夏の終わりのプレイボール

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 進学校の野球部にありがちな、弱小以上中堅未満の実力。  でも、規則は軍隊のよう。  30分前行動。  無口な監督は、どんなに大切なことでも一度しか言わない。  先輩後輩の別は厳しい。敬語の徹底。  引退までカラオケ、ゲーセン、炭酸飲料は禁止。  女子マネは、三年生に一人だけいた。元々四人いたけど、皆辞めてしまったそうだ。 「うちは男女交際禁止だから」  化粧っ気の無い小麦肌の先輩は私の名前を聞くより先に、そう言った。  マネージャーの仕事は無限にあった。  麦茶とスポドリの交換。5キロのジャグを両手に、水道とグラウンドを何度も往復。  ノックのボール渡し。タイミングが悪いと監督に舌打ちされる。  ボール拾い。蜂に怯えながら茂みをかき分け、球場練習では屋根にも登る。  ピッチングマシンの操作。ネットがあっても打球は怖い。  他部とのグラウンド割り当て交渉。練習試合のスケジューリング。OB、保護者との連絡。会計。あらゆる買い出し、掃除、メンテナンス。  スコアの記録は、ソフトボールの経験を生かせるから好き。  でも、一番好きなのはスピードガンだった。  バックネット裏で、投手の球速と球種を計り、記録する。  七人の投手の中で、伊坂くんだけがサウスポーだった。  球速MAX135。入部時点で誰より速かった。  左のサイドスロー、速球派、決め球はフォーク。  未来のエースの座は約束されたも同然だった。  けど、すごいノーコン。  関川くんというシニア出身のキャッチャーと、ブルペンで毎日投げ込むことになった。  組み始めてすぐに、関川くんの身体には幾つもの痣ができた。  伊坂くんは投球を始めると別人のように無表情になる。  まるでボールに感情を全て吸い取らせ、躊躇無く放り出しているようだ。  「伊坂くんと組むの怖くない?」  アイシングの時、一度だけ関川くんに訊いたことがある。 「あいつの球捕れれば、絶対正捕手になれるから」  真顔で言う関川くんのみぞおちには、硬球の縫い目が真っ赤に残っていた。    ガンを見ずとも、伊坂くんの球速は分かる。  イメージの軌道は、現実の伊坂くんの球筋と重なる。  ……だから何だって言うんだろう。  分かる。重なる。  全部、私の頭の中のことだ。  三年生が引退した後の、最初のミーティング。  目標を発表する時、伊坂くんは一言「甲子園出場」と言った。  瞬間、円陣の空気が変わった。  夏大で唯一の一年ベンチ入り、リリーフ登板で初球ホームランの洗礼を浴びた言葉の重み。  甲子園には言霊が宿っている。  どんなに遠いと分かっていても、ひとたび発語されると、もうそれしか考えられなくなる。  揃いも揃って選手達は字が汚いので、私がスローガンを書くことになった。 「甲子園出場」  誰もいない部室で書き終わって汗を拭い、自分の文字を見つめる。  ぎこちない毛筆。  マネージャーってこんなこともするのか。  テレビで見ていた頃には知る由も無かった。  それにしても、これは一体誰の目標なんだろう。  私が行くには連れて行ってもらうしかない。  じゃあ、代筆?  とめ、はね、はらい。  分解される寸前の強度で宙に留まる、私の文字。  部室のロッカーの上に、今でもずっと張り出されている。
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