0人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
「別に何もなかったな」
「いやいや、外見てみろって」
少しだけ期待していた自分を恨みつつ、釈然としない気持ちで席に戻って不満をこぼすと、尚文はいたずらが成功した子供のような顔で、外を指さした。
「うわ、光った。さっきまでめっちゃ晴れてたのに、雷?」
「雨もきそうだよな。さっき出てたらずぶ濡れだ。ちょっといいこと、あったろ?」
「どっちにしてもトイレ行きたかったし、これのおかげ感はいっさいないけど。まあ結果的に助かったか」
完全に空になったアイスコーヒーとスマホを交互に眺めて、雷雨が収まるのを待つ。
その間、すっかり気をよくした尚文が、これまで如何にして、どろぼうさんがいいことを運んできてくれたのか、熱弁をふるっている。
どれもこれも、その五分をどうにかしなくてもどうにかなった気がする、程度のものばかりだ。
「まあ本人が信じてるならいいんじゃないの、のめりこまなければ。悪いけど俺は消すわ」
「そうかよ、まあいいや。よし、今度こそ出るか。の前に俺もトイレ」
ほいよ、と見送って少しもしない内に、「うわ、つめて」と尚文の声が聞こえてくる。
見れば、同年代くらいの女の子が、飲み終えたグラスを返却口に戻しにいく途中でつまづき、尚文に思い切り水がかかってしまったようだ。
「大丈夫だった?」
「な? 言っただろ?」
「何を?」
びしょ濡れで帰ってきたのに、尚文はへらへらと笑っている。
「話してみたら同じ大学だったから、連絡先交換してきた」
「うわ、たくましいっつうかなんつうか」
「で、今日の俺のお願い事がこれなわけ」
尚文が見せてきた画面を覗き込むと、「スペシャルどろぼうチャンス! 今日会う友人にこのアプリをこっそり教えてあげてね」とある。相変わらずひどいセンスだ。
「スペシャル系のお願いはバックがでかいんだよ。ありがとな、おかげで彼女ができました」
「馬鹿なの? 水ぶっかけられただけじゃん、まだすぎるだろ」
「きっかけ、大事」
「わかったわかった、もう本当に行こう」片言でへらへらしている尚文を置いて立ち上がる。
尚文があたふたと身支度を整えている間に、消すと宣言した例のアプリを、こっそりお気に入りフォルダに移動した。
夏も、夏休みもまだ長く、自由な時間は潤沢に残っている。
例えばその中の五分間を、特に意味のないことに費やしてみることも、できなくはない。
だからどうしたというわけでは決して、決してないけれど。
最初のコメントを投稿しよう!