夏の終わりのプレイボール

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 私は嘘をついた。  硬球は怖い。  軟球だってソフトだって。  男の子の本気のボールが怖くないわけがない。  ましてや伊坂くんの球。    髪を結い上げ、メットに押し込む。  二年ぶりに付けるレガース、プロテクター、マスク。  硬球仕様を差し引いても、こんなに重かっただろうか。  片膝を付いてしゃがむ。  ど真ん中に、ミットを構える。  そこじゃない。  伊坂くんは、首を振る。  もう少し低め?  そこでもない。  眉を顰め、伊坂くんは首を振り続ける。  この位置、この高さから見る伊坂くんは、遠かった。  細長くて、黒いアンダーシャツが夜と混ざり合って、一本の真っ直ぐなシルエットのようだ。  瞬間、架空のバッターボックスに左打者が現れて、私は息を呑んだ。  だが透けている。  ただのイメージ。  けど、瞬きをしても消えない。  ボブカットの、小柄な女の子。  ……区大会、最後の相手打者だ。  あの時の配球は?  ストレート。アウトハイ。  なら、構えはここしかない。    完全な無表情が、首を縦に振る。  黒い輪郭が曖昧になり、夜空に溶けた。  私は、芽生と組んでて楽しかったよ。  けど、芽生はいつもどこか遠くを見てたね。  ……だからずっと不安だった。  振りかぶらない。  クイックから鞭をしならせるように、長い腕が飛び出る。  指先ギリギリのリリースポイント。  ミットは動かさない。   目は、絶対につぶらない。    ズバン、と飛び込んできた球はあらゆるものを吸い取ってきたかのように重かった。   「ナイピ!」  返球とともに叫んだ声が、カクテル光線に砕け散る。  時空を超えて届いてほしい。  ナイスピッチング。  その言葉に、いつも嘘は無かった。   うーわ、と伊坂くんは噴き出した。 「今フレーミングしたでしょ」 「してない」 「いや、絶対したね」    手のひらが熱い。  肩も腕もまだ痺れている。  忘れたくない。  この痛みを、大人になってもずっと。
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