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3/5部 怪僧・南光坊天海-明智光秀は三度死ぬ《転・前》estar.ver
疫病、疫病と、世間は騒ぐ。気づいちゃいねぇ?大丈夫ですかねぇ?その裏で赤鬼が我が世の春よ、とやりたい放題。異議を申し立てる大国も、赤鬼に犯されて政権交代を迫られている。この世の終わり、ハルマゲドン。生きている間に見られるとは、嬉しいやら、悲しいやら。もうすぐ、息するにも赤鬼の顔色を伺う日々が訪れます。若い方々、ご愁傷様。無関心を気取っていられるのももう少しで御座います。せいぜい、無関心・無知を後になって嘆きなされ。おっと、世の中、捨てたもんじゃありません。気骨な方もおられるようで。少数派の愚か者と罵られても、天に変わっての赤鬼退治と意気込む、令和の桃太郎さんたち。あなたたちの活躍を草葉の陰から応援させて貰います、ほな、御気張りやす。
天海は、大坂・堺にいた。
関ヶ原の合戦後、その経緯と結果を資金、人材と何かと世話になった越後忠兵衛たち閻魔会に報告する為にだ。
越後忠兵衛たちは鉄砲商人を隠れ蓑に、裏では闇貿易、諸大名への貸金業で莫大な資金を得ていた。その資金を基に、自分たちに都合のいい政府を作るため、闇の組織、閻魔会を結成し、暗躍していた。
今回は、その忠兵衛の要請を受けての閻魔会への出席だった。関ヶ原の合戦秘話を、講釈師のように皆に語って欲しい、と言う要望だった。
天海にとっても好都合だった。久々に合戦場に趣き、血が騒いでいた。この思いをそばに居た者とし、記録簿として残したかったからだ。
「ほな、早速でおますけど、始めてくれやす。あっ、皆さんは、会食気分でご自由にお聞きくださいな」
「ほお~、楽しみで御座いますなぁ」
「なんせ、わてらには、詳細は伝わってきまへんからな」
「ほんに、あんな大きゅうな戦いが、たった一日で終わりましたからな」
「わしなんか、妾の所で一戦を終えてさあ、と思うたら、もう終わってましたわ」
「おさかんで、よろしゅう御座いますな」
「まだまだ、若おまっせー」
「はいはい、皆さん、そう興奮せんと。天海殿が笑っておまっせ。すいまへんな、こうして集まるのは、久しぶりでしてな、皆、湯治場にでも来たような気分でしてな。許してやってくだされ。ほな、改めて、始めてくれやす」
「では、気軽に聞いてくだされ」
「ほお、始まる、始まる」
「なんか、興奮しますな」
「これこれ、天海殿を困らせないでもらえまっか、ほな、どうぞ」
天海は、裏では暗殺も諫めない者たちが、子供のようにはしゃぐ姿を見て、自分が歌舞伎役者にでもなったような気分で、悪い気はしなかった。
「それでは、関ヶ原の合戦秘話をごゆるりとお聞きくだされー」
天海は、その場の雰囲気に合わせ、少しおどけてみせた。
「よー、始まる、始まる」
「初めにお断りしますが、敬称は略させて頂きます。では、事の発端は、秀吉がなくなったことから、始まりまする。残されたのは、子供。それも、正室の「ねね」ではなく、側室の「茶々」との間にできた子、その名を豊臣秀頼と申す」
「秀吉様もごさかんじゃのー」
「そうですな。さて、まだ若き秀頼に政治など任せられるはずがない。用意周到な秀吉も死を悟った頃から、それを案じていた。そこで、秀頼が成人するまで、五大老と五奉行の合議制で政治を行わせようと致しました」
「そら、そうじゃな。折角、築いた新台を他人には渡したくないわな。しかし、五大老とか五奉行というのは機能してなかったのでっしゃろ。機能していたら、この合戦は、違ったものになっていただろうに」
「まあまあ、そんなに先を急がされずに。でも、流石にお察しがいい」
そう天海に言われ、難波小次郎は、少年のように顔を赤らめた。
「どうぞ、先にお進みくだされ」
「では、お言葉に甘えて」
会場は、笑いに包まれていた。天海は、才覚と冷酷さを兼ね備えた食わせ者たちのことを、憎めないでいた。むしろ、立場は違えど、自分を信じ、邁進する男達に、共感さへ覚えていた。
(天海)
「では続けまするぞ。五大老は、武闘派の徳川家康を筆頭に、前田利家、宇喜多秀家、毛利輝元、上杉景勝の五人。一方、五奉行は、豊臣秀吉の信頼を得ていた文治派の石田三成を筆頭に、浅野長政、前田玄以、長束正家、増田長盛の秀吉の家臣五人衆でした。五大老は、250万石の徳川家康から、55万石の宇喜多秀家までの大大名たち。五奉行は、秀吉家臣ではあったが20万石が最高禄高という格差」
(成田重信)
「そんなに、格差があったんかいなぁ。貧乏人の五奉行が、大金持ちの五大老を抑えるなど、土台無理な話ですよ。これじゃ、戦わずして勝敗が期していたのではありませんか。なぜ、秀吉様とあろうお方がそんな過ちを犯したのであろうか。平和ぼけ、と言うことでしょうか」
重信が、即座にそろばんを弾いいた。
(天海)
「そうで御座いますな。しかし、政治とはそんなに簡単には参りませぬ。皆さんも武士になって、戦おうとは思わないでしょう。誰しも、戦いなど仕度ありませぬ。お互いの面子を重んじて、均衡を保っている。その面子とは、家柄や格式、人間関係の濃密さです。それらが、複雑に絡んでおりましてな、その均衡がある思惑によって崩れた時、戦は起こります。何せ、誇りと大義名分の世界ですからな。だから、武家社会とは面白く、厄介なもので御座いますよ」
(重信)
「その面子とやらを金の力で解決しようとすると莫大な資金が必要じゃな。例え、お金を掛けても、思うような効果は得られますまい。死に金は、使いたくないわな」
重信は、面倒臭い武士でなく、商人で良かったと実感していた。
(天海)
「家康は、秀吉の決めたこの制度に、不満を抱いていた。筆頭である自分が、禄高の低い五奉行の指図を受けかねない立場にです」
(長七郎)
「何故、秀吉様は、家康様に全てを任せなかったのでしょう」
植野長七郎は、素朴な質問を投げかけた。
(天海)
「そうですね。そうしていれば、合戦はなかったでしょう。いや、本音を言えば、家康が、秀頼の教育係りに付いていれば、匠に秀頼を取り入れ、豊臣家の血を流すことなく、牛耳っていたことでしょう。それでは、豊臣政権は名前だけのものに。秀吉はそれを嫌ったのです。家康の暴走を食い止める事が、豊臣家の繁栄を維持する。共存は即ち、乗っ取りと考えていたと言う事です。秀頼が成人するまで家康に託す。それまでに家康がなくなるかも知れない。それに掛けていれば、歴史は違った意味で変わっていたかも知れませぬな」
(忠兵衛)
「権力を握った孤独な独裁者は、さもしいもので御座いますな、天海殿」
(天海)
「忠兵衛さんが言うと、真実味がありますな」
一同は、ごもっともごもっともと、大笑いした。
(天海)
「家康は、不満を蹴散らすように秀吉の遺言を無視してみせた。反政府勢力拡大を恐れた秀吉は、大名同士の婚姻を原則禁じていた。それを、嘲笑うように家康は実行した。それによって、家康は、親派を増やしていったのです。これも、秀吉の疑心が招いた失策でしたな。黙認していれば、地盤を固められたことでしょうに。それによって、家康を追い込めたかも知れませぬ。人は人を疑い始めた時から、転げ落ちていく、良い例ともいえるでしょうな」
天海は、人を疑う危うさを閻魔会の者に伝えたかった。
しばしの沈黙を破ったのが田崎新右衛門だった。
(田崎新右衛門)
「それを見て見ぬ振りができなかったのが、三成はんですな」
(天海)
「その通り。石田三成が、黙っているわけがありませぬ。家康に、勝手に縁組をされるのはいかがなものか、と家康に意見しますが、済まん、済まん、ボケておるようじゃ、許せ、許せ、と言いつつ、懲りもせずに縁組を推奨した。これには、三成もいい加減になされよ、と苦言を呈するも、分かった分かった、本当にボケておるな、と聞き流す始末。この頃から、三成は、家康の勝手な振る舞いは、豊臣家の危機と実感し始めたことでしょう」
(鴨家佐助)
「三成からすれば、家康は邪魔者以外の何者でもないですな。私たちなら暗殺が、視野に入る出来事ですな」
と、佐助の後、直様、成田重信が茶々を入れた。
(重信)
「ほお、怖い、怖い」
(鴨家佐助)
「そなたらも、同じ思いでしょう。私だけみたいな言い方は、やめてくだされ」
佐助は閻魔会で、何かとツッコミを入れられる人物だった。
(天海)
「そうですね。事実、織田信長は、将来の家康を考え、暗殺を企てています。何を隠そう、その刺客に任命されたのが、昔の私、明智光秀でしたから。秀吉、三成とも暗殺時期を逃してしまった。それ程、家康は勢力を拡大していた。また、三成に暗殺の発想はあっても、それを実行する信頼できる駒がなかった。仮に実行しても、その事後処理など出来ようもない。家康暗殺は、自身の暗殺に繋がる連鎖を三成は、嫌ったのです。既に五奉行で、家康を抑える限界も感じ取っていたことでしょう」
(成田重信)
「私らに依頼されれば、なんとか出来たかも知れませんな」
(忠兵衛)
「これこれ、そのような事、軽々しく言うものでは御座いませんぞ。ましてや、家康様と行動を同じくされている天海殿の前で」
(重信)
「あっ、これは失礼致した。今のは聞かぬことに」
一瞬、我に返り、重信は自分を諌めた。
(忠兵衛)
「そもそも、私たちが何故、家康様側に就いたか、お忘れか。秀吉が、私たちの既得権を奪おうとしたからでしょう。その為に次期、天下人になり得る家康様を信長の暗殺から救う事で恩を売り、貿易枠、商売への便宜を計って貰えるようにするためでしょう」
忠兵衛は、行動的ではあるが、口の軽い重信を諭した。
(重信)
「そうでしたな」
閻魔会で突出した存在だった忠兵衛に諫められた、重信は萎縮していた。和やかな場が一瞬、氷ついた。
(忠兵衛)
「済まん、済まん、重信どん。私もまだまだ器が小さいは。許せ、許せ」
(天海)
「おや、忠兵衛さん、家康様と同じことを言ってなさる」
(忠兵衛)
「ほんに、そうなれば、差詰、重信はんは、三成か」
(重信)
「よ、よ、よしてくれ、私はまだ死にたくはない。くわばら、くわばら」
一同は、笑いに包まれ、また和やかな雰囲気を取り戻した。
(天海)
「さて、家康は、三成が自分を厄介者と感じ始めたことを確認すると、なんとか三成から喧嘩を仕向けてくるよに模索していた。同時に争いごとになった時、より多くの味方と大義名分を得るため動いたのです」
(佐助)
「家康様は、本当に噂通り、狸ですな。十分な財力と軍事力を持っているにも関わらず、被害者面をして、事を起こし、自分を正当化する。うん、本当に狸ですわ」
佐助の意見に天海は、ほんに、ほんにと笑顔で返した。
(天海)
「そうですね。周りを引き込み、仲間を増やす。そこが独裁者色の濃い、信長や秀吉との違いですね」
(近江蔵之介)
「周りくどいやり方じゃのー」
と、閻魔会では、武闘派の元武家の近江蔵之介がイラつきながら言った。
(天海)
「そうですね。目の前の事だけを見れば、焦れったいやり方です。しかし、そのあとの事を考えれば、決して無駄な動きではないのです。焦って事を起こせば、次に首を狙われるのは自分になる。その時、力のある者を如何に多く、味方につけているか否かで、その後が大きく変わりますからな。家康は、先の先を読んで、行動する堅実な方なのです。私も、行動を同じくして、それがよく分かりました」
(蔵之介)
「成る程ねぇー、侍さんの世界は、人間関係がまどろっこしくて、いけまへんわ。ほんと、商人になってよかったわ。私が武家社会に居れば、もうこの世におらんかも知れまへんわ」
近江蔵之介は元武家の身分。武家社会に嫌気を差し、家を飛び出て知り合ったのが大棚の娘・お佳代だった。そのまま婚姻。一から商売を覚え、今に。
(植野長七郎)
「蔵之介さん、足はありますかいな。鞍上確かめた方がよろしおまっせ」
(蔵之介)
「ほれ、この通り、ありまんがな。冗談がきつおますで」
あはははは…
(天海)
「鬼のいぬ魔の洗濯。家康は、三成の元を離れる機会を。三成は、家康が秀頼の元を離れる機会を探っていた。秀頼は、生真面目な三成より、色々教えてくれる家康を信頼していたのです」
(長七郎)
「それなら、秀頼を取り込み、三成を追いやればいいのでは」
と、ぼそっと呟いた。
(天海)
「そうですね。それには時間が足りな過ぎました。秀頼はこれからの人。家康、私も、皆さんも、老い先を数える方が早い。波風少なく起こすには、時間が掛かる。じっくり構える程、残された時間はない。この矛盾の中の葛藤で御座いました」
(長七郎)
「成る程、前門の虎、後門の狼、行くも戻るも、地獄と言うか苦難か。ならば、最善の道を模索し、突き進むしかありますまい」
と、感慨深く言葉を吐いた。
(天海)
「そう言う事です。事を早期決着させるのは、戦うのが一番の早道。その大義名分を探していたのです、家康は。そこに格好の出来事が舞い込んできた。上杉景勝の件です。後の関ヶ原の合戦のきっかけともなる出来事のひとつです。五大老の一人、上杉景勝は、越後から陸奥会津に加増転封となっていた。そこで、新たな領地の整備、城の修復、新兵の増加などを行っていた。そこに家康は目を付け、景勝、謀反の兆し有り、道の整備に新兵増加を断りもなくやっておる、説明に来い、と書状を送った。景勝にとっては、はぁ、って感じでしょうな。新たな領土の整備、それに伴う道の拡張や新兵の増加は、当然の行いですからな」
(宮本小次郎)
「そらぁ、いちゃもん以外の何者でもありまへんな。上杉はんとっては、とんでもない所から、偉い災難が、降りかかってきたもんですな」
(天海)
「そうで御座いますな。当然、何をおっしゃているのか意味が分かりませぬ。と、当初、景勝は丁寧に返事をしていましたが、余りにも、しつこいから、家康殿こそ、約束事を守らず、婚姻を推進されているではあるまいか、と応戦。それども収まらない言いがかりに、上杉家の重臣、直江兼続も、堪忍袋の緒が切れてしまい、売り言葉に買い言葉ではないでしょうが、次に書状を持ってきたなら、その使いの者ごと、切り捨てるって。更に文句があるなら掛かってこい。相手をしてやると、啖呵を切ったから、収まりがつかなくなりました。それを受けて家康は怒り心頭。早速、謀反を企てる上杉家を征伐にいくぞー、と態々大軍を引き連れて大坂城を後にするのです。三成の元を離れる口実を手に入れた訳ですな。その時、家康は、これで三成が自分を討つ企てを実行するはずと、高笑いされておりましたよ。家康にすれば、上杉家を討つなど毛頭ない。成り行き上、目立ってきた武将に自らの力を見せつけ、押さえ込む程度の軽い気持ちでしたからな」
(長七郎)
「やっぱり、質の悪い狸じゃありませんか、敵にはしたくありませんなぁ、付き合うだけで大変ですよ」
と、呆れ顔で言った。
(天海)
「そうですな、あはははは。でも、期待通りに三成は、家康の勝手な行動に不満を抱く大名と繋ぎを取り、家康征伐の画策を行っていましたらな。家康は、将来、邪魔になる反逆軍を一掃したい思惑があった。案の定、石田三成は、百戦錬磨の大谷吉継を担ぎ出し、増田長盛、それに毛利家の坊主・安国寺恵瓊たちと密談し、打倒、家康、を旗印に仲間を集めに、躍起になっておりました。毛利輝元にも、我が軍の大将にと懇願し、安国寺恵瓊を介して仲間に引き入れてた。準備が整った三成は、打倒、家康へと出陣を決意するのです」
(佐助)
「火のない処に付火ですか、怖い怖い」
と、おどけてみせた。
(天海)
「そうですね。これを知った家康は、各大名の意思を早急に、確認するのです。上杉征伐に向かわせた軍には、豊臣親派ともいうべき、黒田長政、福島正則らがいたからですよ。彼らを敵にまわせば、厄介なことになる。それを案じた家康は、軍を引き返させ、清洲城に集結させた。黒田、福島は、三成と考え方の違いから、東軍に賛同する。
しかし、待てども、一行に、家康は清洲城に来ない。「家康は何をしておる。何故、駆けつけぬ、我らだけで戦えと言うのか」清洲城に集まった大名たちからの不満が、出始めた。そこに家康は、使者を送り込むのです。「美濃に居て、三成の立ち寄る岐阜城を攻めぬのは何故か」と、小馬鹿にしたような伝達内容だった。これに憤慨した大名たちは、直ちに岐阜城に出向き、攻め落とす。このことを知った家康は、やっと動くのです。
家康にすれば、その大名たちを信じるに値するかの踏み絵として、岐阜城を攻めさせたのですよ。その頃、家康は江戸城にいて、何もしなかった…わけでなく、私と共に敵・味方へ、それぞれに心を揺さぶるような手紙をせっせと書き、送っていたのです。それはそれは、まめに出しておりました。さあ、いよいよ、関ヶ原で激突です」
(長七郎)
「ああ、光秀殿、いや天海殿。激突前の大坂で三成が犯した人質事件で、お玉様が…、遅ればせながら、お悔み申し上げます」
と、天海に深々と頭を下げた。天海は、黙って手を合わせた。他の者も、手を合わせ、場は一瞬静まり返った。ただ、忠兵衛だけは、にやりと笑っていた。
(天海)
「お気遣い、ありがたく思います」
やっていることは決して褒められないが、仲間を思いやる礼節がある、と天海は、胸を熱くしていた。
(天海)
「では、続けますよ。三成の西軍は、東軍を見下ろす優位な布陣を得ていた。東軍には大きな誤算が生じた。真田昌幸軍二千人が、家康の息子である秀忠を足止めすることになる。秀忠もよせばいいのに、行き掛りの駄賃と手柄を上げようと、真田軍に手を出した。その結果、軍勢三万人が、合戦に間に合わないという失態を犯すのです。これには、家康も私も、呆れ果てるしかなかった。家康・私の望みとしては、西軍武将たちの経験不足にかけるしかなかった。結束の薄さ、合戦そもそもの意味合いが浸透していないこと。軍勢であっても、決して一枚岩ではない、そこに活路を見出していたのです。
西軍武将を切り崩すために、この戦いが本来、何の為の戦いかを解くことに、重点を置き、文に託し密偵を送り続けた。東軍は簡単だった。三成への不満を掻き立てれば、反逆精神でがっつりと一枚岩を築けましたからね。
合戦時の詳細は、後ほどに。
勝敗は、あっけなくというべきか、一日少しで、決着がついた。真田昌幸が、秀忠の三万の軍勢を足止めしたのに、何故、西軍が敗退したのか。優位な立場を活かせず、敗退したのはなぜか。
勝運とは、一瞬の判断で流れが変わるものです。それは、理屈ではなく、経験と勝負感が大きく左右することを私も実感しましたよ。
三成は、武将の失態をほじくり返し、思慮浅く、結論を自分都合で出していた。そこには、失態の反省、学びも活かされず、ただただ武将たちの評価点を下げる為のみに活かされた。現場を軽んじた、文治体質の敗戦と言えるでしょうね。その例が、勝敗を分けたあの雨の日の夜…。
戦に慣れた島津義弘が、夜襲をかけよう、と進言したのを、合戦場において危険だから、と言う理由で三成は却下した。如何にも、現場の流れを読めず、机上での戦いの浅はかさが、露見したものでした。でも、その義弘の三成への不信感が後に家康への追い風になるから、勝負事は面白いものですなぁ。
まだ、小早川秀秋が寝返っていない折りに、島津義弘の言う通り、夜襲を掛けていれば西軍が、勝利していたかも知れませぬ。夜襲の件は、家康とも話し合った。その結論がまさに、三成は、勝負師でない。よって、危険を避けるはず。と読み、我らは、寝返る可能性のある武将たちに、使者を送り、交渉の時間として活用できたのです。頭は切れても、武将としての勝負感は、三成にはなかった。大将の気質の違いが、合戦の勝敗を決めた、と言っても過言ではないでしょうな。
驚かされたのは、島津義弘の正面突破ですよ。後に、あの場にいた者から、面白い話を聞きました」
(忠兵衛)
「ほぉ~何で御座います。ぜひ聞きたいものですな」
と、口を挟んだ。
(天海)
「それはね、無謀とも思える正面突破は、義弘の怒りの現れだったのでは、と。聞くところに寄りますと、義弘が「馬鹿者目が」とか「愚か者目が」とか「あの時、言う通り攻めていれば」とか「所詮は頭でっかちの臆病者目が」とか「あんな臆病者と戦えるか」「なぜ我らが血を流す」など、刀を振り回す度に、怒涛のごとく吐き捨てていたらしく、怒りの矛先が、東軍である自分たちに向けられたものでないことに、呆気に捕らわれ、戦意を失ったそうです。
対面した者がはっと我に戻った時には、島津軍勢の中団が目前にあったらしく、対応が遅れたと。
一枚岩に見えた三成率いる西軍。その大半が、本音で言えば、三成に対する不信感を抱いていたと言うことが明らかになった出来事ですかな。
立場上、仕方なく合戦に参加し、その場に至っても、参戦していることに納得出来ていない、水と油の軍団では、勝機はありませぬわな。
我らは、戦う前から、武将に文を送り、個々の不条理を調査し、彼らの心を惑わす不安感を煽り続けていました。
謂わば、心裡の戦い。飴と鞭。相手を理解し、寄り添う。そうすることで戦前より、西軍につくも心は東軍、と言う武将を取り組むことを成し遂げたのです。「大事なのは、目的を見えるものにする」ことですよ。
小早川や島津、毛利が動かなったのも、疑心暗鬼の葛藤がそうさせたものと、いや、そうするだろうと、我らは考えていたのですよ。
今や戦いは、軍勢の大小や、刃を交えることではなく、情報戦の色合いが濃くなっていますからな。
特に今回の戦いは、大義名分が明白でなかった。戦う側の者にとって常に「何故?」が付きまとう完全燃焼できぬものでしたからな。
服部半蔵を中心とした伊賀者や、閻魔会からお借りした、忍び崩れの者、特に、くノ一の方々の情報が、本当に役立ちました。この場を借りて、お礼を申し上げると共に、願わくば、彼らを労って頂ければ幸いかと。
心中、お察しくだされ。家康からも、礼を言っておいてくれと、預かっておりまするゆえ。その見返りとして、秀吉が、そなた等から奪おうとした利権は、家康に見て見ぬ振りをすると、約束を頂いております。
豊臣派が今後、何かを言ってきても、さらりと交わし、狸面で、我関せず、馬耳東風となさるでしょう。
政治は、秋の空。しかし、今当分は、ご安心くだされ。何か動きがあれば、事前に報告を致しましょう。
実は、私たちの思惑が及ばぬ点が、ひとつだけありました。それは、豊臣秀頼を戦場に、担ぎ出せなかったことです。秀頼の母である淀君の強固な「秀頼、参戦ならず、の駄目出し」それを切り崩すだけの、秀吉親派を揺さぶる札を用意できなかったこと。
その代わり、秀頼が大坂城に居座ることを逆手に取り、「手薄になった大坂城を乗っ取るぞ」、とうい嘘の情報を流し、邪魔な毛利輝元軍を、大坂城に足止めさせることに成功した訳です。合戦後も、難攻不落の大坂城には、豊臣派が胡座をかいております」
(長七郎)
「これから、豊臣家を、どう処理なされるつもりか」
と、天海に問いかけてきた。
(天海)
「取り敢えず、三成に賛同したことを理由に、豊臣派をできる限り、多く処罰します。首謀者は見せしめの為に斬首。あとは、寝返る者は条件を突きつけ、飲めば、受け入れます。牙は抜いてですが。大半は大幅降格ですね。
また、東軍の武将より西軍の武将と関わりのある者から、減刑の嘆願書が幾つも届いております。この武将たちの関係性も今後に生かす所存。
参戦しなかったら、こんなことにならなかったという被害者意識は、我らにとっては、捨て駒として、今後、大いに利用価値があると考えております」
(新右衛門)
「怖い人だ。天海殿は。淡々と話される内容には、感情と言うものが感じられない冷酷無比と言うのか、味方にすれば、頼もしいが敵に回すのは、ご勘弁願いたいと、思わせる雰囲気を持たれておりますな」
波乱万丈の人生を歩む天海に田崎新右衛門は好奇心を掻き立てられていた。
(天海)
「そう見えますか…それは、田崎殿が、私の中で絶対に、許せないものを感じておられるからでしょう」
(新右衛門)
「それは何か、宜しければ、お聞かせくだされ」
(天海)
「仲間を裏切ると言う行為ですよ。これほど、醜いものはない」
(新右衛門)
「その気持ちは、立場が違えど、分かります」
(天海)
「この度の合戦は、まさにその縮図のような戦いでした」
(新右衛門)
「確かに、政権争いの本筋はあれ、突き動かした物は、恨み、疑心暗鬼ですからな。今までの戦いとは、区別して、理解するのが正しいかと」
(天海)
「お察しの通りです。戦国の世で、家康の役に立つのは、心の動きを掌握し如何に、我らの術中に導くかでしたらな。これに長ければ、戦場で負傷する者を大きく削減できる。今しばらくは、流血の伴う戦いは、御座いましょう。しかし、そう遠くはない時期に、無血の戦いを実現させてみせますよ」
そう言った天海の顔は、悲しみに暮れていた。
(忠兵衛)
「これから、どうなさるのですか」
と、心痛な場の雰囲気を変えた。
(天海)
「豊臣家の排除、です。その為に家康には幕府を開いて頂きます。その地盤作りを今、着々と行っておりますよ。時流は、生き物ですからな…」
天海の顔が少し曇ったように思えた。しかし、淡々と語る姿から絶望より希望が見られた。ただその希望の困難さに強い意志を感じられていた。
(天海)
「さて、どう致しますかな。まずは地盤作り。そのお手本は、各大名の意識を取りまとめる為に行わせた、清洲会議ですよ。
お陰で、東西という名のもとに、敵味方の大まかな区分けができました。区分けできたことで、徳川家の周囲を石垣のごとく、徳川親派の大名で固め、それと同様に九州からも、囲みを拡張し、西から東から大坂城に胡座をかく豊臣家を包囲し、孤立するように進めています。
強固な包囲網を敷くことは、判断を決めかねている大名への威圧、更に力を見せつけることで、寝返りやすさを助長させる狙いでね。
どちらに付くのが得か。己の生きる道を意識付させるためです。秀吉崇拝の大名たちが、いつ、徳川への恨みを形にするか分かりませぬからな。
我らとしては、逆らうことさへ、気後れする体制を見せつけることが大事と。それでも、戦いは避けられますまい。それが、最後の大きな戦いとなるように願うばかりです。その先は、家康とは下克上や領地争いなどの理由で戦わせない、安定した長期政権を目指しておりまする。それ故に九州、島津にも恩を売ってあるある訳ですから」
(忠兵衛)
「それは、素晴らしい。そうなると、鉄砲は必要なくなりますな」
(天海)
「そうで御座いますな。あなた方には、痛くも痒くもないことでしょう。現に、家康や私を影で動かしてきた目的は、異国との貿易利権の獲得でしょう。そのためには、政権が猫の目のように変わるのは不都合でしょうからな。そなたらへの恩義は、ある場所に特別に設け、活用していただくつもりです」
(忠兵衛)
「それは、楽しみで御座いますな。ぜひ、実現を」
(天海)
「努力致します」
(忠兵衛)
「それでは、合戦のお話と、我らの前途が開かれたことで、今日は、お開きと致しましょう」
越後忠兵衛は、閻魔会の閉会を宣言し、解散させた。
(忠兵衛)
「天海殿とは、場所を変えて、まだお話が…」
と、天海の耳元に囁いた。
(天海)
「分かりました」
忠兵衛は、閻魔会の行われた別宅の離れに、宴席を用意していた。移動の危うさと秘密漏洩を防ぐためのことだった。
「さぁさぁ、お座りくだされ。本来なら、芸者衆を上げて盛大に、という所でしょうが、そうも行きますまい、ご勘弁を」
「お気遣い無用で御座います」
「さぁさぁ、まずは一献」
「おいおい、仮にも僧侶の私に一献とは」
「そこはそれ、魚心あれば、水心あり、と。これは、般若湯で御座いますよ、般若湯」
「そうか、ならば、私も光秀に戻りましょうかな」
「そうなさいませ、誰も見ておりませぬ。お気兼ねは無用で御座います」
「ほんに、忠兵衛さんは気がきかれますなぁ」
「なんも、でまへんで、褒めて頂いても」
ふたりは、いつしか、旧知の仲となっていた。
「それで、特別区とやらはいつ頃になりまするかな」
「出来れば、早急にと考えておる。イエズス会の事もあるゆえ」
「イエズス会で御座いますか」
「そう、信長暗殺の折り、やつらは、本能寺近くに大砲なるものを用意しておった。これからは、鉄砲もさることながら、大砲の時代がくる。あれで攻められれば、城もお掘りも、危のう御座いまするからな」
「確かに、そうで御座いましたな。我らも、大砲には着目致しましたが、物が大き過ぎますよ。一台、二台なら何とかなるでしょうが、大量になると…。勿論、鉄砲のときのように、手本を元に独自で開発することも考えましたが、あのような武器は、時期早々と。戦法が、がらりと変わる、そのような事をすれば、無駄に混迷の時間を引き伸ばすだけ、と判断致しました」
「それは、懸命なご判断でしたな」
「それにあれは、持ち運びにひと工夫を施すとか、街道の整備が必須条件となりまっせ。街道の整備は、戦国の世ではおいそれ進みますまいて。商売の視点からも、容易に手を出せる品物では御座いませんわ」
「忠兵衛さんも知っておりますでしょ、合戦の引き金の一翼をなした上杉景勝とのいざこざを」
「詳細は存じまへんが、家康様が、軍備増強、城の補強を進めていた上杉家に謀反の兆し有り、と言いがかりを付けた件でしゃろ」
「ふふふ、やはりそうなりますか。後世には、そのように伝わりますでしょうな」
「そうじゃないのですか」
「否定はしませんよ。でもね、新たな領地を任せられた上杉景勝にしてみれば、当たり前のことをしただけですからね。上杉家の重臣の直江兼続が怒るのも仕方がないこと」
「では、なぜ、家康様は取り沙汰されたのですか」
「確かに、合戦への大義名分作りの切っ掛けを模索していた家康様の網に掛かったと言えばそれまでですが…大坂から遠く離れた場所ですし、多少のやんちゃは見過ごせるだけの自軍の力を持っていましたからな」
「ならば、どうして子供の喧嘩のような真似を」
「最初、家康様は、やり取りを楽しんでおられた節もありましたな。色々と、思うように進まない事柄がありましたからな。その憂さ晴らしに、真面目で勝気な直江兼続が、拍車を駆けたのは否めませんよ。ただあの一文を見るまでは」
「して、その一文とは」
「道の拡張ですよ。住みよい町づくりには、道の拡張は必要不可欠のこと。自軍の兵力が戦いやすいようにしたのでは、との家康様の問いに、それは、敵陣にとっても同じこと、と兼続は返してきました。御最もな回答で御座いまする。それでも引き下がらない家康様は、道幅を拡げるのは、大砲を配備しやすくするためと、捉えたのです。一度、そう思えば、頑固一徹ですからな、あの方は。ふふふふ」
天海は、見えないお化けを怖がる子供のようなに、無邪気な家康を思い出し、思わず笑っていた。
「失礼。勿論、上杉家が大砲を仕入れたという話は、噂でさへありませんでした。それほど、大砲の加わる戦いに、過敏になっていたということです」
「それを知らないで、大砲を仕入れて売りさばいていたら」
「恐らく、恩義がある忠兵衛さんでも…」
「ああああ、みなまで言いなさんな。お人が悪おまっせー、おー怖」
「振ってきたのは、忠兵衛さんではないですか」
「そうですが、はぁ、久々に、肝を冷やしましたわ。これでは、寝起きが悪う御座います。あ、ほれ、あの特別区とやらの話をお聞かせてくだされ」
「特別区ですか、確約はできませぬが、異国の文化は、取り入れる必要があると考えております。異国との攻め際で、抜け道を用意しておくことも、異国と交渉するには必要になるでしょうから」
「そうですね、要らない、必要ないでは、相手に喧嘩を売りかねませんからな」
「問題点も山積みですよ。一朝一夕には行きませぬわ。そこを納める大名は、選りすぐりの信用の置ける者を配属せねばなりませぬゆえ。何せ、多大な利権は、大きな利益をも生む。人は大金を手にすれば変わりますからな。目配せと税の徴収の方法も、考えねばなりませぬから」
「それには、豊臣家の残党は邪魔になりますな」
「おっしゃる通り。ここで一気に攻め落とすのは最も簡単な方法で御座いましょう。ですが、そうすれば、いらぬ反政府軍を形成しかねない。それは、安定政権を目指す我々にとっては、厄介な者たちで御座います。ゆえに、時間は要しますが、真綿で首を絞めるように、じっくり、確実に相手の息の根を絶たねばなりませぬ。反旗を翻す者の中にも有能な者は、少なくない。それをみすみす排除するのは、愚かなことと存じております。相手の弱みと、利権を匠に絡め、寝返りさせる。その準備を粛々と進めておりまする」
「そうですか、念には念を入れてですか。力を持った者が根回しで事を進める、これほど磐石な方法はありませぬな」
「急がは回れですよ。関ヶ原の合戦で東軍に就いた者が全て信用できるか、と問われれば、残念ながら、そうとは言えませぬ」
「面白いことを言われる。命懸けで戦った仲間を信じられないとでも」
「そのような言葉、忠兵衛さんから聞くとは、片腹痛い気がしますぞ。安泰ぼけでもなされましたかな、あはははは」
「これは一本取られましたかな」
「東軍の中には、必ずしも家康親派の者ばかりではありませぬ。三成の政策、考えに反旗しただけで家康とは無関係の者も少なくはない。このような者は、いつ我らに反旗を翻すか分かりませぬ。いつ発病するか分からない種を抱えるだけのゆとりは、我らには、御座いませぬ。我らには、老い先、という避けられない厄介な運命が、付きまとっておりますからな」
「確かに、これだけは金では、どうすることも出来ませぬからな」
「秀吉も老い先を考え、五奉行、五大老を作るも、定着させられず、豊臣家を維持するための仕組みが、崩壊の火種になろうとは、今頃、あの世で苦虫を潰していることでしょう。我らは、これを教訓に、地固めを怠ることはない、と言うことですよ」
「改めて、あなたを家康様にお就けして良かったですよ。戦場を現場とする者は、先を焦って取りこぼす。天海殿は、俯瞰で見定めて動かれる。足元を見れば、頭上の危機に。天を見上げれば、足元の危機に。冷静に、引いて見ることが如何なる決断にも必要で御座いますからな」
天海は、忠兵衛と別れた後、家康の元に向かった。海路と早駕籠を使い、慌ただしい旅路だった。駿府では、着々と幕府立ち上げの準備が進めれていた。
天海は、忠兵衛が用意してくれた江戸の別宅に着いた。そこには、家康がお忍びで、既に待ち受けていた。
「只今、戻り申した」
「おお、大儀じゃたな。疲れている所、申し訳ないが…」
「分かっておりまする。処理せねばならぬ案件は山積みで御座いますから」
「それで、忠兵衛は変わりなかったか」
「健やかで御座いましたよ。ほれ、特別区の事も伝え於きました」
「そうか、何か手土産げを用意しなければ納得済まいでな」
「御意。忠兵衛率いる閻魔の会は、大人しく正業に従事しておりまする。勿論、豊臣秀頼とその親派の監視は、引き続きお願いしておきました」
「それは、大義であった」
「済みませぬが、しばし、喉を潤わせて貰えまいか」
「おお、気がつかず、済まぬ、済まぬ。半蔵、用意したものを」
控えていた服部半蔵は、忠兵衛が差し入れてくれていた、赤ワインとつまみを二人のもとへ運んできた。
「半蔵、苦しゅうない、そちも同席せい」
「親方様、わたしめはそのような身分では…」
「構わぬ、構わぬ、天海殿も宜しかろう」
「勿論で御座います。これまでも、これからも、半蔵殿には、お世話をかけまするからな。また、成り行きを知っておいて貰うのも宜しかろうて」
半蔵、天海、家康の順でワインに口を付けた。この順番は、毒見を意味し、暗黙の了解となってた。
「それでどうであった、何か思うところはあったか」
「久々にあった忠兵衛殿は、穏やかな顔になっておりました」
「ほぉー、あの忠兵衛がか」
「関ヶ原の合戦で家康様が、天下人になる確信を得たからでしょう」
「そうか、それに応えなくてはな」
「そうですね。しかし、因果な関係で御座いますな」
「そうよな」
「疑心暗鬼の信長殿の横暴に苦慮していた時に、まさか、この私が、家康様暗殺を命じられるとは…。家康様は、信長殿を信じておられたゆえ、思案も尽き果てて、行動を起こすと、その信長殿をイエズス会が大砲やらで暗殺しようとしていたなど、知る由もなく。果てには、忠兵衛らに先回りされ、信長殿は行方知らず。替え玉か巻き添えかも分からぬ亡骸を葬るはめに。私自身も、皆さんがご存知の通りで御座います。そう言えば、半蔵殿は、私たちより先に、忠兵衛との関わりがご座ったな」
「わたし目は、忠兵衛殿に世話になっていた伊賀の里の者が、家康様と内通できる者を探していた。当初は断っておりましたが、信長による家康様暗殺を知らされた時、その真意を確かめるため、会ったのが最初でした。その時で御座います、信長から武装せずとも安心ゆえ、と茶会に招かれたのが。これはもう、疑っている場合ではないと。あってはならぬこと、しかし、火のないところに煙はたたず、と申します。
ことの次第を手繰り寄せると、単なる噂ではないと思えるように。意を決して忠兵衛に相談し、藁をも縋る気持ちで、奴らと共にしたのが、彼らとの関わり始めで御座います」
「ほんに、あのまま茶会に出ておれば、こうして、皆と酒を酌み交わすことさへ叶わなかったのう」
「数奇な運命とは、よく言ったものですな」
「しかし、あの忠兵衛とやらは、何故、私たちに手を貸すのじゃ」
「私も疑問に感じ、聞いたことがありまする」
「して、その本意は」
「新しい物好きな信長は、堺商人の鉄砲利権に目を付けた。まさにあの茶会の後、武力を用いいて、全ての利権を我が手のものにしようとしていたので御座いますよ。
忠兵衛らにすれば、一大事。信長の気質から、裏工作も通じまいと知るや、彼らもまた信長毒殺を図ったので御座います。しかし、近づくことは出来ても用心深い信長は、毒見を必ずさせる。頃合いよく効く毒も見当たらず思案中に娘の嫁ぎ先や、旧知の仲の者が、理不尽な目に遭っており、窮地に追い込まれた私の存在を知ることに。もし、私が謀反を企てていなかったら、忠兵衛らが動いていた。さもなければ、キリスト教に賛同しない、邪魔な信長をイエズス会が狙っていた。
まさに、信長が家康様暗殺を図ったあの茶会の日、信長もまた、私、イエズス会、忠兵衛ら閻魔会に、命を狙われていたと言うことですよ」
「なぜ、忠兵衛らは、この家康を助けようとしたのかのう」
「それも聞いておりまする」
「して、何と」
「家康様は、信長や秀吉とは違うと」
「どう違うのじゃ」
「それに関して、面白きことを忠兵衛殿は言っておりました」
「ほう、興味深い、して、何と」
「信長と秀吉は、朝廷にとなり、この国の名実ともに主になろうとしていた。さらに、国内に留まらず、異国への関心も強く、常に外へと目が向いていると。天に吐いた唾は、己の顔にかかるとも知らずに。家康様は、商人の利権より、武士の統制に重きを置かれている。同じ、つばを吐くにも、足元に吐き、地固めをなさると。
忠兵衛らのように、異国との貿易を考えるものには、国内の治安、統制の安定が不可欠。猫の目の様に変わる政権では落ち着いて、商売など出来ませぬ。闇金も膨大なものになる。溜まったものではない。忠兵衛らは、金儲けの為なら誰が死のうと構わないと当初は思っていた。しかし、実際に巨額の金を手にすると、いつ奪われるか、命を狙われるかと思うようになったらしいです。
そこで、同じような不安を持つ者同士、助け合おうと閻魔会を作った。これにより、警護や情報収集に掛かる金も、最小限に抑えられた。また、上辺だけでも、仲間が居る事の心のゆとりも生まれた。それが、武器商人からの脱皮に繋がった訳です。戦いが続けば、武器は売れますでしょう。しかし、その分、襲撃される可能性も増える。恨み、妬みを買い、目覚めが悪いとも言っておりました。
折角手に入れた利権を手放したくない。そこで、彼らは、戦いそのものをなくせばいいと考えたのですよ。そう考えると勢力を武力で拡大する信長では無理がある。秀吉は、根っからの武士ではなく、その引け目から金の力に勤しむ可能性がある。金は、力の象徴のようなもので御座いますからな。
さすれば、大坂の足元で商売をする堺商人たちにとっては、いつ、秀吉に目をつけられるか分からない。理不尽にも蓄財を奪われるかも知れぬ疑いと不安がこれまた、眠れぬ夜を招く。たまったものではない、とね」
「それで、この私に目をつけたのか」
「そう言っておりました。家康様が、今の世で天下人になられたら、きっと私たちのように命の心配をなされると。その家康様が、天下をとれば、戦を封じる手立てをきっと打たれると。それが叶えば、戦は、大きく減りますでしょう。さすれば、鉄砲など謀反の旗印のようなもの。売れませぬ。売ったところで、家康様に命を狙われることしかり。それよりは、異国の魅力のある品を売る方がはるかに、商売としても旨みがあると、言っておりました。
そのためにも、できることなら家康様に近づき、願わくば、恩を売るようなことになれば、そのお目こぼしを頂戴し、商売に活かせると考えたそうです」
「そうか、私は、信長や秀吉とは違うか…」
「確かに違いますな。この度の戦も、根回しがあっての賜物。相手のことを考え、手間暇かける面倒なことなど、あのお二人がなさるはずもありませぬからな」
「…それは、臆病者と見られておるのだろうか」
「いえいえ、それは違いまするぞ。それだけ、家康様が堅実であると言うことですよ」
「そのようにしておくか」
「彼らはこうも申しておりました。信長亡きは秀吉の天下に。しかし、きっと家康様の天下が来ると、その日を心待ちにしていると」
「それは、秀吉暗殺の企てありとの含みか」
「そこは、言わぬが花ということに。実際、じっと耐えて、時を待っていたではありませぬか。秀吉は信長のように隙を作りませぬから。簡単にはいきますまいて。しかし、隙あらば、は常に考えていたみたいですぞ」
「私も奴らに睨まれないようにせぬとな。それとも、睨まれる前に仕留めるか」
「ご冗談を」
「しかし、何かと口出しするようであれば…」
「そこまで、忠兵衛らは馬鹿でも、欲張りでもありませぬよ」
「どうも、天海は奴らの肩を持つようじゃな」
「焼餅で御座いますか。同じ焼いてくれるなら若きおなごが宜しいな」
「仏門に身を置く者が…。色即是空はどこに行った」
「どこぞやに。私は、冷静に今を見据えているだけで御座いますから」
「減らず口が」
「口数を減らして、困るのはどこのどなたやら」
「もう、良いわ」
中庭に、穏やかな風が吹いていた。
家康、天海、半蔵の屈託のない笑い声は、陽射しの合間を、風に誘われ踊る葉のように、軽やかに舞っていた。
「さて、家康様、これからどうなさるつもりですかな。信長、秀吉のように、朝廷の仲間入りをし、威厳を見せびらかせますかな」
「棘のある言い方をするではないか、からかいのお返しか」
「いやいや、こういうことは、節目、節目に確認せねばなりませぬから、お許しくだされ。人は、目指していた物が手の届く処にあらば更なる欲がでてくるもので御座いますよ、煩悩とは恐ろしき物で御座います」
「一言一言に、棘があるな。私は、自らの満足のみにその煩悩とやらを使う気はないわ」
「さすれば、どうなさいます、半蔵殿が証人で御座います。我らが決めたお考えを改めて、家康様の口からお聞かせくだされ」
「お恐れながら、私目もお聞きしとう御座います。この度の戦で、徳川幕府が名実ともに開かれます。いや、そうあるべきかと。しかし、未だに、豊臣倒幕とはなっておりませぬ。言葉は悪う御座いますが、豊臣幕府の中の政権争いに、勝利した。それだけで終えてしまったのか、と心配しておりまする」
珍しく半蔵が口を挟んできた。その眼は、不安と希望を見据えていた。
「すでに朝廷方には、少々脅しも踏まえて予定通り、書簡を送っておるわ」
家康は、少々、苛立った様子で言い放った。
「どのような書簡を…」
怒りを悟った半蔵は、それでも、恐れを押して尋ねた。
「それは、私より、お話し、致しまするか」
難題だけに具体的な方策がなく、険悪な雰囲気を醸し出していた。その雰囲気を治めたのが、天海だった。
「安心なされ、半蔵殿。家康様の苛立ちは、そなたにではなく、事の成り行きの遅さに、と言っても過言ではありますまい。山に入り、矢を射て、獣を獲る。戦国の世では、狩人になれば良かろう。この度の戦は、戦国の世を終わらせるための戦でもあった。その為に、土となる武将を説得し、協力し合い、よりよい絆となる種を蒔き、大きな収穫を目指す、と言う農耕作業を根気強く行うようなもの。収穫する頃には、歯向かうことさへ、気が引ける体制に。それでいて、決して、恐怖政治ではない体制を構築する。それを行うのには、土を肥やし、略奪のような争いを実行させない見えない柵を設ける必要がありますゆえ。見えない柵とは、武力を背後に、権力抑止を推進させることを指し申す。一見、相違に見えて、これほど堅実な方法はないので御座いますよ。
要は、抑止柵を見える物にするか、見えぬ物にするかで、武士たちの置かれる立場は変わる。我らは後者を選んだ。土を耕す者が天になるのは、同意を得ぬ。土を耕すには、土の保有者となれ。その思いから、信長や秀吉のように、権力の象徴を担う、朝廷に名ばかりでも属するを選択せず、武士の頂点である証の征夷大将軍に任命せよと、申し出ている次第で御座る。家康様が苛立ったのは、何かと動きの遅い朝廷方に、申し出を断れば、無理にでも言うことを効かせられる武力があると、匂わせる文面を、不本意にも用いざるを得なかったものと、お察しあれ」
「難儀で御座いますな、脳ある鷹の爪を隠せ、とするのは」
「難儀で御座いますよ。その難儀に挑んでおりまする」
「私目でお役に立つことあらば、なんなりと」
「忝ない、これからも、変わらぬご尽力をお貸しくだされ」
「御意」
「して、豊臣派の動きは如何ですかな、家康様」
「おーそれよ、それ。思いのほか静かなこと、この上ない。一部の者は、反旗を掲げるも、賛同する者はおらず。勝敗のついた今、禄高や領地を没収または縮小させ、否応なしに参加した武将には、何かと理由を付け、監視の目を光らせ、鎮圧しておるわ」
「それは、よろしゅう御座います。傷を負った虎は、蹴散らせましょう。徒党を組むこと宜しからずやを徹底致しましょう」
「皆が、私の動向を気にしておるわ」
「半蔵殿、今が大事。謀反の兆しあらば、大小関わらず噂であれ、知らせるよう、心がけるよう配下の者への手配、お頼み申す」
「心得ております」
「さて、家康様。朝廷の許しを得て、大坂から遠く離れた、江戸に幕府を開く大義名分も手に入れた今、二つの幕府を置くことは諍いの種。どうなさるつもりかな」
「それよ、それ。秀頼は私を信じておるゆえ、何とでもなる。傘下にするのも容易いなことよ。しかし、取り巻きがそれを許さん。秀頼を揺さぶり、その取り巻きを根こそぎ炙り出し、捻り潰してやるわ」
「徹底的にですな」
「そうよ、二度と逆らえぬようにな」
「半蔵殿、聞いたままじゃ。謀反の兆しあらば、噂で良い。なぜ、その噂が広まったか詳細に報告してくだされ。火のない所に煙は立たぬからな。今は、少々理不尽でも、疑わしきは黒じゃからな。病の素は一掃して然り。それを行ってこそ、家康様の目指す、天下泰平も実現するゆえにな。忠兵衛の方にも私からお願いしておくゆえ、重ねてお願い申したぞ」
「御意。聞いておったな、皆の者に知らせよ」
そう半蔵が言うと、どこからか「承知」と声がした。
「天海も知らぬだろう、私が天下人にならんとする準備を」
「ほお、是非、お聞かせくだされ」
「我ら武家は、平たく言えば、朝廷の警護人じゃ。よって、朝廷の宣言を受け取る必要があるのじゃ。誰もが勝手に天下人を名乗れないと言うことじゃよ。天下にその名を知らしめ、権力の地位に就くには、それなりの準備が必要だと言うことだ。秀吉が朝廷に入ろうと画策し、藤原氏と対等以上の豊臣を考案し、関白・大政大臣に就任しよった。私は、奴が興味を示さなかった、武士の棟梁を意味する征夷大将軍の官位を得ることを考えた。名ばかりでも朝廷の一員になるには、それ相当の氏名が入用。幸いにも名乗ることは大した難所ではなかった。秀吉は、金や脅しで、養子となり、朝廷面をしておったゆえにな。信長・秀吉と同じくしていると、氏名の必要性は甚く感じていた。私も、来る日を思い、松平元信から元康、そして徳川家康と改名し、本姓は藤原氏としていた。自称だがな」
そう言うと家康は、馬鹿げた制度に嘲笑した。
「天正16年(1588)に後陽成天皇が聚楽第行幸を行った際、征夷大将軍になるための氏名とされる源氏を用いて、清和源氏の血統であると意を込めて、誓紙に大納言源家康と署名しておいたわ。根回しは万端に済ませておいてな」
「そのような時から先のことをお考えとは、恐れ入りまする」
「餅は餅屋と言うではないか。奇しくも二人の天下人の側に居れたことを神仏に感謝せねばなるまいな」
「豊臣の方をどうなされておりまする」
「理由は何でも良い。豊臣側の西軍が負けた。それだけに東軍への慰労と褒美、兎にも角にも、豊臣氏への求心力を損なわないためにと、禄高を吐き出させておるわ」
「それはよろしゅ御座いますな」
「それでも、まだまだ豊臣親派は根強いは。征夷大将軍を受け、名実ともに武士の最高権威者となるまでは、地盤を固めることに努めようぞ。それより、天海、来る日のためにお願いしていたことはどういう塩梅じゃ」
「江戸の町作りですな。調査と作業を並行して進めておりまする。湿地帯を埋める為の土をどこから調達するかの目星も付け、道を固めておりまする」
「町づくりに必要な試し事あらば、駿府城下を自由に使い、試すが良い」
「承知致しました…そろそろ、刻限ですな」
「はぁぁ、また、気が病むは。それでは、伏見城に戻るか…」
家康は、重い腰を上げ、ため息混じりにその場を後にした。その後ろ姿は、疲労の色濃さを物語るように、丸まって見えた。
慶長8年(1603)2月12日。
寒く、時折、冷たい小雨が降る、朝だった。
後陽成天皇の勅使・勧修寺光豊が、家康のもとに下っていた。勧修寺光豊が、家康のいる伏見城に着く頃、天候が変わった。にわかに晴れ渡り、陽まで輝き、徳川家康の将軍誕生を祝っているようだった。
実質的には、3月27日、全ての手続きを終えた。ついに、家康・天海の念願の、江戸幕府が開府したので御座います。
豊臣秀吉は、関白を選んだ。
徳川家康は、征夷大将軍の道を選んだ。
天皇を補佐する重役としての関白に就く、豊臣家。
飽くまでも武士であることに拘わり、絶対的権威の象徴の征夷大将軍を選んだ徳川家康。
征夷大将軍は、武家にしてみれば、伝統的な官職だった。どちらが上席かは、立場の違いから、判断は容易ではない。それでも、家康の選択の良し悪しは如実に顕になった。
家康は、豊臣秀頼に臣従の礼を尽くしていた。
多くの大名たちが登城する年賀。家康は、宣下を受けた年以降、その時を江戸城で過ごしていた。
豊臣家臣は、「なぜ、年賀礼拝に来ぬ」と騒いだ。
征夷大将軍・家康はもう、豊臣政権の五大老の一人ではない。今や、武門の首座にある。自ずと武士である諸大名たちは、首座に詣でる。
征夷大将軍は、朝廷から任せられた幕府を預かる重職だ。将軍の配下に位置する諸大名が、将軍となった家康に呼応するのは、当然の理屈だった。
ここに、狸親父と称される家康のしたたかさがあった。
この頃には、豊臣氏の禄高は65万石程の大名に迄下がっていた。
合戦を勝利に導いた東軍の大名に許した最高禄高が、100万石。その数字からも、豊臣氏の弱体化は明白だった。家康は、合戦後から将軍宣下を受けるまでの期間、着実に豊臣家の再建への道を骨抜き状態にしていた。
家康が江戸幕府を構築している中、天海は、江戸領内の土木工事を裏で支えていた。湿地帯を埋めるために切り崩す山を設定したり、そこに至るまでの道筋や舗装工事、将来を見越した水路の構想を進めていた。
その仕事も予定通り、随時、家康手配による諸大名に引き継ぎ、一段落の時を得ていた。
天海は、越後忠兵衛を江戸の忠兵衛別宅に茶会と称して、呼び寄せていた。
「お久しぶですなー。あれから、一年半程が経ちましたか」
「早いものですな、時が経つのは」
「左様で御座いますな。最近では、寝て、翌朝、目覚めるか、怖おますわ」
「ははははは、家康様も同じことを、言っておられたわ」
「さて、今日はどんな趣向でおましゃろ」
「済まん、大したことではないのじゃ。ちと、気になることがあってな。そなたも一緒に聞いて頂きたい話があるのですよ」
「話でっか、さて、なんの話でおます」
「今、家康様は、江戸幕府、開府に向けてご尽力なさっておりましてな、西軍の諸大名の取り調べを行われておられます。そこで、聞いた話がちと違うと言うことを聞きつけて、気になりましてな」
「はてさて、何で御座いましょう」
「内政干渉はするつもりは、毛頭ないが、聞けば聞くほど、目覚めが悪い。ここは第三者の意見も聞きたく、御足労願った次第です」
「まぁ、わてで役立つなら、宜しおます、聞かせてもらいまっせ」
「またかと、呆れないでくだされよ」
「宜しおます、前置きの長いのは嫌いでっせ。早よ本題にと願いたいものですな」
「それでは、早速」
その時、襖戸が開き、一人の男が入ってきた。
「これは、私の不審を詳細に調べてくれた野村睦信殿。その件とは、島津義弘のことなのですが…」
「島津藩のことですかいな、こらぁ、不釣合いもええとこですな、それこそ、家康様に直接、申されては」
「私も、そう思った。しかし、多忙の折に不安を差し加えても、迷惑なだけかと。進言するにも、誰かに背中を押されたい、まぁ、自信を持ちたい訳です。そこで、閻魔会の頭目でもある忠兵衛殿がどう思うかを、参考までにお聞かせ願えたらと。勿論、何も感じなければそれでも良いのです。我が儘を申して済まぬ」
「宜しおま、聞いていれば宜しんでんな。それで、天海殿の心の重荷が軽くなるんならお安い御用で」
「それでは、陸信殿、お話頂けますかな」
「まずは、天海殿の不審が発端です。関ヶ原の合戦で、勝敗が決した折り、島津義弘が、東軍の多くの軍勢を顧みず、中央突破した時で御座います。天海殿が不審に感じられたのは、突き進みながら、暴言、苦言を吐きながら、突き進んでいたという、報告を受けてのこと」
「ほうほう、思い出しましたわ、講談・関ケ原の合戦の一幕ですな。確か、何故、負けるのか、とか何とかで御座いましたな。それが、なんの不審なんでしゃろ。馬鹿な指揮官に翻弄された部下としては当たり前のことでしょう、それのどこが気に掛かるんでしゃろ」
「取り調べの為の人物像を再度調べていたのですよ。そこで島津義弘という人物を知れば、知るほど、その暴言の件がどうも合点がいき申さぬ。その不審を払拭するためには、時を遡って、島津義弘という人物像を知りたくなりましてな。ここからは陸信殿、お願い致す」
「それでは。家康様率いる東軍の勝利がほぼ決した時、戦場の片隅に取り残された三百程の小さな一団があった。薩摩の猛将、島津義弘率いる島津隊です。三方を東軍に囲まれ、前方には、数万の家康東軍がいた。絶望的な状況です。目を閉じ、じっと動かない義弘。思案の末、手にした扇を振り下ろし、激しい戦場の中央を指示し、「その猛勢の中にあい、駆けよ」の号令で中央突破を仕掛けたのです。なぜ、このような無謀な行動に出たのか、きっと意味があると、天海殿は興味を持たれ、再調査を行った次第です。その結果を、今からお話致します。
義弘が西軍につく経緯が、不遇というか、同情すべき点が多々ありました。義弘は家康様直々に東軍参戦への要請を受けています。しかし、石田三成は、諸大名の妻子を人質に、西軍参加を強制していた。義弘は、祖父・忠義から武将の心得を教えられていた。「心こそ、いくさする身の、命なれ。揃ふれば生き、揃はねば死す」
戦場では家臣の心を掴むこと。家臣と心ひとつにすることが、最も大切だと義弘は学んでいた。
島津藩は九州全域を納めていたが、豊臣秀吉20万軍勢に制圧され、薩摩藩以外は放棄させられた。兄、義久が苦悩する中、義弘は籠城し、大隅、日向をせめてのご理解と考え加えよと、秀吉と交渉する。幾度の交渉も決裂。義弘は、秀吉に結果的に降伏する。すると、思いがけないことが待っていた。
突如、秀吉は、大隅一国、日向の一部を島津藩の領地として認める、というものだった。
義弘は、秀吉に感謝した。秀吉の駆け引きが功を制した瞬間だった。合戦の13年前の出来事で御座います。
秀吉の命で、朝鮮半島出兵に出向いたと時の事で御座います。
一足先に名護屋へ向かった義弘は、秀吉の力を目の当たりにするのです。そこには、大軍勢を率いて全国から集結した、諸大名がいた。急ぎ、兄、義久に援軍と船の手配を要請。しかし、兄・義久からの連絡は一切来なかった。
兄・義久は、秀吉に従うのは潔しとしない豪族や家臣の調整に追われていた。結果として、援軍を得られず、自ら船を手配し、20日遅れで出立。後に義弘は、義久に諸大名の前で面目を失ったと文を送っている。
苦難は、続きます。太閤検地です。太閤検地は、領内の石高を全国統一の基準で算出。それをもとに、年貢や軍役を決める物。豪族たちは所変えを余儀なくされ、諸大名は、秀吉のもと、再編成された。
太閤検地で豪族の力を弱められ、藩を運営しやすくなる。義弘は、これを好機と考えたのです。
兄・義久に積極的に検地を受け入れるよう、書面で訴えます。義久からの返事は、なんとも、国の乱れになることで、困ったものだ、というものだった。
国元の義久の家臣・豪族の反発を訴えるものでした。義弘は、石田三成に太閤検地を歓迎すると手紙を送っています。藩を思っての行動が、後に誤解を招く、要因ともなるのです。
石田三成自身が検知を行った。その結果に、三成の家臣から、侍、百姓、町人だけでなく、領主の義久までもが、全く納得していない様子。この島津の混乱を治めなければ、地検が無駄となってしまう。
腰の引ける義久に代わって義弘が、これを解決しなければ、島津の国は滅びる。そんな折り、大変な出来事が起きます。豊臣秀吉が亡くなるのです。慶長3年(1558)8月のことでした」
天海と忠兵衛は、目をつむり、野村陸信の話を聞いていた。
「秀吉の死後、家康様が勢力を拡大していきます。それを面白く思わない三成は、このままでは豊臣存続が危ぶまれる、と家康様の台頭を嫌います。そんな時、会津の上杉景勝率の動きに家康様は、謀反の恐れありと、難癖をつけ、これは失礼致しました」
「構わぬ、進めよ」
天海は、眉間に皺を寄せながら、睦信に話を続けさせた。
「それでは。会津の上杉景勝率いる上杉氏討伐に家康様は向かわれます。三成は、これを好機と考え、諸大名に家康打倒を働きかけます。家康様は、その情報をいち早く知り、いや、思い描いた絵図通りにことが運んだということでしょうか。
京都にいた義弘には、家康様からは伏見城を守れと、三成からは家康打倒に参加するようにと要請があった。この合戦に馳せ参じなければ、島津家の存在を世に示すことができない。義弘は、秀吉の筆頭格にあった家康様に付くのが、大義と伏見城の守りに向かいます。そこで思わぬことが起こります。それは以下の通りに御座います」
「島津義弘である。家康様の命により、伏見城警護に馳せ参じ申した。ご開門を」
既に伏見城警護に入っていた諸大名がざわついた。
「島津とな、あやつ三成と通じておるのではないか」
「しかし、こうして、参っておりまするぞ」
「いやいや、安心させて、いざという時、裏切りでもされれば、如何なさる」
「私が参りましょう」
そう言ったのは、鳥居元忠でした。
「入門まかりなりませぬ。お引取りくだされ」
「何ゆえに、許されぬのか」
「島津殿に援軍要請されたことを、我ら聞かされおりませぬ。確認できぬゆえ、ここは、お引取りくださるよう、お願い申す」
義弘は、またもや面目を潰された思いのまま、京都に戻った。そこへ、家臣が飛び込んできた。
「義弘様、大変で御座いまする」
「如何、致した」
「お屋地の方様が、三成の人質にされたとのこと」
「三成様が動いたと」
「諸大名の妻子も人質に囚われております」
「それで、安否は?」
「分かりませぬ。ただ、三成側に参加するなら、案ずることなしと」
「そうか…、一旦、家康様に就こうと思うたが、どうも、疑われておるようだ。三成様と通じている、とな。折角、手助けにと駆け付けるも、入城を拒否された。不信を持たれては、手の貸しようがない。これで、決まりだな。この義弘、三成様率いる西軍に参加すると致そう」
義弘の心境は、複雑だった。義弘のもとには200の兵のみだった。
「軍勢が少なく、何事にも心に任せず、面目を失っております」
この時、二百の兵のみだった義弘は、兄、義久に幾度となく援軍を頼むも、叶わぬ願いだった。
国元の島津では、反豊臣が強く、家康、三成のいずれにつくも、島津の危機と捉え、動かなかった。島津にとっては対岸の火事程度に思っていた。
兄は何も分かっていない。この戦の持つ意味を。危機感を感じた義弘は
「心ある者たちは、身分に関わらず、自由に参上せよ。忠勤を励むのは、此の時である」
と、一縷の望みを託し、嘗て共に戦った家臣に呼びかけた。
義弘に忠義を誓う家臣たちは「義弘様の一大事」と島津の方針に背き、立ち上がり、薩摩から遥か京への道を選ぶ。
義弘の心は熱くなり、「我が島津は、まだ捨てたものでなし」と、駆け付けてくれた家臣ひとりひとりに、慰労の言葉をかけた。
集まった軍勢は千の兵となっていた。それでも、島津60万石にしては、あまりにも少ない軍勢だった。
「誰ひとり、無駄死になど、させはせぬ」
心、ひとつにして集結した軍勢を義弘は、意気に感じていた。
8月14日、三万を越える家康の先遣部隊が、尾張・清洲城に到着。
さらに、中山道を西に進軍。これを知った三成は、義弘隊の一部を前線の墨俣につかせる。
その北に石田隊。三成本隊、義弘は後方で陣を取った。
8月23日、家康の先遣部隊は、長良川を突破。
知らせを聞いた三成の兵はさっさと退去。逃げ遅れた後方の義弘には、大垣城への退去を命じられた。
「我ら兵を見殺しにするのか。もう、助かる術はない、退去じゃ、退去。ええい、三成は、我ら兵を何と思う!」
義弘は、怒りを禁じ得なかった。
祖父・忠義から教えられた武将の心得、家臣と心ひとつに戦うこと。
義弘の中に、三成に対する不信感が、強く芽生えた瞬間だった。
慶長5年(1600)9月15日、日出るまもなく、両軍、関ヶ原に布陣。
平地に、東軍七万五千。東軍を見下ろす山に、西軍、八万二千。
陣形、軍勢優位の西軍。誰の目にもそう見えた。
戦は、怒涛の唸り声がぶつかり、幕を切った。
その中で、異変が起きていた。
島津隊は、微動だりしなかった。
三成からの再三の出撃命令にも応えず、防戦に終始していた。自暴自棄、いや、己の不運を嫌って、運あらば生きる。最後の意地と希望との交差で行われた、中央強行突破だと考えられませぬか。
どうでしょう、簡単ではありますが、義弘の置かれた立場がお分かり頂けましたでしょうか」
野村陸信の説明を聞き、忠兵衛が即座に反応した。
「なる程、野村陸信殿の話から察する処、天海殿の悩む処は、義弘の奇遇。同情と言う処でしゃろか」
「お分かりか」
「ほんにお優しことで。自分の不遇に重ね合わせやはったんでしょう。これは失礼。言葉が過ぎましたかな。でも、敢えて言わせて貰いまっせ。決断に最もいらぬは感情だす。
相手を理解し、心情を知るのは悪くない。天海殿の心は、もう決まってはるんでしょう。若い時なら敵は敵、逆らうは皆同じ、と気にも止めなかったでしょうが、私も歳を重ねて相手の立場を考えることを覚えましたわ。
それで宜しおますやろ。理解してやることは、今後に役立つ種を蒔くことにもなりますよって。天海殿が思うてはる通りになされれば宜しおます」
「そうか…。ではそう致すとしますか」
「ほんに、何事かと思いきや拍子抜けでっせ」
「済まん、済まん」
「まぁ、宜しおます。丁度良かった。多忙で決断力が鈍っていた。そこで喝を入れて貰いたかったんでしゃろ。それでお役に立ちましたかな」
「忝ない」
「しっかりしておくれやす。これからが大変な時でっせ。私らには老い先短い道のりしかあらしまへん。寄り道は極力、ご勘弁を」
「相、分かった」
忠兵衛は、口調の強さと裏腹に笑顔で天海を包み込んでいた。
「それではお役御免と言うことで。これから、余生の楽しみに出かけると参りますか」
「余生の楽しみ、とは」
「仮にも仏門の天海殿にはお話難いもので、ご勘弁を」
忠兵衛は、廓で気の強い少女に出会った。その少女を奇抜な花魁に育てる道楽に勤しんでいた。その裏で、【この世の花に魅せられて、あの世に生きて候】となる羽目になった純真な青年の苦悩があったことなど、忠兵衛は、知る由もなかった。
天海は、やりたいことを常に見つける忠兵衛を微笑ましく見送った。
西軍の武将は、自害を選ぶ者も少なくなかった。
宇喜多秀家のように敗戦後逃れ、薩摩の島津家から秀家の助命嘆願書が出され、結果として、命だけは救われ、助けられる者もいた。
このように、東軍の武将、西軍から寝返り勝利に貢献した武将との繋がりが西軍に就いた武将の刑罰を軽減され、命拾いした例も少なくなかった。
家康に取ってみれば、関ヶ原の戦いに勝利したとは言え、豊臣秀吉恩顧の大名たちの勢力は侮れない。
関ヶ原の戦いは、三成への戒めであり、豊臣倒幕ではなかった。
特に宇喜多秀家は、豊臣秀頼に次ぐ象徴的な人物だったからこそ、家康と言えど、安易に粛清できなかった。戦後処理の粛清を強固に行うことは、家康の本来の豊臣幕府討幕の目的を顕にし、身方であった者までを敵に回しかねない可能性は少なからずあったからだ。
「各武将から嘆願書が上がってきておりますな」
「それよそれ、如何致したものか」
「ここは、お受けになるのが良いかと」
「それでは、この首が休まるまいて」
「逆ですよ、逆。嘆願書を出してきた大名に恩を売る良い機会かと」
「恩を売るか…そう上手くいくかの~」
「行きますとも」
「自信有りげじゃの~」
家康は、多岐多忙によって、少々弱気になっていた。天海は、それを見透かしたように、各大名の心の内を解いてみせた。
「考えてみなされ。敗軍の将は、嘆願書を出してくれた大名を裏切れますまいて。それは、助けられた者と助けた者が、微妙な監視体制にあることを意味します。
ここで、身勝手な動きをすれば、世話になった者へ迷惑を掛けること、この上ない。敗軍の将は、周りの目を気にする余り、我を押し殺さずにはいられすまい。官軍の将は、面子を潰されまいと、疑心暗鬼の目で、相手を探ってしまうでしょうな。それこそが、各大名がお互いを監視することに繋がりまする。この心の機微は江戸にいて、全国に目を配らせることに匹敵することになりまする。助けてくれた者を裏切れない恩義。幕府に嘆願書を聞き入れてもらった恩義。武士たるもの、これほど重き大義・忠義は御座りませぬぞ。ご安心なされませ」
「そうじゃな。各、国元の安定も保てる。豊臣排除は、時期早々と言うことか」
「そうですな。禄高、領を大幅に減らせば、謀反の企ても叶いませぬわ」
「確かに、ここで新たな遺恨を残すは賢明ではないわな」
「武断派の恨みを買った者だけ粛清すれば、家康様の大義も叶い、恨まれることも少なかろうて」
「そうじゃな。わしが三成を。堺商人・忠兵衛はこの期に便乗して商売敵の小西だけは始末をと願ってきよったわ。天海、そなたにしても安国寺恵瓊は要らぬ存在と思うておろうが」
「何を申されます。仏門に関わる私が、命を疎かにと」
「そんなそなたが、光秀の時の血が騒ぐと、合戦に参加したのは…」
「みなまで申しなさるな。ほんに近頃の家康様は前にも増して、からかいが酷くなられて、この天海、冷や汗が絶えませぬ」
「そなたが冷や汗とな。見てみたいものじゃ。ほれ、出してみ~、遠慮は要らぬわ、ほれ、ほれ、ほれ」
「あはははは」
二人は、眼下に広がる開発の進む江戸の町並みに、来る日と期待を込めて、束の間の安息の時を堪能していた。
天下分け目の関ケ原の戦い、にしては斬首三人とは…。
多忙極まりない日々を過ごしていた家康は、ふとした瞬間に、言い知れない不安に駆られるようになっていた。
江戸の開発は途方もなく、時間を要する。その完成を待てる程の余命など、残されているはずもない。家康は、その不安を身に沁みて感じていた。江戸幕府の長期政権こそが、戦いなきこの国の安泰に繋がる。そう強く、信じている。そのために、優秀な子孫を家康は、欲していた。
その成長を見守る余力がない以上、幾人ものおなごに種を宿し、有望な子が生まれてくる可能性に掛けていた。それでも、心が休まることはなかった。家康は、江戸開発に尽力している天海を、越後忠兵衛の江戸別宅に呼びつけた。
「如何なされました」
「多忙な時に済まぬ」
「これはこれは、驚きましたな、随分弱気なお言葉。夜毎、お盛んで、お喜び申し上げておりましたのに」
「好き好んで、励んでおる訳はないわ」
「英雄、色を好むと申しますから、そうとばかり思っておりましたわ」
「戯言を聞くために、そなたを呼んだのではないわ」
「いつもやられておりまするから、ここぞと…まぁ、お許し下され」
「わしがこれほどにも心を病んでおると言うのに…」
「悪う御座いました。しかし、悩んでおられることが余りにも、容易いことなので、いささか、からかいたくもなりまする」
「怒りまするぞ。真剣に悩んでおるのに、茶化すとは」
「では、家康様の心の内、見透かしてご覧召しましょうか」
「見透かすじゃと~、腹立たしぃ、言うてみ~」
「そうとんがりなさいますな、お体大事で御座いまするぞ」
家康は、天海の言葉に苛立ちを隠せず、血色を鮮明にしていた。
「いやいや、申し訳御座りませぬ。それだけお元気ならば、この天海、安心致しました。それでは、見透かしてご覧に入れましょう」
「前置きは良い。はよ~言え」
天海は、わざと家康を焦らしていた。苛々を高め、意識を集中させるためにだ。意識を集中させると、周りや余計な事を考えなくなる。その瞬間を待ってのことだった。
「そう、お怒りになさいますな。それでは、聞いて下され」
「聞かせて貰おうか、私の心の内なるものを」
天海は、障子を開け、忠兵衛自慢の中庭を眺め始めた。敢えて、家康に背中を向けたのだ。家康自身が、誰はばかることなく、心を整理できるように。
「答えは簡単で御座います。家康様は焦っておられます。その焦りの原因を見極めれば、道筋が見えて参ります」
家康は、確かに、焦っていた。
何に焦っているのかも分からない程、問題が山積みされ、その山が頭上に向かって、崩れ落ちてくる。
そんな夢に家康は夜毎、脅かされていた。
家康は、天海の背中を見ていた。
華奢な背中が、大きく見えた。
その背中に、断片的かつ不規則に、問題となる事柄の映像が、映し出されているような不思議な世界を家康は、体験していた。
「では、間違っていれば、その都度、直されよ。宜しいかな」
「分かった」
「それでは参りまするぞ」
そこで家康は、天海の背中に吸い込まれるように、意識が遠のき、体が軽くなったような気がした。いや、意識が肉体を離れた感じがしていた。
家康は、苦悩する自身の姿を俯瞰で見ていた。不思議と違和感がない。
天海の背中に吸い込まれたような感覚の後、眼下に広がる空間に自分を含めた顔馴染みの者たちが蠢いていた。そこにいる者に呼びかけても、触れても全く反応がなかった。不安がる家康のすぐそばに、天海が現れた。
「これは、如何なることか…」
「これは催眠と似た法術で御座います」
「比叡山に籠り、根本中堂にて修行していた折、いま、家康様が経験なされているような体験を、ある方の力をお借りし、私目も体験しております。この法術は、言葉により、諭されるというより、動く絵を見ながら、整理されていくもの。それは、甲を選択した場合、乙を選択した場合、と見比べながら、進められます。それは、何事もなかったように静かに展開していきますが、これが実に、心穏やかに、縺れていた糸が解れていき、整理され、道筋が見えて参りまする。私が語るのではなく、家康様自身が動く絵の力を借りて、問題を解決していく。邪念・煩悩を取り去り、客観的に我が身の行動を見ることができるようになりまする。私は、その動く絵の補足として説明を行いまする。
その絵は家康様の苦悩を表したもの。そこから不安なものを炙り出し、本質に絡みつき、邪魔をする問題を除外していく。そこに、抱える問題の本筋が浮き彫りになるという具合です。私が心を読む、と言ったのも、種を明かせば、この動く絵をもとに家康様ご自身が本筋を見極め、心を整理し、答えを導いて頂くこと言うもので御座います」
「全く意味が分からぬが何故か身を委ねて間違いなしという安堵感が有りまするな」
「私も同じように感じました。まぁ、騙されたと思い、お付き合い下され」
「お、お…」
夢か幻なのか、この心地よい空間に、家康は身を任せて見ることにした。
家康の脳裏には、今までの出来事が、走馬灯の如く、浮かんでは、重なり消え、が繰り返されていた。
それらは、綴じ紐を外された記録帳を放り投げ、脈絡なく舞い上がった、読売(かわら版)のようだった。かわら版と違うのは、音が聞こえ、絵が動いていることだった。
「どうです、色んな物が浮かんでは消えておりませぬか」
「お・お…、しておる、しておる」
「それが、家康様の歴史絵巻で御座います」
「これは、一体何か」
「家康様の記憶という、もので御座います」
「記憶…」
「頭の中に脳というのが御座いましてな、そこに記憶を掌る場所・海馬が御座います。わかりやすく言えば、薬箱のそれぞれの引き出しに、ひとつの出来事の記録が収まっているとお考え下され。その内容が、考え方や、状況、関わる者の相違など、色んな要件によって繋がり、変化し、新たな考えや思いつきを生み出します。特異な者はそれを己自身で行えますが、大概は、私のような代弁者を通して知らされることになります。この法術の大敵は、煩悩で御座います。特異な者には、その煩悩によって、虚偽の予見・予知を導き出す危険がつき纏いまする。よって、余計な煩悩を払拭できる、代弁者をお使いになる方が宜しいかと存じまする」
「そなたがその代弁者、となるわけじゃな、許す、許す、先を先を」
「それでは、家康様の心の整理を行いましょう」
「お、お、任せたわ」
家康は、奇々怪々な出来事を楽しんでいた。
「最も、家康様を悩まさせる案件は、徳川幕府の安定と継承で御座いますな」
そう天海が問うと、家康の脳裏に、本能寺の変で焼き討ちに会う信長の姿、息を引き取る秀吉の姿に加え、秀吉の没後、自由に振舞う家康自身の姿が映し出された。それに加え、信長の落胆と諦め、秀吉の不安と後悔の念、彼らの心の叫びが、自分のことのように感じ取られた。
「そう、その通り。私の没後、信長、秀吉のように他の者に政権を渡すようになるのではないか。顕示欲から言っておるのではない。異国からの防衛には、世の乱れが命取りになる。この国の更なる発展にも大きな影を落とすからじゃ」
「分かっておりまする。だからこそ、こうして、私が側におりまする。私利私欲だけでは、私の法術は使えませぬ。それが私に課せられた掟で御座います。私利私欲で法術を使えるならば、私自身のために使いまするわ。それが出来ぬは、独裁者を生まぬ為と、師から聞き及んでおりまする」
「独裁者が悪いという訳ではなかろう」
「その通りで御座いますな。しかし、人とは愚かな者で御座いましてな、高見を願うもの。それを獲れば、手放したくない、取られまい、と疑心暗鬼になり申す。それから逃れるように、他人を屈服させる絶対権力を欲するもので御座います。煩悩とは限りが御座いませぬからな。いい方には働けば発展に、悪い方に働けば滅亡に。まさに諸刃の剣で御座いまする。独裁者の明暗は、その継承に、周りの同意を、強権を発することなく、如何に承認を得るかに掛かっておりまする。大義が共有され、まかり通れば、繁栄を得られまする。我らにとっては、大義が必要であり、その大義は個別のみならず、公に通じるものであるのが宜しいでしょうな」
「確かに…そこをどう解決すればよいか、悩むところよな」
「簡単で御座いまするよ」
「簡単とな、それは如何にして」
「それでは整理致しましょう。家康様は、没後のことを気になされている。ならば、生前に解決すれば良いではありませぬか」
「そ、そうじゃな。何故、そんな容易なことに気づかなかったのか…」
「それですよ、一人で考えれば、袋小路に陥りやすいので御座います。責任感や既成概念などに捕らわれ、閉塞感に陥りやすくなり、俯瞰で物事を見れなくなるからですよ。まずは、どうなされたいか、それを定めて、そこから逆算して答えを導き出せば良いのです。そこで不都合なことがあれば、対策を考えれば良いのです。要は、どうしたいのか、どうすればそれを達成できるのかを柔らかく考えれば良いのですよ、柔らかくみにね」
「そうじゃな、縛られ過ぎは、思案の幅を狭めるの~。先人を真似るのではなく、学ぶこと。そこから、既成であろうが、斬新であろうが、最もよい術を見出すことこそが、良き選択ということじゃな」
「そうで御座います。では、考え方の術を得たところで、問題を解いてい参りましょう」
「お、お」
「まず、最も達成したい課題は、徳川幕府の長期政権ですね」
「そうじゃ、それが一番、悩まされる所じゃ」
「では、秀吉ができなかった事。いや、手は打ったが達成できなかった事を参考に考えましょう。秀吉が生前に行った長期体制を狙った方策は?」
「五奉行と五大老のことか…それと、実力者にお目付役として、それらを監視させることか」
「そうで御座います。では何故、上手く行かなかったのか?どう思われますかな?」
「それは…」
「宜しゅう御座います。お分かりになっておっても、取り巻く要因が多く、言葉にしずらいご様子」
「あれこれ考え、まとまらぬわ」
「そうで御座いましょう。当の本人で御座いますからな。しかし、第三者の私から見れば、いとも簡単なことなのですよ」
「森を見て、木を見ず、か」
「そうです、森も一本の木の集まり。その主となる木を見れば、その森の成り立ちと弱点が見えまする」
「主となる木か…その木とは…秀吉か」
「そうで御座います。整理出来始めましたな。本質の要因を見つけ出せれば、その問題点を解けば良いのです」
「成る程。秀吉の制度が上手く機能しなかったのは…」
「お恐れながら、その制度を崩されたのはどなたかな」
「今更、何を言う」
「いえ、私が言いたいのは、何故、家康様がそのような行動を取れたのか、と言うことですよ」
「それは…あっ、そうか、そうだったのー。秀吉の威光がなくなり、重鎮の前田利家もなくなり、五月蠅方がいなくなったせいじゃ」
「そうで御座います。監視する絶対権力がなくなり、箍が綻びを見せたのですよ。秀吉もそれを気にかけ、五奉行・五大老を設け、勝手な行動をさせぬよう互の行動を監視させ、豊臣政権の維持を考えた。
しかし、遅すぎました。目的通りに機能する前に死去し、制度は、文治派と武断派と言う派閥を作り出した。これでは遅かれ早かれ、啀み合うのは必定。増してや、豊臣家を継いだ秀頼に才覚・経験がある訳もなく。これでは、船頭を亡くした船同然では御座いませぬか」
「まだまだ戦国の世。武将の血は騒ぎましょう。そこに戦いもせず、命も掛けず、秀吉の威光を背後に、命を掛ける者たちに、何かと文句を付ける。文句を付けられる側は、たまったものでは御座いませぬな。そこに力任せに先頭を切る武将の存在は、不満を抱く者たちにとっては、心の拠り所、救世主に思えるでしょう。ある意味、強引さは、人を引き付ける最大の要因で御座いますからな」
「ちと、酷かろう、力任せとは」
「失礼。しかし、大事な要素で御座いますぞ。秀頼に、この強引さがあれば、家康様は全国の大名を敵に回したかも知れませぬからな」
「それはそうじゃが…わしとてそれを考えないではなかった。しかし、幼少から手懐けていた秀頼を丸め込む採算はあってのことよ。とは言っても、秀吉の威光は、死後も衰えを知らぬ。そこで、そなたとも相談し、問題点をすり替えたのではないか。合戦で我らに不都合な輩は、ほぼ整理は出来た、が、秀吉の影には、まだまだ悩まされておる」
「そうですな。ほら、問題点が見えてきましたぞ」
「どこに、見えておる、よく分からぬが…」
「整理しますよ。合戦に勝って反対勢力を弱体化できた。しかし、それは飽くまでも、西軍・東軍、文治派と武断派を整理したに過ぎませぬ。豊臣政権の是非を問うものでは御座いませぬからな。合戦に勝ち、名実ともに実力者の第一人者となり、江戸幕府を開けるまでになった。しかし、現実には、西の豊臣幕府、東の江戸幕府。豊臣親派にすれば、豊臣家の東の幕府と捉えるもの少なくない。それが家康様も気になる所でしょう」
「そうじゃ。合戦に勝っても心が晴れぬはそのせいじゃ。このまま、江戸幕府に心酔すれば、西で密かに力を蓄えられ、いつか再び、天下分け目の合戦を迎えねばならぬのかと思うと、おちおち江戸に留まる訳にはいかぬは。かと言って新たな幕府を発展させねば、本当の天下統一は成し遂げられぬ。大坂では、何かと邪魔が入り、心置きなく、我が幕府を形成できぬからな。この身が一つであることが歯痒いは」
「ほれ、答えは出てるではありませぬか」
「どこにじゃ、問題は山積みのままではないか」
「要は、家康様が江戸と大坂におられれば良いのでは」
「馬鹿を言え。そのようなこと出来るか」
「ほらほら、秀吉と同じ失態を犯されておりまするぞ」
「焦れったい、早う言え」
「いいえ、事の筋道、論理を積み重ねば、思わぬ所から破綻します。
基礎工事は大切なものですよ。焦らず、確実に、家康様のものにして頂くために、我慢して頂きます」
「…」
「それでは、進めますぞ。江戸と大坂、どちらが気になりますか、言い換えれば、家康様でなければ出来ないこと、家康様の心が落ち着く所は…」
「それは江戸…いや、江戸に居れば大坂の動向が気になる。かと言って幕府の構築には江戸に…あああ、堂々巡りじゃ」
「何故、何もかも一人でなさろうとするのですか!」
「うぐっ。しかししかし…有無、そうか任せれば良いのか、それならば道は開けるか」
「そうです、任せるは任せよ、ですよ。私たちの関係がそうであったように。信用できる者に任せれば、家康様の悩みの一つは解消されますでしょう」
「では、江戸は秀忠に任せよう」
「それは宜しゅう御座いますな。目標を建て、それを任せられた者と、その者と共に行動する者たちの新たな絆も構築できますからな。勿論、その者たちには、実在する家康様の目が光っている。亡霊と実存する威光では、どちらが有効かは、押して図らずやですよ」
「秀吉がやりそびれた事。それは、確実な手を生前に構築しきれなかったことか」
「そうです。あとは、秀吉の二の足を踏まぬためにも…ご引退を」
「なんと、私に引退せよと」
「そうで御座います」
「折角、征夷大将軍を得て、これからと言う時にか」
「征夷大将軍がなんぼのもので御座いましょう。家康様の目的、願いは何で御座いましょう。天下人になることではなく、長期政権ではありませぬか。ならば、継承は、遅かれ早かれ訪れます。もう私たちは、若くない。ならば、目の黒い内に、将軍職世襲を確実なものにすることの方が大事かと」
「秀吉の二の舞か…」
「江戸の町づくり、河川工事の完成を見るのは、我らの寿命では無理かと。遺恨を残せば成仏も難しかろうて。ならば、これからの者に任せましょうぞ」
「そうだな、信じるに任せ、目前の課題に没頭すことよな」
「将軍職世襲を家康様自身が行うことで、徳川家の意向を世に知らしめるのです。世襲のやりかたはまた後日に」
「了解した。あとは、豊臣家をどう料理するかだな」
「そうで御座いますな。秀頼は今回の合戦を内輪もめ程度に、捉えましょうよ。糾弾などすれば、要らぬ争いを招きかねないゆえに。まずは、何かと理由を付けて、蓄財を放出させましょう。先立つ物はやはり、金。財源を減らさせ、徳川指示の大名で固め、勢力を確固たるものに。幕府の重職を固め、反旗を掲げる者を封じ込めましょう」
「これで決まりじゃな。頃合を見て、秀忠に将軍職を譲り、江戸幕府の構築に尽力させる。私は伏見城を拠点に、大坂の豊臣親派に目配りし、一機に攻め落とす機会を伺うとしよう」
「私は、江戸に残り、秀忠殿を影ながら支えましょう」
「そうしてくれるか」
「秀忠殿には、家康様と共に事の経緯を早急にご理解頂けるよう、一席を設けましょう。何事にも下準備は必要ですからな。すんなり、事が運ぶように手配せねばなりますまいて。また、真に信用の置ける大名を洗い直し、各付けし、重職や領、権利を与える条件で、誓約書を取り付けまする。秀忠殿と共に磐石な体制をお作り申す。幸い人材は豊富で御座いますからな」
「頼んだぞ、天海」
「承諾致しました」
家康は、天海との話し合いで、豊臣討伐に的を絞ることに専念し、その準備に取り掛かった。家康は、慶長8年(1603)2月12日に征夷大将軍に就いて江戸幕府を開く。
嫡男・秀忠を右近衛大将(次期将軍候補)にするよう朝廷に奏上。既に大納言であり、父・家康が左近衛大将への任官歴があったので、すぐに認められた。これにより、秀忠の徳川宗家相続が、揺るぎないものとなった。
また、家康が生前相続したことにより、将軍世襲も周知の事実となった。
この時期、秀忠は江戸右大将と呼ばれ、以後代々の徳川将軍家において、右大将と言えば、将軍家世嗣を示すものとなった。
家康は、関ヶ原の戦いの論功行賞の名の下に、豊臣恩顧の大名を、江戸から遠く離れた西国に移し、万が一の危険回避に努めた。それと同時に、徳川家は、東海・関東・南東北を完全に押さえ、名実ともに関東の政権を磐石なものにした。
そしてわずか二年後の慶長10年(1605)正月、家康は江戸を立ち、伏見城に入った。追って、2月、秀忠は、関東、東北、甲信などの東国の諸大名16万人の上洛軍を率いて、出立。
3月21日、秀忠も伏見城に入った。4月7日、家康は将軍職辞任と後任に秀忠の推挙を朝廷に奏上し、4月16日には秀忠は、徳川第二代将軍に命じられた。これにより、建前上家康は、隠居となり、以後、大御所と呼ばれるようになるので御座います。
家康は、将軍世襲を確実なものにし、政権の安定基盤を構築した。
防衛体制として、大名の配置替えも積極的に行った。
親戚の親藩は、江戸近郊に、または、重要な場所に配置。その周辺に、以前からの家臣や親派の大名として、譜代大名を。関ヶ原の戦い以後に味方になった大名を外様大名として、江戸から遠く離れた場所に配置した。
江戸・大坂・京都・奈良・金山のある佐渡、木材の飛騨などは、幕府の直轄地の天領として管理。
将軍継承者や重大な事柄を決めるにあたり、御三家を取り入れた。
名古屋の尾張藩、和歌山の紀州藩、茨木の水戸藩だ。
ここにも家康なりの「三位一体」の考えが生かされている。
揉め事が起きた時など、三者で解決する。最悪、三者合意が得られなくても、意見多数で結論を得られる最も少ない「三」を取り入れた。家康の「三」への拘りは、家紋の三つ葉葵に現れていた。
秀吉の五奉行、五大老のように、住み分けを行わず、船頭多くして山を登るの例え通り、揉め事の収拾がつかず遺恨だけを残す体制を嫌って、最小限のものにした。
体制への家康の思いは、継承者選びにも及んだ。万が一、将軍家に跡取りがない場合、この御三家から、将軍を出すことが出来るようにした。
言い換えれば、御三家でなければ、将軍を出せないということ。これは、戦国時代に当たり前のように行われていた下克上を黙して封印したものだった。血縁関係を絶やさぬため、子沢山に励むことも怠らなかった。英雄色を好むと言うが、徳川家にとっては、子孫を維持するためのものだった。
一万石以上が大名、一万石以下が旗本。大名の領地を藩とし、幕府一藩による政治、幕藩体制を構築した。
幕府の仕組みとして、将軍の補佐役に老中を置いた。
信長、秀吉の欠点であった継承者の能力不足。それを考慮し、補佐役で補うというもの。老中は、譜代大名から選出。場合によっては、それをまとめる大老を設ける。老中の下に、大目付や町奉行、勘定奉行が置かれた。
三角の頂点から下位に広がる組織形態を取り入れ、管理・監視体制を細分化した。
更に、信長、秀吉の時代に、朝廷が担ぎ出され、体制を乱された経験から、朝廷の動きを管理する役目として、京都所司代を強化した。
不穏な動きを全て封じ込め、幕府体制は堅固なものに。
残る問題は、豊臣家だ。
まず、仕掛けたのは、敵ではないと豊臣家に入り込むことだった。大名同士の婚姻禁止の秀吉との約束を破り、家康は自分の孫の千姫を豊臣秀頼に輿入れさせた。これによって、豊臣親派の大名たちに、徳川と豊臣は親戚だ、と表明して見せた。それに加え、秀忠が将軍職になった時、内大臣の官位を得た。その際、秀頼は右大臣となった。これは、家康の配慮によるものだった。
しかし、この配慮がとんでもない噂を生み出した。
「秀頼様が右大臣になった」
その内、関白になるのでは、というもの。これに家康は直ぐ様、反応した。
「戯言を言うではない。天下は既に徳川のもの。あやつに挨拶にこさせてやる」
と、秀頼に頭を下げに来るように命じた。
家康からの呼び出しに、怒り憤慨の人物がいた。秀吉の正室であり、秀頼の母である、淀君だった。
「家康ごときが何をほざいておる。元々、家来ではないか」
とは言っても天下人になり、勢力も格段に上の家康には逆らえない。大人しく従っても秀頼の命の保証はない。そこで、加藤清正、浅野幸長らに仲介を依頼した。
「家康様、ご無体な、秀頼様に頭を下げろなどと」
「大人気がないのは分かっておるわ。しかし、混乱を招くような噂を放って置くわけにはいかぬわ」
「単なる噂で御座いますよ。気になされますな。秀頼様が家康様に反旗を翻すなどありますまいて。現にそのようなこと、あの合戦後に仕掛けることなど、ありえませぬゆえ」
「しかし、この腹が収まらぬわ」
「ここは我らの顔を立ててくださらぬか。秀頼様には誤解を招くような振る舞いを慎むよう進言致すゆえに。どうかお怒りをお沈めくだされ、この通り」
そう言うと、加藤清正は、頭を垂れた。
「…」
「ここで、強引に秀頼様に頭など下げさせれば、秀吉様の影を追いかける大名たちが家康様暗殺の計画を立てるやも知れませぬ。そうなれば、徳川幕府の進行にも影響がでますぞ。ここは、度量の大きさをお見せくだされ」
「…、今回はそなたらの顔を立てよう。二度とこのようなことが無きよう目配せをなされるがよい」
「はっ。一応、秀頼様には参上頂きます。御機嫌伺いとして。これで、家康様の顔も立ちますでしょう。私共も同席すると言うことで淀君様に了解を得ます」
「好きにするがよい」
「ご理解いただき、有り難き幸せ」
噂の一件は、冷静な清正、幸長によって、事なきを得た。仲介を無事終えた加藤清正、浅野幸長らが退室し、静寂が戻ったかのようにおもわれた。しかし、怒りが収まらない家康は、胡座をかいていた膝を上下に忙しく揺さぶり、その顔は、紅潮していた。
隣室で聞いていた天海はすくっと立ち、家康の前に静かに座った。
「家康様、焦りなさるな。清正らの言う通り、ここで事を起こせば、反感を買うばかりか、家康様への忠義を誓った者にまで動揺を与えますぞ。今は、当初の目的通り、蓄財を吐き出させることで御座います。急がば回れですよ。必ずや機会は訪れまする、慌てなさんな」
「しかし、どうやって蓄財を吐き出させる」
「それをご提案しようと参れば、この有様。ちと、驚きましたわ」
「それで、その提案とは…早う聞かせてくれ」
「気が短こう御座いますな」
「ほんにそなたは、私を苛つかせる名人じゃの~」
「お褒めに預かりまして」
「褒めてはおらぬわ」
「はははは、これは失礼。では早速。蓄財放出の手立てとは…」
「もったいぶるな、早う言え」
「では、戦下で荒れ果てた寺院や神社の修復に金を使わせるのは如何かな」
「そのようなことに金を出すのか」
「出すのか?ではなく、出させるのですよ」
「如何にして?」
「秀吉様の御霊をお慰めするために、とかで宜しいのでは」
「上手く行くかの~」
「上手く行かせて下され」
「勝手な奴じゃの~」
「私が出て行くわけには参りませぬから、お願い致しまする」
「仕方がない、他の術が思い当たらぬゆえ、了解した」
「それでは、お頼み申しましたよ」
天海の提案は、思いのほか容易に受け入れられた。
道標を得た家康は、無理難題とも思える程の大規模な寺の修繕、改築を秀頼に押し付けた。しかし、秀吉の蓄財は、想像を超えていた。
家康と天海は、底なしの秀吉の蓄財に焦りを覚え始めた。その焦りは、秀頼にも向けられていた。自分の老いに対して、秀頼は、優れた若者となっていたからだ。
相変もわらず、西では豊臣秀頼を崇める者が多かった。自分が先に死ねば、徳川の天下もどうなるか分からない。手は尽くしたとは言え、一寸先は闇とも言う。自分が生きている間に、豊臣家を滅ぼしておかねば…安堵の日々はない、と家康は気が気でなかった。
時代は、次世代へと移り変わろうとしていた。
加藤清正や浅野幸長、堀尾吉晴、池田輝政など、豊臣家と深い繋がりの者たちが、次々とこの世を去った。家康に提言できる人物が、豊臣関連から徐々に減っていく。
その焦りからか、豊臣家は、朝廷から勝手に官位を貰ったり、兵糧や浪人を集め始めるようになった。
家康は、いよいよ痺れを切らし、戦うための大義を索し始めた。
一方、豊臣家は、幾ら虚勢を張っても家康を抑えられない現状に、不安の日々を送っていた。
豊臣家としては、その恐怖を払拭するかのように、秀吉ゆかりの方広寺の再建にのめり込んでいった。
方広寺は、秀吉が建立したが、大地震で倒壊した。
秀頼は、多大な資金を投入して、秀吉の木製の大仏に劣らない、唐銅製の大仏再建に粘り強く着手した。
家康の思惑通り、秀頼は寺社建立にのめり込むように資産を投じた。
それは、低迷する豊臣家の権威と富裕を、朝廷のある京都において保つためでもあった。1613年に方広寺大仏が完成して翌年に落慶供養を行う手はずとなっていた。
「家康様、お久しゅう御座いまする。今日は、ちょっとした手土産代わりのご報告を、と思い参上致しました」
「何かな、天海。与太話ならまたの機会にしてくれぬか。今は如何に豊臣家を追い込むかで頭が一杯じゃ。資財を使わすも限りがない。刻ばかりが過ぎていくわ」
「そうで御座いますな。資財の多さには驚きを隠せませぬな。となれば、仕掛けねばなりますまいて。そこで何かないかと探しておりましたら、見つけましたぞ。難癖の材料を」
天海は、渋い顔をした家康に微笑んだ。
「難癖など。口が悪いぞ」
「もう、なり振り構っておられませぬわ」
「ほう、やっとそなたもやる気になりましたか」
「はい。それで手土産ですが、先日、方広寺の鐘を見てまいりました。そこにありましたよ、難癖の材料が」
「だから、なん…まぁ良い、続けよ」
「大仏殿の鐘銘にありましたよ」
「鐘銘にか…」
「左様で御座います。そこに『国家安康』と書いてあるではありませぬか。これは使えると思い、お伺いした次第です」
『国家安康』を見つけたのは、黒衣の宰相の一人、南禅寺の住職の金地院崇伝だった。それを南光坊天海が、利用したものだった。
「その文字がどうしたと言うのじゃ」
「気づかれませぬか、家康様の名前が入っておるではありませぬか。それも、家康の二文字を分断させて。これは、家康分断を意味する呪文ではありませぬか。見逃す訳には参りますまい」
天海は、一大事の如き大袈裟な怒りを演じてみせた。それを家康は、微笑ましく思い、少し心の疲れが解された。
「おおお、ほんに。分断されておるは。これは見逃せぬな」
家康もまた歌舞伎役者のごとく、芝居を打ってみせた。
「そうで御座いますとも。更にその横には『君臣豊楽』とあります。これは豊臣を主君として楽しむ、と取れませぬか」
「おーおー、取れるわ、取れる」
家康の顔に一機に血色が蘇った。
「さすが、黒衣の宰相と称される天海じゃな」
「何とでも言いなされ。出しゃばった行いと思うも、既に、出処不明の噂を京都五山の僧侶たちを使って流させておりまする」
「そうか、それは良い」
「家康様は飽くまで、その噂が耳に入った、として下され」
「その方が都合が良いな。そうしよう。飽くまでも屈辱を受けている立場を取ればいいのじゃな」
「被害者ぶるのが、何かと難癖をつけるには、都合が宜しいからな」
家康のはしゃぎように天海は、あからさまに笑いをかみ殺して見せた。
「そなた、面白がるのもいい加減にしておけ」
「これは、失礼致しました」
「あとは、これを突破口に、秀頼をどう跪かすかじゃな」
「それは、素直に謝りに来いと命じなされ」
「そんなもの通るはずがないわ。勘違いだと言い訳されるのが落ち」
「それで良いのですよ、それで」
「どこがじゃ」
「考えてみなされ。秀頼側にしてみれば、難癖などに謝りにくるはずがない。それでも秀頼は、謝って事が済むならと、思うかも知れませぬ。闘いの意味を知らぬ男ですからな」
「それでは気のいい若者が、五月蝿い爺いを上手くあしらった、と豊臣親派に思われて終わりではあるまいか」
「武家社会では、そうなる恐れもありますな」
「それでは、私の評判を落とすだけではないか」
「私は、元より秀頼など見ておりませぬ」
「ほぉー、では、誰を見ておると言うのじゃ」
「おりますでしょう、ほら、家康ごときに、何故、頭を下げねばならぬ、と目くじらを立てるお方が」
「私のことを家康ごときと、言う者…それは…それは誰じゃ…」
家康は、考えた。名実ともに、天下を手中にした今、自分に意見をする者…。豊臣の重臣である五大老・五奉行にはいない。家康は、痺れを切らせ、天海に答えを促すように顔を見た。それを悟った天海が、口を開いた。
「淀君で御座いますよ」
「ああ…あの気の強いおなごか…」
「左様で御座います。秀頼からすれば、家康様は師でもあります。しかし、淀君からすれば、家臣の一人に過ぎませぬからな」
「確かにおなごは情勢というものには疎いわな。あのおなごなら、言いかねぬわ」
「本来、自分に非がない秀頼にしてみれば、淀君の一喝で正気を取り戻し、謝りなどしますまいて」
「元より、今回のことでは、秀頼に謝れては困る。ゆえに、謝れぬ環境を呼び込むと言うのじゃな」
「左様で御座います」
「流石に詰めを怠らぬな」
「それだけではありませぬぞ。真の狙いは、感情を揺さぶることにあり、と考えておりまする」
「感情を揺さぶるとは…」
「単刀直入に言えば、家康憎し、を淀君、秀頼に植え付けること。そうすることで、売られた喧嘩を買う羽目になるはず。そのためにも、今、置かれている自分たちの立場と、今までの経緯からくる思いの狭間で矛盾を感じさせることが狙いで御座いまする」
「なるほど、そうすることで戦いを避けるのではなく、戦ってでも、自分たちにとっての不条理を正そうとするわけじゃな」
「御意」
「逃げ道を自らの手で塞がせる…か。ほんに恐ろしきかな天海」
「人を化物、妖怪のよういに言わないで下され」
「充分、妖怪ではあるまいか、年を数えてみよ」
「だからこそ、悠長に待ってられない思いで、捻り出しておりまする。本来、このようなやり方は不本意で御座いまするよ。これも、徳川幕府安泰の礎を築くためのこと。私としても悔しい思いの方が強う御座います。しかし、背に腹変えられませぬからな…」
遠くを見る天海を見て、家康は、心から言い過ぎたことを詫びた。
赤々とした夕陽に数羽の烏が溶け込んでいく。伏見城の天守閣から見る城下町は、何事もなく平穏だった。
「秀頼様、家康様より登城せよとの指示が参っておりまする」
「何事ぞ」
「方広寺の鐘銘に刻まれた文字が、家康様を侮辱していると、お怒りのご様子。そのことを登城し、謝れと言う趣旨で御座います」
「何と、そのようなことで。それは家康殿の勘違いで御座る。鐘銘は、私が帰依した洛陽無双の智者と呼ばれた文英清韓という臨済宗で南禅寺の僧侶が書いたもの。国家安泰・君臣豊楽・子孫殷昌とは、国に争いや疫病がなくなり、平和な時がきますように、という意味。その旨伝えよ」
「その旨、私共で既に、幾度か申し開きを行っておりましたが、お聞き入れ頂けませぬ。家康様は、家・康の二文字を引き裂きて徳川家の没落を祈願する呪詛であると批判し、主君である豊臣家の繁栄を祈願して、子孫の繁栄を楽しむもの、だという意味だと、厳しく指弾されております。さて、どうしたものかと、ご相談申し上げている次第で御座います」
「それでは私直々に、ご説明申し、ご理解を頂きましょう」
「それが、お怒りは半端なく、大坂城を直ぐ様出て行けと。そして、大和郡山に行け、とおしゃっておりまする」
「困り果てましたな。御無体な事を…はてさて如何いたそうか」
城中、慌ただしい噂を耳にした淀君が、勢いよく秀頼の元にやってきた。
「家康が難癖をつけてきておる噂は、誠か」
「そのようで御座います」
「して、そなたどうするつもりじゃ」
「ここは穏便に誤解を解こうかと存じまする」
「何を言っておる。何を言っても無駄じゃ。そもそも、家康は秀吉様の家臣であろうが。出て行けとは何事ぞ。身の程を知らぬ者よ」
「そうは言われましても、今や家康殿は征夷大将軍を受けた方。下手に逆らうのは豊臣家のためにならず…」
「何を気弱なことを言っておる。断じて、屈するのではありませぬぞ」
そう言い放つと、機微を返し、淀君は秀頼の元を去っていった。秀頼は、途方にくれていた。
そこで、動いたのが、片桐且元、そして、大野治長とその母・大蔵卿局だった。
家康は、密偵から方広寺鐘銘の件での豊臣派の対応を知った。
「天海、動いたぞ」
家康は袴を掴み上げ、胡座をかき、興奮を抑えられない様子で、扇子をパタパタと扇いでいた。
「左様で御座いますか。ふふふ、思惑通りですな」
「して、どうする」
「まず、奴らの動きをどう捉えるかですな」
「ひとつは、穏健派の片桐且元。もうひとつは、強硬派の大野治長とその母・大蔵卿局だ。考え方の違う仲裁人というべきか」
「ならば、考えの違いは、敵同士とも取れますな」
「そうじゃな。ならば、豊臣政権の分断工作を仕掛けるか」
「それが、宜しいかと」
「どちらを味方につけるか、どちらを疑わさせるか、ですな」
「どちらが良いと考える」
「これまた安易な答えを求められまするな」
「おーそうか。動かすは淀君の心。ならば、おなご同士、意気通ずる所在り、と見ればよいのか。さすれば大蔵卿局を動かし、片桐且元を追い込むということじゃな」
「その通りで御座います。幸い、大蔵卿局は強硬派で御座いますから、何かと都合が良いかと」
「どう都合が良いのじゃ」
「わざとお聞きになるのですか。まぁ、いいでしょう。穏便派は、事なかれで行動力に掛けまする。その反面、思慮深き強者の恐れもありまする。一方、強硬派は感情に流されやすく、行動を起こさせるには向いておりまする」
「なるほど」
「またこうとも言えまする。穏便派は思慮深きことから、沈着冷静。一方、強硬派は、常に何かに恐れをを感じ、疑い深くなっておると言うことです」
「…と言うことは、敵陣を攪乱させよ、と言うか」
「御意」
「して、その方法は…」
「おなごの心を揺さぶってやりましょうぞ」
「おなごの心を揺さぶるとな。苦手な所よな」
「簡単で御座いますよ。淀君が何にご立腹されておりましたか」
「…、わしの難癖…いや、家臣に命じられた屈辱感か」
「そうで御座います。裏を返せば優越感を与えてやれば靡くのではありませぬか」
「優越感か…片桐と大蔵卿局との関わり方に、露骨に差をつけた、あしらいで対応すればいいのじゃな」
「左様で御座います」
「あい、分かった」
片桐且元は、鐘銘と棟札について、徳川家に叛意なし、と釈明するために駿府に出向いた。しかし、家康との謁見は許されず、それどころか家康の側近の本多正純と天海に鐘銘と棟札、浪人の雇用について厳しく問いただされる嵌めに陥っていた。この時、謁見できなかったのは、家康が大蔵卿局と会っていたからだった。大蔵卿局は、駿府に出向くと、丁寧にもてなされいた。
「この度は、方広寺の鐘銘のことについて…」
そう大蔵卿局が口上を述べるのを、家康は、笑顔で遮った。
「そのことならもう、いいではないか。私も少し大人気なかった。仮にも、孫娘の千姫を秀頼殿に輿入れさせた、謂わば、豊臣家とは親戚ではあるまいか」
「それで宜しいのでしょうか」
「よいよい。それより、長旅、お疲れでしょう。ゆるりとお休みあれ、と申したい所であるが、そうもいかぬ事がありましてな」
「何事で御座いましょう」
「今、且元が来ておってな」
「承知しております。同じ要件で御座いますから」
「私はそなたに会うため、会えぬでいるが、代わりの者から、おかしな事を聞き及んでおる」
「おかしな事とは…」
「それが…言いにくいのだが…」
家康は、態と言い辛そうな素振りを見せた。
「…はっきり申そう。実は、且元が申すには、この度の件、豊臣方の不手際。徳川家に叛意なし、の証に秀頼か淀君を江戸に人質に出すと。そう申しているそうじゃ」
「何と且元が、そのような事を」
「やはり、総意では座りませぬか。大蔵卿局との謁見を選んだは、間違いではありませんでしたな」
大蔵卿局は、険しい顔つきで、みるみる紅潮するのが見て取れた。家康は、困惑の表情を浮かべながら、心中、笑いを堪えるのにひと苦労していた。家康による豊臣方分断の火蓋が、切って降ろされた。
「この度、且元殿と別にお伺いしたのも、家康殿への対応の違いがあり申して。虫のいい話で御座いますが、接見の結果、いずれか、良き返事を頂けた方に従おうと…ほんに、お恥ずかしい」
「そうで御座ったか」
家康は態と困惑顔を見せて、大蔵卿局の不安を煽った。
「且元の話は、直に聞いた話ではないのでな、誤解なさるな。しかし、唐突にも、人質とは…聞き逃す訳にも行かず、かと言って、お知らせせぬは心苦しく思い、お伝えしたまでの事でしてな」
「お気遣い、忝なく存じます」
「大蔵卿局も驚かれている様子。意に反する対応とお察し致す。そこで、且元の真意を確かめるため、大蔵卿局にはひと役買って頂ければ、と思いましてな」
「何をいたせば良いと申される」
「要らぬ噂で、お家の騒動になるのは、避けなければなりませぬ。そこで、且元を足止めしておきまするゆえ、先にお帰り頂き、且元の真意がいずれにあるか、ご検討頂きたのです」
「分かり申した。それでは、一刻も早く立ち返り、秀頼様、淀君様にお知らせすることに致しましょう」
「そこで、ひと役と言うのは、知らぬ存ぜんで、誤魔化されては元もこうもありませぬ」
「確かにそうで御座いますな」
「そこでですな、ひと芝居打って頂きたのですよ」
「それは構いませぬが、如何致せと」
「大蔵卿局様には、隠密に城に入り、そうですな隣の間で、聞き耳を立たせ、その耳で真実をお確かめ頂きたいのです」
「そうすれば、安心して、且元は真実を語ると存じまする」
「要は、人質は家康様の意向ではなく、且元の意向であると」
「それを皆様方の周知の上、お聞き頂ければと存じまする」
「そう致しましょう」
「その後のことは、大蔵卿局様にお任せ致します、如何でしょう」
「承知致しました。重ね重ねのお気遣い、痛み入りまする」
「私の取り越し苦労であれば良いのですが…」
家康は、且元を豊臣衰退を図る不届き者との印象を、大蔵卿局に植え付けるひと芝居に酔っていた。
「そのようなこと…真実なら、お家の大事。早速、引き返して、事の真相を正せねばなりませぬな」
「そうと決まれば、早駕籠をご用意致しまするゆえ、お使い下され。且元も帰路を急ぎましょう。遅れを取るわけには参りませぬゆえ」
「何から何まで、忝のう御座います。この礼はまた改めて」
「大蔵卿局様、何ぶん隠密に。秀頼様、淀君様にも気づかれぬように心配りをお忘れなく。事前に明るみに出ますと真実は闇の中ですぞ。呉呉も慎重に。宜しいですな」
「承知致しました。それでは、先を急ぎまする」
「且元は出来るだけ引き止めておきましょう。と言っても、一刻か半時程でありましょう。お急ぎなされませ」
「忝ない、では参ろうぞ」
軽く一礼をし、大蔵卿局は、家康を後にした。家康は、にやりと笑っていた。後ろ手の襖が、静かに開いた。そこには、天海がいた。天海もまた薄笑いを浮かべていた。
「後は、本多が上手く、且元を追い込み、筋書き通りとなりましょう」
「そうじゃな、既に、本多らの会話を盗み聞いた者からは、且元を追い込んだとの知らせが来ておる」
「念には念を押しましょうか」
「半蔵、聞いておったな。手の者に繋ぎを取れー。ひとつ、大蔵卿局を密かに大坂城に忍び込ませよ。ひとつ、片桐且元が道中、大蔵卿局を追い越さぬよう監視せい。万が一、追い越すようなことあらば、如何なる手立てを持っても遅らせよ。ひとつ、大坂城内のやり取りを詳細に知らせよ。しくじるでないぞ」
服部半蔵は小さく頷き、伊賀者への繋ぎのため、その場を去った。
「これで種は、撒いた。どのような芽が出るか楽しみじゃのー」
「私は、駿府を離れ、伏見城に乗り込みましょうぞ」
「万が一に備えて、そうしてくれ、頼んだぞ」
「お任せあれ、火のない所に煙をたたせた張本人ですからな」
「ふむ。今度こそ、秀吉の呪縛を根こそぎ祓ってやるわ」
「そうですな、そのためにも、事前に、逆らう気配のある大名に、忠誠を誓わす書文を手配せねばなりませぬな」
「はぁ、また、骨が折れよるわ」
「もう一息で御座いまする。励みなされ」
「他人事と思いよって」
『ははははは…』
ふたりは、念願達成の兆しが見えた事を改めて、実感していた。駿府の城下町は、今日も穏やかで美しい日差しを謳歌していた。
片桐且元は、本多正純から秀頼が徳川家に対する叛意のない証拠を迫まれ最大限の譲歩を余儀なくされた。その結果を、急ぎ、大坂城で待つ淀君と秀頼に報告した。
「如何であった、且元」
口火を切ったのは、淀君でだった。
「家康殿のお怒り凄まじく、秀頼様の徳川家への叛意のない証をしめせと…」
「それでなんとした」
「お恐れながら…」
「どうした早う言え」
「はっ、お恐れながら、家康の怒りを鎮めるには、秀頼様か淀君が江戸に人質に行くか…」
その時だった。姿なき声が、雷鳴の如く、広間に響いた。
「待たれよ」
声のする方の襖が、勢いよく開かれた。そこには、大蔵卿局がいた。
「おお、大蔵卿局、帰っておったか」
「訳有っての事。無作法はお許しくだされ」
「如何致した」
「お恐れながら、それは後ほど…。家康との話し合いの結果、秀頼様に対する害意なし、と言うことで御座いました」
片桐且元は、「何と!」と声が出そうになるのをぐっと抑えた。
「しかし、且元からは…」
淀君は、狐につままれた思いで困惑していた。
「且元殿はどなたと話された」
大蔵卿局は、強い口調で且元に尋ねた。
「家康の側近の本多…」
全てを言わせぬ勢いで、大蔵卿局は、且元の発言を遮った。
「私は家康本人と会い、害意なし、とはっきりとこの耳でお聞き申した。これ程の確約は御座いませぬでしょ。何か、ご不満でもありましょうか、且元殿」
「い・いいや、御座いませぬ」
「ならば、用はお済みじゃな、では、お下がり下され。私は、秀頼様、淀君に家康からの言付けが御座いますから」
「では、私はこれで下がらせて頂きます」
片桐且元にとっては、青天の霹靂、そのものだった。同じ話し合いに行き、出された回答が真逆のものに。且元は、何が何だか全く、分からなかった。ただ、害意がない。それならば、それでいい。そう納得するしかなかった。大蔵卿局は、付き人に且元が下がったのを確認させた。
「大きな声では申せませぬゆえ、お側へのお許しを」
大蔵卿局は、押し殺した声で言った。
「苦しゅうない、ちこう寄れ」
「ご内密のお話が御座いまする」
「何ぞえ」
「家康から聞いた話ですが、恐ろしき話で御座います」
淀君は、大蔵卿局の勿体ぶった言い方に苛立ちと、恐怖心を感じていた。
「実は、今回の件の解決策として、且元がそれは恐ろしい和議を申し立てたと」
「早う言わぬか」
「お恐れながら、且元が申すには、秀頼様、淀君様のどちらかを人質に出すというもので御座います」
「何と我らを人質とな、且元めが。えええい、且元を呼べ~」
「お待ちくだされ、あくまでも家康が言うこと。半信半疑で御座います。且元も正直に言うとは限りませんゆえ」
「では、どうしろと言うのじゃ」
「且元の行動を密かに見守ることかと」
「腹立たしい…何としてくれようぞ」
「且元が家康に歩み寄った疑いがある以上、奴目の言動に注視すべきかと、存じまする」
「あい分かった。大儀じゃった」
「恐縮致しまする」
それ以来、秀頼・淀殿・大蔵卿局の子・大野治長らは、片桐且元が謀反を働いたと思い込んだ。秀頼らは、且元の存在が、恐怖そのものに思え始めていた。猜疑心に追い込まれた秀頼らは、片桐且元の殺害計画を視野に入れ始めた。一方、且元は、駿府から戻ってからの風当たりが、不穏なものに感じずにはいられなかった。
「何やら、私を見る目が怪しい」
そう悟った片桐且元は、訳は分からないが、このまま留まる事は、自らの命に関わると思わざるを得なかった。真意を正すにも、周りは敵ばかり。真相究明に時間など掛けていられない緊迫感が、且元を覆う。
片桐且元は、全てを捨て、大坂城を出て、摂津茨木城へと落ちた。
家康らの工作は、疑心暗鬼の内部分裂を目的としていた。それが、思わぬ形で功を奏した。
秀頼は、忠良な重臣の片桐且元を見す見す、失ってしまった。
家康は、且元の殺害計画を、京都所司代・板倉勝重から聞いた。実は既にその詳細を家康は、服部半蔵から聞いていた。
誰も知らない事で動いては仕掛けたのが自分である、と悟られ兼ねない。京都所司代・板倉勝重からの報告は、格好の機会だった。
疑心暗鬼で内部に不安が生じたいまこそ、付け入る隙。駿府城にいた家康は、ここぞとばかりに、大坂討伐を即座に決断。
近江、伊勢、美濃、尾張、三河、遠江に出陣を打診。
江戸の将軍秀忠も、東軍大名に大坂攻めを命じた。ここでも家康は、備えを怠らなかった。徳川家をぎりぎりの所で裏切るかも知れない。その懸念のある、福島正則や黒田清正、加藤嘉明らの豊臣恩顧の武将たちを態と江戸に駐留させた。
豊臣方は、家康の挑発に乗り、挙兵し、豊臣秀頼と淀君を中心に約10万人を集結。しかし、現役の大名は誰もいなかった。家康の威厳は、大名たちを尻込みさせるのに充分だった。
結果、関ヶ原の戦いで所領を失い没落した大名や浪人たちのみ。彼らに取っては、再起の絶好の機会と思う者もいた。
豊臣軍勢は、難攻不落の大坂城に立て籠った。
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