものではなく、困惑混じりの窘めだった。 「うーん、だからね。僕は役に立たないよそういうのは。さっき断ったでしょう」 「EDかなんか?」 「庚くんてほんと失礼だよねえ」  禅一は呆れたように呟いて、コーヒーに口をつけた。
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