薫るヒマワリ畑

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薫るヒマワリ畑

 背の高いヒマワリが太陽を見上げるように一面に咲き乱れている。太陽のように大きな花を頂点に咲かしながらも、夏の暑さに負けずに立っている。 「あれ⋯⋯ここはどこなんだろう」  こんなところに来た覚えはない。一刻も早く知っているところに行かなければ。ヒマワリの茎を掻き分けて前に進んでいく。  夏特有の湿度をふんだんに含んだ風が時折吹きつけてくる。その不快感に耐えつつ歩いていると、一部だけヒマワリが生えていない広場のように開けている場所に出た。 「うえ〜。ここは本当にどこなんだろう」  その場所に足を踏み入れると、白い何かが視界の隅でフワリと舞った。  咄嗟に目をむけると、そこには真っ白なワンピース。ラムネのような水色のリボン。水蒸気を多量に含んだ空気をも感じさせない爽やかさ。どこか人外らしくも感じるほどに美しい。 「君、もしかして迷子なの? このヒマワリ畑は迷うよね〜」  見た目とは裏腹にほんわかとしたような喋りに呆気にとられる。それでも彼女は気にしないようで、話すことをやめなかった。 「私は川崎薫。ここで会ったのも何かの縁だし、よろしくね」  スッと彼女は手を伸ばす。私は、恐る恐る手を握った。 「えっと、私は水無月結衣。ヒマワリ畑から出たいんだけどどうしたらいいかな」  キラリと光るラムネのビー玉みたいな瞳。色は決して青ではないのに、コロンとした宝石のような輝きに引き込まれてしまいそうだ。 「ヒマワリ畑から出たいの? いいよ! ついてきて」  優しく手を引かれる。一人の時は煩わしかったヒマワリの中をどんどんと進んでいく。ジェットコースターに乗ったような気分で爽快だ。  風を切って、ヒマワリの間を駆け抜けること三十分程度だろうか。彼女は急に足を止めた。 「⋯⋯どうしたの?」 「一つだけ聞いてもいいかな?」  優しげな笑顔の中に、どこか寂しさを感じる表情。感情が複雑に入り混じったようななんとも言い難い様子で口を開く。 「この先を出たら、君は帰れる。もちろん、私は帰るのを止めたりなんかしない。でも、もう少しだけお話したいな」  外からは私を呼ぶ声が聞こえる。必死に私の名前を叫んでいる。  彼女の方を見ると、大きな目を潤ませている。理由が分からない。 「君は、ついてこないの? 良かったら家に来なよ」 「⋯⋯行けないの、ヒマワリの畑から私は離れられないんだ」  何か理由があるのだろうか? 思考を巡らしても彼女がここに留まる理由が思い浮かばない。 「なんで? あそこで誰かを待っていないといけないの?」 「ううん、出ようとしても、いつのまにかあそこにいるんだ。ごめんね、こんな変な話しちゃって。⋯⋯またね」  そう言うと、彼女はヒマワリ畑の中へ入ろうとする。腕を咄嗟に握った。 「もしかしてだけど、私が手を引いたら出られるかもしれない。試してみない?」  なんの確証もない。あの子が出れるかなんて保証はどこにもない。でも、確率があるのなら。やった方がいいに決まっている。  決心したように、彼女は頷いた。 ——目を開けると、格子状の模様がある白い天井が広がっていた。ノートの方眼の目のように均一な四角が並んでいる。  そういえば、薫はどこにいるんだろう。ヒマワリ畑から帰ることはできたのだろか。 「結衣っ⋯⋯結衣! 良かった、良かった⋯⋯!」  唐突に声をかけられる。なにが起きているのかさっぱり分からない。 「いやあ、あれほど容態が悪化しても尚回復するとは。まさに奇跡としか言いようがない」  そんな言葉を横目に窓を覗くと、大きな入道雲が見える。光を反射して、眩しい。 ——そうか、私は広大なヒマワリ畑どころかこの狭い病室からすら出ることができないのか。 「ありがとう、みんなのおかげで退院できたよ」  そんな声が隣から聞こえた。また一人退院するようだ。男の子。私よりも後に入った子。学校の友達に囲まれて、沢山のお花をもらっていた。 「今日のお花はヒマワリだぞ。もう、夏か⋯⋯」  お父さんがヒマワリを机に飾ってくれた。ヒマワリの香りがする。いつもは嗅いだこともない香りに少しドギマギした。 「君も、きっとすぐに出られるよ。⋯⋯私がそうしてみせる」  ——朧げながらも聞き覚えのある不思議な声。そんな声が聞こえた気がした。  私の未来を夏の太陽が照らし出した。そんな気配がした。
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