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数日前の夕方。
サラリーマン風の一人客が古民家カフェ・ヒトエの奥の席に座っていた。男はメニューに目を落として、店主である禅一を呼ぶ。
「この、プラス100円の店主10分てやつ、試しに頼んでいいですか」
禅一の遊び心で、下の方の目立たない場所にオプションメニューを用意してあった。たまに注文がある。
「どういったことをご所望ですか? お話するか、ちょっとしたゲームするとかになりますが」
男性にオプションを頼まれたのが初めてだった禅一は、内心戸惑っていた。
「うん、話したいかな……ちょっと色々。10分で済むかわからないけど。駄目でしょうか」
「いいですよ。途中他の対応で離席させていただくこともありますがよろしいですか?」
「はい」
「では、お飲み物はどうされます?」
「ブレンドコーヒー、ホットで」
「かしこまりました」
にこりと笑んで一旦下がった禅一は、少しして男と自分のコーヒーをトレイに載せて再びやって来た。
「前失礼しますね。ブレンドコーヒーお待たせしました」
「どうも……」
「僕はここの店主の浅見禅一です。お客さまはなんとお呼びすれば良いでしょう?」
「七尾です」
「七尾さん……、あ」
その名前に禅一は何か思い当たる節が合ったようで、一瞬停止する。しかしすぐに取り繕い、言葉を繋げた。
「では七尾さん。何かお話したいことございますか?」
「その前にちょっと……浅見さん。失礼ですが、眼鏡外してみて貰ってもいいでしょうか」
「はい?」
「ちょっとだけ」
禅一は視力がかなり悪く眼鏡を掛けていたが、仕方なくリクエストに答える。
「はい、こんな感じです」
「ああ……やっぱり。ありがとうございます。もう大丈夫」
「あ、もう良いです?」
なんだったんだろうと疑問に思いながらも眼鏡を掛け直す。目の前の七尾は、禅一の顔をじっと見つめながら、ため息をついた。
「えー……なんでしたっけ。僕の顔に何かついてます?」
「あ、違うんです。すみません不躾に……実は、ですね。俺には付き合ってる人がいまして……いや、正確には、付き合ってた、と言った方が良いのか……」
言いにくそうに話し出した七尾は、コーヒーに口を付け、言葉尻を濁した。
「仲違いでもされたんですか?」
「……です。まあきっかけはつまらないことなんです。だけど少し距離を置いて頭を冷やそうと思っているうちに、なかなか連絡しづらい状況になってしまい……」
「相手の方からもご連絡はないんですか?」
「一向に」
七尾の声はどんよりと重い。ああ、これは10分では済まないな、と禅一は思ったが、顔には出さないでおいた。
恋愛相談を受けることが、何故か多い。それはカフェを開く前からそうだったが、自分に相談されても解決しないのに、と禅一は常々思っている。それでも聞いてあげるのは、それは実は相談ではなく、当人の心中の整理作業だからだ。
「ご連絡されたら良いのでは。連絡先が変わったのでしょうか」
「いや……変わってはないと思います。ただ気が重くて出来ないだけで」
「ずっと気が重いままお過ごしになるのを良しとしますか?」
「そんなわけないでしょう」
「ですよね。じゃあ一択では? 勇気を出して、七尾さんから電話なりメールなりしてみたら良いと思います」
むきになった七尾に対し、禅一は穏やかに笑んだ。
少しの沈黙が落ちる。
店内に流れる音楽を聴きながら、禅一は相手の言葉を待つ。こういうのは急かしても良くないし、自分はただ聞いてあげる立場だ。
「……実はその仲違いの原因というのが、浅見さんでして」
「え……はい? 僕ですか?」
のんびり構えていた禅一は、思っていなかった方向からボールが飛んできたので、何度かまばたきした。
「誰とは言いませんが、俺の付き合ってる人は浅見さんと面識がありまして。浅見さんをやけに褒めるんです。あんな可愛い顔の男はなかなかいない、華奢で細くて、同い年の男とは思えない……とかなんとか。一体どんな男だと思って偵察に来た次第です。確かに浅見さんの顔面偏差値ヤバいです。あいつの好みだなって……すみません」
七尾は気まずそうにゴニョゴニョと呟いている。しかし言いたいことは大体禅一に伝わって、思わず苦笑いが出る。
「あ……えー……わかりました。僕は当て馬ですね。大丈夫ですよ」
「当て馬?」
「七尾さん、もっと強気に出ても良いのでは? 僕はそのお相手ではないのでわかりませんが、第三者を褒めた上で、例えばですが、『俺だけを見てろ』的なことをね、言って欲しかったとか。そういう可能性なくないですかね」
「……ど、うでしょう。なんとも」
「一応お伝えしておきますと、僕は今誰ともお付き合いする気はないので、その辺も大丈夫ですよ」
「……そうなんですか」
「まだ僕に確認したいことありますか?」
七尾は自分の腕時計を見て、既に持ち時間を過ぎていることに気づいたようだった。
「いえ、ありがとうございます。少しすっきりしました」
「またどうぞ」
何か考え始めてしまった七尾にお辞儀をして、その場から離れた。
禅一にしたら本当に苦笑いしか出ない。七尾の名前は以前耳にしたことがあった。
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