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新潟での夏合宿。
最後の夜、伊坂くんにLINEで呼び出された。
さっきまでミーティングで一緒の部屋にいたのに。
……もしかしたら。
逸る気持ちを抑え、私は部屋を抜け出した。
お風呂上がりでドライヤーの途中だったから、まだ少し髪が濡れていた。
引退するまでは誰とも付き合わないのは私も同じ。
でも、相手が伊坂くんだったら?
Tシャツにジャージのまま、夜を駆ける。
満天の星空。
東京ではこんな風には見えない。
電気が付いている。ナイター仕様だ。
呼吸を鎮めてブルペンに足を踏み入れると、伊坂くんはなぜかグラブとボールを持って立っていた。
「キャッチボールしようと思って」
「はあ?」
開いた口が塞がらない。
僅かでも期待した自分が、馬鹿みたいに思えた。
ため息をつきながら、渡されるがままグラブをはめる。
わざわざ私、ということは何か意図がある。
今までも選手とキャッチボールをしたことはある。
もちろん監督がいない時。遊び半分。
よく先輩に誘われた。
お、うまいじゃん。
なんて言われて調子に乗るほどおめでたくはない。
向こうは、遊び全部。ただのじゃれ合い。
それでも、でしょ? と敬語とタメ語の間で笑ってみせる。
女の子としてその場に居ることを、男の子達に求められている。
私はそれが嫌いじゃない。
私の中の常に渇望している部分を、彼らは満たしてくれる。
けど、引き替えに、私は大切なものを明け渡しているのかもしれない。
取り返しのつかない何か。
それが喪失なのか獲得なのか、私には分からない。
いつか分かる日が来るのだろうか。
誰かをジャッジする日も?
「ああ、やっぱ上手いね。今でもやってる?」
「時々練習見に行く。妹がいるから」
正確には、部活にはもう来ないで、と断られたばかりだ。
あたしはお姉ちゃんみたいにはならない。
ちゃんとプライド持ってソフトやってるもん。
男子にコビ売らなきゃ行けない甲子園なんて、行って嬉しいの?
「硬球怖い?」
「もう怖くない」
「最初は怖かったんだ?」
「伊坂くんだって怖かったでしょ?」
「俺はリトル上がりだから、硬球しか知らない」
その真っ直ぐさを羨ましく思う。
伊坂くんとキャッチボールをするのは初めてだ。
それなりに手加減は感じる。
けど、余計な気遣いはされていない。
呼吸が楽になっていく。
「マネージャーってさあ、中学の時キャッチャーだったんでしょ」
「うん、まあ」
「じゃあ俺の球、受けてよ」
スパン、と私のグラブにボールが収まった。
しばらく動けなかった。
そのままグラブを降ろした。
「……何、急に?」
「あの時俺が教室で言ったこと、覚えてる?」
真っ直ぐに私を見つめて、伊坂くんは言った。
一年の三学期。教室で。
否定も肯定もできなかった。
もちろん覚えている。覚えてはいるけど。
「俺もマネージャーも同じだって。俺はそれを証明したい」
「……どうやって」
口が渇く。鼓動がどんどん速くなっていく。
「俺の球筋、覚えてるでしょ」
「覚えてるからって無理だよ」
私は、男の子じゃない。
「覚えてることは否定しないんだ」
くくっと笑って、左手の人差し指をピンと立てた。
「ストレート。一球だけ。絶対、構えた所に投げる」
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