第一話『九部良倫と合唱コンクール』

4/9
58人が本棚に入れています
本棚に追加
/403ページ
「お前の口から落ち着きを聞くとは思わへんかったわ……」  うるせえ、大きなお世話だよ! なんなら10年後も落ち着いてねえよ! って、それこそうるせえわっ!? 「オレにはわからんな。どうしてお前がそんなに落ち着きがないのか」  川崎が嘆息しながらパラパラと捲っている紙の束は一年と少しで俺が書き溜めた反省文の山だった。  遅刻のような些細なことから校舎からバンジージャンプを試みるようなキチガイじみた反省まで、すべてが形として残っている。 「俺が聞きたいっすね。ほい、書けましたよ~」 「誇らしげに言うことやないわッ!」  川崎の怒号もどこ吹く風で凝り固まった肩を揉みほぐす。窓ひとつない部屋というのはそれだけで息が詰まる。  この独房は空恐ろしいことに捕虜を精神的に追い込むためか、周囲を見まわしてもベージュ色の壁しか存在せず机と椅子と棚だけが無骨に点在するだけ。 「なあ久部良」 「なんです?」 「お前はきっとクラスの誰よりも図太くて無神経で空気の読めない生徒だと思うんだよなァ」 「めちゃくちゃ失礼っすね先生」 「でもな、それは強いってことだ。誰よりも心が頑丈で、ともすれば誰よりも器用に生きることができる才能があるってことだ」 「将来理事長に就任して先生のことこき使ってあげますね」 「なあ、久部良」  一言目には『面倒くさい』、二言目には『休みたい』と己の欲望に忠実な川崎にしては珍しく真面目な切り返しに俺は少しだけ戸惑った。 「何かを始めることは決して悪いことじゃない。できることが増えるのはいいことだよな。ただその尻拭いをする誰かがいることを知れ」 「先生とか?」 「ああ、そうだ。そして、それは途轍もなく幸せ者だってことだ。誰もお前に見向きもせず、後始末をしてくれなくなったとき、お前はどうする?」  ゆっくりと息継ぎをする音だけが部屋の中を支配して、それから最期の言葉が告げられる。 「──もう少し、後先を考えて行動しなさい」  それは俺の一番嫌いな言葉だった。誰にでもできることをどうして俺がしないといけないのだろう。  右のヤツに倣って、左のヤツにはそれを強要して。同じ穴の(むじな)を増やしても世界は変わらない。世界を変えられるのはバカ者だけだから。  中学生だって気づいてることを、空気を読んで見ない振りする大人が大嫌いだった。
/403ページ

最初のコメントを投稿しよう!