幸せの五分どろぼう

1/3
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
 今年の夏が冷夏になる、なんて言ったのはどこの誰だろう。  もしかしたらそんな人は最初からいなくて、そう思いたかっただけかもしれない。  すっかり溶けてしまったバニラアイスクリームを、スプーンの上にかき集めて口に運ぶ。  向かいには、ほとんど氷だけになったアイスコーヒーをすすって、スマホをぼんやり眺める男が一人。大学の友達、尚文だ。 「それなりに涼んだし、出る?」 「あと五分とちょっとくれ」  それならトイレを済ませておこうか。  外の暑さから逃れた勢いに任せて、アイスコーヒーにバニラアイスクリームをつけたのがいけなかった。  断続的に小さな悲鳴をあげはじめた腹をさすり、席を立とうとしたところで、目の前にスマホが突き出される。 「どこ行くんだよ。五分ちょっとくれって言ったろ。これ知ってる?」 「知らない。なにこれ。語呂の方針がおかしくない?」  幸せの五分どろぼうと丸っこいフォントでタイトルされている。アプリのタイトル画面のようだ。 「今送ったからとりあえず落としてみろよ」新着メッセージを受信した機械音がほぼ同時に鳴る。 「わけわからんやつ増やしたくないんだけど」もちろん、見るまでもなく拒否だ。端的に言えば面倒くさい。 「一日一回、五分間を幸せどろぼうさんに盗ませてあげましょう。お礼にちょっといいことがあるかも」 「馬鹿なの? どろぼうさんは盗んだお礼とかくれないから」  人さし指をくるくるさせて裏声を出す尚文に、じっとりとした視線を返す。 「いいからほれ、どうせ暇だろ。それともここ出て、なんか面白いとこに連れてってくれんのか。炎天下の中をうだうだやるだけなんだし、いいだろ五分か十分、十五分くらい」 「十五分て。怪しいアプリより多めにとってくのかよ」  しぶしぶメッセージを確認して、アプリを落とす。  暇なのは確かであるし、もう五分か十分、十五分を炎天下ではなくカフェの中でうだうだしても、大きな問題はない。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!