人権のない宇宙人

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雲を突き抜ける高層ビル群。熱い日差しに、青年は冷房の効いた涼しいカフェにでも入りたくなった。通行人たちが半袖の服を着て、それでも汗を拭いながら歩いて行く中、青年は軍隊から支給された防刃機能をもつ特殊な衣服を着用していた。いわゆる軍服であるが、昔木々に隠れられるように迷彩模様となった軍服とは違い、コンクリートの壁に馴染む灰色のものだ。  青年は巡回業務をサボるための正当な理由を考えた。「熱中症になってしまっては大変だ」 メインストリートから細い通りに入り、地面に座り込んだ。高層建築物が日差しを遮り、ビル風が前髪を揺らす。青年は、袖で首筋の汗を拭った。ズボンの内側に汗が溜まり、下着まで湿っている。今すぐシャワーで汗を流したいところだ。  しかし軍の施設で隊員たちと共同生活を送る青年は、そこで浴びるシャワーは好きではない。大勢いるのにシャワールームの数は少なく、誰かに急かされたらすぐに出ないといけない。自分より先輩だったり、自分より強くて怖そうな人だったりしたら尚更だ。  微かな悲鳴が聞こえて、青年は慌てて立ち上がる。悲鳴は数が増え、喉から振り絞るような叫声に変わった。乱立するビルに悲鳴が木霊する。大衆がパニックになり、助けを求めている。「あいつらか」唇から出る声が震えた。 膝を震わせながら、少しでも遅く現場に着くよう、ゆっくり歩いて表通りへ。建物の影から通りを覗くと、宇宙人が闊歩している。それは一体だが、人波はモーセの様に分かれ、宇宙人は堂々と中心を歩いた。宇宙人は虹色に光るフェイスカバーの付いたフルフェイスのヘルメットを被っていて、地球人より大きな体は、カブトムシの甲羅の様な素材で覆われている。  宇宙人が地球にやってきて分かったのは、文明が地球人より高度に発達しているということだ。目の前にいる宇宙人は一見何も持っていない様に見えるが、超小型のレーザー銃で撃ってくるかもしれないし、全攻撃を跳ね返す透明なシールドを纏っているかもしれない。  現に地球の様々な建造物が、日々大量に襲来する無作法な宇宙人共によって破壊されている。  青年は背中に、筒の長い銃を背負っていた。研究機関によって開発された、対宇宙人用の重量が十キロを越える銃だ。この銃で、地球人の安全を脅かす目前の宇宙人を鎮めなければならない。周囲に、他の軍人の姿はないようだ。青年は唾を飲み、背中の銃へ手を伸ばす。  リードの付いた小型犬が、飼い主の手を離れて走ってきて、宇宙人に向かって甲高く吠えた。宇宙人の手が犬に向かって伸びて触れた。すると犬は痙攣して倒れる。  青年は逃げ出した。宇宙人に背中を向けて、ビルの合間を走り抜け、反対の通りへ。胸ポケットのトランシーバーから、宇宙人の発見が確認されたため、駆けつけるよう指示が出る。通りの名前は、先程青年が宇宙人を発見した場所だ。通行人が警察に通報して、さらに軍へ報告が来たのだろう。青年は立ち止まり、騒ぎになっている方向に体を向けた。逃げたことが上官に知られたら、こっぴどく叱られるはずだ。しかし怒られることと、自分の身の安全を天秤に掛ければ、怒られる方が遙かにマシだ。  軍人にも関わらず宇宙人から逃げ出したと民間人に気取られぬ様、青年は平然とした態度を装って、とにかく現場から離れた。 分厚いカーテンが昼間の日差しを遮っている。扉をノックする音は、母が朝食兼昼飯を持ってきた合図だ。母が階段を部屋から遠ざかり、別の部屋に入るのを確認してから、少年は子供部屋のドアを半分だけ開けて、トレーに載った食事を手で引き寄せ、一歩も部屋から出ることなく、またドアを閉めた。 PCにヘッドフォンを繋ぎ、動画サイトを閲覧しながら食事を摂る。部屋の外から聞こえる家族の会話が嫌でヘッドフォンが手放せなくなったが、最近では生活音にさえも苛立ちを感じている。引きこもり生活が長引くにつれ、動画閲覧時の音量設定は大きくなっていった。 動画閲覧と同時にスマホでオンラインゲームをプレイする。少年はゲームの中でも会話はろくにしない。最近はまっているゲームは中世ヨーロッパを題材にしたもので、騎士団に加入することで他のユーザーとコミュニケーションをとることができるが、そこでも少年は無口であった。  保育園の頃から友達がいなかった少年は、小中学校とクラスに溶け込めず、高校では学校に行くのを辞めた。少年は毎日、自分のどこに非があるのか考えていた。運動神経が悪いのがいけないのか、髪型がダサいのが駄目なのか。人見知りが原因かもしれないし、その全てが複雑に関係しているのかもしれない。  引きこもるようになって最初の頃は、布団から出られないほど自分を責める日々が続いていた。しかし三年も経てば罪悪感や焦燥感は落ち着き、部屋から出ないことへの罪悪感も薄まっていった。少年の両親は二人とも元気だから、親が死んだ後のことは、そのときが来てから考えればいい。  スマホゲームのプレイ画面上半分を邪魔するように、緊急ニュースの通知が表示される。舌打ちするが、よく見ると目を剥くような見出しだ。 『○○で未確認飛行物体が確認。死傷者及び行方不明者多数』  少年は速効、通知をタップしてニュースアプリへ飛んだ。この世に未確認飛行物体つまりUFOの目撃が多々あれど、死傷者が出たというニュースは初めて聞く。またUFOに連れ去られるキャトルミューティレーションを体験したという希有な人はテレビで見たことがあるが、怪我まで負ったというのは聞いたことがない。 ニュースの記事はこうだ。某地区のオフィス街に未確認飛行体が着陸。現場は消防隊員や警官でごった返し、規制線が張られており、自衛隊も駆けつけているという。付近一帯に避難指示が出ているため、SNSを見ても動画は上がっていない。テレビのニュースであれば、報道陣が上空からヘリで撮影した映像があるかもしれない。  幾年ぶりに、少年は風呂かトイレ以外の理由で部屋を出た。廊下で慌てた様子の母と鉢合わせる。未確認飛行物体のニュースを見たという。少年は母に腕を引っ張られながら、テレビのあるリビングへと向かった。  少年はテレビの前にどっかり座る。どの放送局も緊急ニュースに変わっていた。少年の予想どおり、テレビ画面はヘリコプターで上空から東京某区の町並みを映し出している。 『あちらの上空から突如、未確認飛行物体が出現して、今画面に映っている車道に速度を落としながら停止したということです。これにより、車道を走行していた車両が未確認飛行物体に激突、また後続車による玉突き事故が発生しています』  片道三車線の道路のど真ん中に、飛行船に似た物体がある。それに激突したであろうトレーラーより、着陸した未確認飛行物体の方が二回り以上大きい。 『現在火災も発生しております。こちら事故車両からガソリンが漏れ出し、発火したものと思われています』  先程から現場が不鮮明だったのは、カメラの問題ではなく、火災により立ちこめた煙だったようだ。 『何が起こるか分からない状態です。周辺地域の住民の方は、むやみに近づかないようにしてください。命を守る行動をとりましょう』  着陸した未確認飛行物体に新たな動きはないらしい。どの放送局も同じヘリコプターからの映像を映している。現地のキャスターが同じだから間違いない。少年の隣、割と近いところに母が座るので、ウザったいと手で追いやる。どうやら母は、宇宙人が降りてくるのを待っているらしい。 「アホくさ」少年は吐き捨てて部屋へ戻った。パソコンはいつもどおり動画サイトの動画を適当に流していたが、思考は完全に先の未確認飛行物体に向いていた。  巷で有名な、幽霊・宇宙人論というものがある。これは目に見えないものに対する意見は三つに分けられるというものだ。  一つ、幽霊はいる。これはオカルト全般を信じる者の考え方だ。  二つ、幽霊はいないが、宇宙人はいる。こちらは幽霊というオカルティックなものは信じないが、宇宙の果てには生物のある惑星があってもおかしくないという考え方だ。  三つ、幽霊はもちろん、宇宙人はいない。これは、自分の目で見たもの以外は信じないという考え方だ。  少年は二つ目の考えを推しているが、人間のたどり着けない遙か遠くの話で、宇宙人がUFOに乗って地球に来るとは微塵も思っていない。おそらく他国が秘密裏に開発した飛行物体が、日本上空で何らかの事情により飛行を続けられなくなり、あの場所に着陸したのだろう。  SNSは混乱状況にあるとき、情報が錯綜して、事実と嘘の見分けがつかなくなる。実際、人気がありトップに来ているトピックは、未確認飛行物体についている小窓から宇宙人の顔が見えたという現実的ではないものだ。  ネットTVのニュース番組でも、未確認飛行物体に関する情報が映像つきで放送されている。何らかの動きがあるかもしれない。少年はネットニュースの映像を垂れ流しながら、放置した食事の続きを口にした。冷めていて、食べられたものじゃない。少年は扉を半分だけ開き、隙間から食事の残ったトレーを廊下へ置いた。  しばらく見ていると、消火活動が終わり、煙がなくなって未確認飛行物体の全貌が露わになった。追突した自動車たちは消し炭になっていたが、飛行船の様な形状のその物体は焼け落ちることなく、新車のような輝きを保っている。やはり戦車のような造りになっているのだろう。どこかの国の軍で使われている乗り物だと少年は確信した。  未確認飛行物体の側面についたハッチが開いたが、出てきたのは期待されたような宇宙人などではなく、また少年が考えていたように外国人が降りてくるでもなかった。無人の月面探査機に似たロボットが一基、外へ出てきた。透明な盾を構えた警察の特殊部隊が後退する。  数日経っても話題は変わらない。未確認飛行物体のことで防衛大臣の緊急会見があり、各国首脳の演説があった。方向性としては、国という隔たりを取り払って協力して事実を究明しようということらしい。 さらに警視庁や自衛隊、消防など連日様々な場所からの会見映像が流れていた。謎の飛行物体から降りてきたロボットは、ネットでの捕獲が試みられた。しかし警官の持つネットがロボットに触れたとたん、倒れてそのまま意識が戻らなくなってしまったという。その瞬間は、少年がゲームに気を取られてネットTVの中継映像から目を離していたときであった。結局警察官や自衛官、消防隊など大勢が現在も病院のベッドで眠っているという。 そのロボットは東京中を自由に移動し、離れたところから自衛隊により見張られている。それをさらに後方から撮影した映像が、常時ネット配信の一つの枠で垂れ流しになっていた。  少年は定期的にニュースを見る習慣がついた。といっても部屋でネットニュースを見るだけだ。いつもどおり見ていると、少年の目を引くトピックがあった。 『世界中で対宇宙の軍隊をつくる流れ』  記事を読めば、対宇宙軍を作った海外に当事国である日本も習い、新たな軍隊を作るという法案が国会に上がっているという。しいては大々的に民間から軍人を募集すると記者の予想が書かれている。これを読んでも、少年に心配はなかった。先日の事件で大きく減った公務員及び、それとは別に新たに作る軍隊の隊員を大量に募集するとしても、手を挙げる有志の者はたくさんいるだろう。もし人員が足りなくても、健康的な成人男性から順番に呼ばれるに違いない。家から出ない未成年の自分には関係の無いことだ。  軍人にも関わらず宇宙人から逃げ出した青年は、基地に戻ると、すぐさま上官に呼び止められた。襟首を掴まれ、近距離で叫ばれるものだから、上官の唾が飛んでくる。「なぜ戻ってきた」 「家に帰して下さい」青年は、もう何度目かも分からない懇願をした。そのまま突き飛ばされ、青年は抗う術もなく硬い床に転がる。 「カタツムリ野郎が。お前は一生を軍人として終えるんだ。帰る家はない」  鳩尾を蹴りつけられ、青年は丸まって痛みを逃す。カタツムリと不名誉なあだ名が付いたのは、元引きこもりで、更にここでの訓練に根を上げて脱走し家に帰ろうとしたからである。もちろん速攻で連れ戻されて現在に至る。脱走を図れば連帯責任で訓練量を増やされるから、隊員同士の監視も厳しくなる。 「お前の同士は皆、任務を全うした」  恐る恐る顔を上げると、具合の悪そうな顔色の上官が眉間に深い皺を刻んでいた。 「長い治療が必要らしい。全員除名処分だ」  怪我をして復帰が難しいとなれば、対宇宙軍から除名され、快復後は普通の生活に戻ることができると青年は聞いたことがある。しかし怪我をすることも怖いから青年は基地に逃げ帰ってきたのだ。 そしてこの上官は余程偉いらしく、現場に駆けつけることはしない。青年に勇気があったら、お前だって現場に行かないじゃないかと言い返してやりたいところだ。 「直々に稽古してやる。これ以上蹴られたくなかったら、今すぐ立ち上がれ」  慌てて立ち上がる青年に、上官は背を向けて前を歩いて行く。その先にあるのは屋内の訓練場だ。屋内運動場と対して変わらない。バスケのゴールが見当たらないくらいだ。  真夏の訓練場はサウナの様に蒸し暑くなっている。当然だが、基地にはクーラーがない。上官は、青年に腕立て百回を命じると窓際へ向かっていった。一人だけ涼むつもりだろうが、青年は腕立て伏せが苦手だから、横目で上官の様子をうかがう余裕などない。  二十回もすると、肘を伸ばすことができなくなる。すると上官の檄が飛んで、腕立ては二百回に増えた。どうせ何かしらの理由を付けて回数を増やされるのだから、適当な腕立て伏せでも構わないだろう。  とうとう体が持ち上がらない。全く動けなくなった青年に、上官はスクワットを命じた。青年はスクワットも苦手だ。少し腰を落として、すぐ上げる動作を繰り返す。どこかへ行った上官の、絡んだ痰を吐き捨てる音が聞こえてくる。声はガラガラで眉間の皺も酷いが、あれで割と歳は若い方だと、今は亡き同期から聞いた。  さっきの現場で怪我をして除名になったのが青年の同期ではない。青年は過去にも三回、理由をつけて現場へ向かわなかったことがある。そのたびに仲間は全員重症を負うまで戦い、除名されて新たな仲間が連れてこられるのだ。  外が暗くなってきた。腹の具合からして、夕飯は逃しただろう。体中の筋肉が悲鳴を上げているから大の字に寝ていると、またどこかへ消えていた上官が小さな器を両手に一つずつ持ってきて床に置いた。透き通った黄金色のスープが揺らいでいる。 「一人で食っても味がしない」  上官はあぐらを掻いてスープを口に運んでいる。このスープは何人で食べようが、そもそも塩が入っていないのだから味はしない。青年は渇いた喉を潤すように、スープを一気に飲み干した。うっすらコンソメの風味がする気がした。  先程から、上官はずっと噎せている。スープが気管に入ったのかと思ったが、だんだん苦しみだした。青年が慌てているうちに、上官は咳が止まり調子を取り戻す。 「明日は四時から射撃訓練だ」  上官は自分の器も放置したまま訓練場を出て行った。その後ろ姿は痩せた老人のようだ。  真夏だから一応日は出ているが、青年にとって朝の四時は、まだ夜のうちだ。しかも、この後新しく編成された部隊で訓練と、休みを挟まず巡回任務がある。 青年が射撃場に顔を出すと、すでに上官がいる。今は朝食を摂るはずの時間だ。青年は、上官共々食事抜きという訳だ。ろくに戦闘していない上官から銃について、これ以上教わることはないのではないか。青年は端からやる気が出なかった。  とりあえず耳栓をして銃を構える。弾が出るのと反対の端を肩に当てて固定し、的を見定める。すると頭をわしづかみにされて、青年は驚いて銃を下ろす。上官が耳栓を外せとジェスチャーをしている。 「馬鹿野郎。肩が吹っ飛ぶぞ」  銃の端は肩でなく、胸に当てるらしい。そうでないと撃った衝撃で肩が外れるという。しかも、形は猟銃に近くても複雑な作りになっていて、あちこち押したり引いたり捻ったりしないと弾は出ない。すべて一から教えられ、ようやく射撃訓練が始まった。青年は、この上官を銃の素人だと思ったことを恥ずかしく思った。いくら戦闘に出なかろうと、対宇宙軍にいるということは銃の使い方くらい分かるのだろう。青年の方はといえば、軍に招集されたショックで、入隊当初に受けた大体の説明は頭に入っていない。 訓練は続けられ、銃の反動であばらが痛んでも、上官は軟弱野郎と罵って片付ける。  ようやく特別訓練から解放されたと思えば、全体で訓練をする時間だ。青年は尻を蹴られながら射撃場を後にする。  続けざまの訓練でヘトヘトに疲れた青年は、いつものルートを巡回し、いつもの場所でサボる。ビルの壁に背を預けて休んでいると、右の視界に地球人とは違う形状の大きな影が動いた。慌てて立ち上がり、背負っていた銃を構える。  それは太い四つ足を地面について、ゆっくり青年の方へ向かってくる。巨大な頭部はブルドッグのように皮膚が垂れていて、顔が見当たらない。全身は芋虫のような形状をしていて、移動の様子はそれこそ虫そのものだが、なにしろサイズが大きく、表情も見えないことに青年は恐怖を覚える。  今まで見てきた宇宙人と違い、四足歩行だから両手足が塞がっている。 「これなら倒せる」青年の脳裏に、くたびれた上官の姿が浮かんだ。ありがた迷惑な特別訓練を強いてくる上官に、訓練の成果を見せつけてやりたくなった。 震える指で引き金を引いた。それは対象より向こうのビルの壁にぶち当たる。銃声の跡、青年の耳が周囲の音を拾わなくなる。大きな音を聞いて一時的に難聴になっているのだろう。 宇宙生物はまったりとしたペースでこちらへ向かってくる。徐々に狭まる距離に、青年は恐怖を覚えて銃を乱射した。這って移動する宇宙生物は横に倒れる。背中に銃の命中した跡がある。装甲の柔らかい生物だったようだ。  心臓の音が耳まで聞こえる。青年は肩で息をしながら、興奮状態のままトランシーバーで部隊に報告を入れた。応援を待つ間、倒した宇宙生物が突然起き上がりやしないかと気が気でない。青年は、それから目を離さぬようにした。  パトカーのサイレンが鳴り、そばの交番の前に毎日立っている警官が駆け寄ってきた。 「おつとめお疲れ様でございます、軍人殿」  青年が人見知りのあまり名前も階級も教えないものだから、この警官はいつまでも青年のことを軍人殿と他人行儀に呼んでくる。腹の出た中年の彼は、青年が交番の前を通ると必ずユーモアのある話しを聞かせてくれる、父親のような存在の人だ。青年の父も、口を開けば洒落を言って自分で笑う、小太りの鬱陶しい人であった。思い出すと寂しくなるものだ。 「恐がりの軍人殿が、まさか地球人に害を及ぼす宇宙人を倒すとは。銃弾の跡が凄い。大変な戦いになったのですね」  ビビリ散らかして銃を乱射したと言いたくなくて、見栄を張って青年は大きな身振り手振りで、いかに強い敵だったか盛って話す。厚底ブーツの音と共に、青年と同じ隊服の仲間たちが集まってきて、彼らと抱擁を交わす。宇宙人の死骸は、まだ顔立ちの幼い、軍服を着ているというより服に着られてると表現した方がいいような少年たちが回収していく。今まではこんな幼いのはいなかった。そのうち対宇宙軍が子供だらけになりそうだ。  各々見回りに戻る様だから、青年も彼らに倣って見回りを再開しようと路地を出る。丁度、スマートフォンを持った女子が角に立っていて、早口で呟きながら、こちらを見ていた。  重い銃を背負って歩くだけでも辛いのに、先程何発も撃ったものだから、青年は暑さも相まって、ヘトヘトに疲れ切っていた。胸ポケットのトランシーバーから至急、至急と聞こえてくる。誰かの担当区域で宇宙人が現れたのかもしれない。しかし関係ないと、青年は無視を決め込む。すると今度は自分の名前が呼ばれたものだから、驚いて耳に当てる。反対の耳を塞いで荒い音に耳を澄ますと、どうやら上層部から呼び出しがかかっている。何事だろう。青年は一気に青ざめた。先程までの高揚感はなくなって、冷や汗が止まらない。一体自分は、何をしてしまったというのだろう。慌てて基地まで走った。  初めて未確認飛行物体が現れたときから、約二年が経った。二十歳になり、少年は青年へと体だけが成長した。対宇宙軍をつくる法案に関する議会は難航したが、無事制定された。青年はスマートフォンで記事を漁っていた。海外ではロボットでなく本物の宇宙人が発見されて戦争が起きているため、青年としても、この平穏な日々を守るために対宇宙軍を作ってほしいと願っていたから、ありがたい話だった。  しかし、対宇宙軍が発足されても反対派は多いらしい。SNSでは、その資金を集めるための急な増税が受け入れがたいという意見が反対意見のほとんどを占めている。次に、宇宙人だからと言ってむやみに殺生していいのかという、保護の観点から反対している専門家や宇宙人マニアがいるようだ。  法律云々は関係なく、世論は宇宙戦争の話しで盛り上がっている。対宇宙軍の制服を着たゲームキャラクターのイラストがタイムラインを流れてくる。青年は相変わらず、部屋から出ない日々を過ごしていた。プレイするゲームアプリも同じだ。小遣いで課金し続け、結構な強さになりつつあるのだが、サービス終了が噂されていて、青年としては宇宙云々よりも、そっちの方が心配だった。 「これはデマっぽいな」  サービス終了はデマという記事のソースが信用のあるところから来ているようで、青年は安心してゲームに戻った。  街のスピーカーがハウリング音を慣らす。青年はカーテンの閉じた窓に視線をやる。すると耳をつんざくようなサイレン。家の中にまで音が響いてくる。本能的に、危険を感じさせる音だ。この平和な国では、およそ聞くことのなさそうなサイレン音。 『緊急警報。これは訓練ではありません』 繰り返される念押し。窓を開けて、続きに耳を傾ける。 『当国に未確認生命体が確認されました。対宇宙軍は劣勢にあり』  青年は窓を閉め、鍵を掛けてカーテンを閉じた。スマホを持ってベッドで布団を被る。こんな警報は初めてだ。対宇宙軍が劣勢。ドアが開く音と共に母に名前を呼ばれる。大丈夫、そう返すが、落ち着いた頃を見計らって、そろそろと顔を出すと、母がドアの枠を掴みながら、様子をうかがっていた。  ネットTVで防衛大臣による緊急記者会見の同時放送を視聴する。通夜のような雰囲気で伝えられたのは、対宇宙軍の大多数が重傷を負ったということだ。かろうじて会話できる状態の隊員からの報告によると、前衛にいた隊員がパニック状態になって、それが伝染して集団パニックを引き起こしたという。記者からは、訓練を積んだ軍人が集団パニックを起こすことはあるのかという疑問が出たが、そもそも宇宙人という未知の生物のため、あり得るのではという的を射ない返答であった。  夕方になると、青年は部屋から出て食事を取ることが増えた。気分にもよるが、大体そうしている。理由は、父の不在によるものだ。  食卓に、三人分の温かい食事が載せられる。漬け物や煮物が多くて、年寄りの様な料理を作るところが嫌いだった。しかし今は、母の心労で痩せこけた顔を見ると文句は言えない。  対宇宙軍発足が決まってから、この家庭で一番先に軍への招集が掛かったのは、サラリーマンの父だ。爆音で音楽を聴いていた青年は、父が悩んでいたことも、家からいなくなったことにも気づかなかった。未確認飛行物体が現れてから今のTVを見るために一階へ降りるようになって、母から打ち明けられた。  リビングの隅に置かれたテレビには、宇宙人と地球人の激しい戦闘が繰り広げられている。画面の端にはLIVEの文字。これはCGアニメや映画などではない。最後に茶を二杯手に持った母がテーブルに座る。必ずニュースを付けるのは、この戦闘集団に父が混ざっているかもしれないからだ。  緊急ニュースが挟まり、見慣れた防衛大臣が卓に着いた映像に切り替わる。 『新たに対宇宙軍の隊員を補充するにあたり、国民からランダムに選出することに決まりました』選ばれた者には、はがきが届くという。健康に難がある場合は、証明を提出することで免除されると大臣が説明している。  食器は片付けずに部屋へ戻ってベッドに寝そべった。よくよく調べると健康状態に難がある場合の免除というのも、難病など重い場合が対象になるという。スマホで同年代の人間がどれくらい軍隊に駆り出されているか確認する。「まだ、だれも呼ばれていないじゃないか」  翌週、青年の元に仰々しいはがきが届いた。防衛省の印字があり、母は家のポストの前にしゃがみ込み、涙を流していた。  基地に戻った青年は、誰もいない寒々しい内部を走って、偉い人のいる部屋へノックして入った。アンティークのデスクを挟んだ向こうに、坊主の厳つい男が座っていた。顔をしかめていて、今すぐ殴り掛かってきそうな気迫がある。しかし男は、青年の想像よりはるかに高くて張りのある、若々しい声で直球に話題を切り出した。 「宇宙人を殺したそうだな。どんな奴だった」 「おぞましくも、こちらへ迫ってきまして。必至に頭に弾を撃ち込みました。強敵でした」 「その様子を通行人が撮影していたそうだ。軍人が、ただ道を歩いていた宇宙生物を殺めたと」  青年は頭を下げた。話しを盛ったことがバレたようだ。恥ずかしくて顔が熱い。 「新人。未確認生命体に関する法律を言え」 「全部ですか」青年が確認すると、偉い人は机を蹴った。慌てて青年は、うろ覚えの新しく制定された法律を述べていく。続きが思い出せず唸っていると、偉い人は深い溜息をついた。 「第三条四項、敵対意思のない未確認生命体をむやみに殺めることは、地球人の生活における安全、安心を脅かすものであり、これを禁ずる」  よく分からず首を傾げると、とうとう偉い人は立ち上がって青年の方へ近づいてきた。宇宙人と同じくらい怖くて、もう撃ってしまいたいほど青年は怯えた。 「お前が宇宙人を殺したことが民間人の間で騒ぎになり、しいては法律制定に問題があったとして国会前で保護派によるデモ活動が発生している」  偉い人は壁際の大きいTVの電源を付けた。防衛大臣による緊急記者会見が行われていて、法律には問題がないと何度も連呼している。世間に出回っている軍人が敵対意思のない宇宙生物を殺めている様に見える映像は、その角度から見るとそう見えるだけで、実際は事情が変わると、映像外で攻撃を受けたため反撃したと説明している。  青年は、自分の犯した過ちが、大臣によって蓋をされたことを理解した。同時に、大きな後ろ盾を得たような安心間を覚えた。法に反して、それを無かったことにしてもらったのは、当たり前だが青年にとって初めての出来事であった。  宿舎へ戻る途中、青年は段々、ことの重さが分かり始めた。この秘密は墓場まで持って行かなければならないのだ。これからの長い人生で、一度も、誰にも話してはならない。  おそらく青年の母であれば、罪を打ち明けても自分を庇ってくれるだろう。しかし対宇宙軍ではスマホを持つことも許されていない。それに一度入れば、復帰不可能な負傷をしないかぎり、基地から解放されることはない。  通りから美味しそうなフルーツの香りが漂い、カフェの前にテントを張って何やらスイーツを売っているところを青年は見つけた。引きこもっていた頃から甘い物とカロリーの高いものが大好物で、手持ちの金があれば、勤務中でも買ってこっそり食べたいほどだ。  今現在、青年の危険手当や給料は、全て青年自身の口座に振り込まれているらしいが、説明に聞いただけで、母から与えられたものを衣食していた青年は、自分の口座のキャッシュカードや通帳は当たり前に母に預けていた。軍隊に呼ばれた際も、慌てていて着替えやら歯磨き粉やら、旅行のような荷物を纏めるだけで精一杯で、すっかり青年自身も母も忘れていたのだ。  羨ましく思って、浅ましくも匂いを堪能しようとカフェに近づく。青年の前に、頭から女優帽を被った、ストッキングをはいた足が折れそうなほど細い女性が、品定めしている後ろ姿がある。この暑さに全く露出をしないファッションは、よほど日焼けを避けているのだろうが、記録的暑さのこの日にその格好は、青年には理解不能である。青年は女性と付き合った経験はないが、もし相手ができるなら、夏は夏らしく露出のある、冬は冬で温かい格好をした普通の感覚の女性がいいと思った。  あまりに女性が長居して商品を一向に買わないものだから、青年から見えるエプロンをした店員の顔も引きつっている。いや、この表情の固まり方は尋常じゃない。もしや、おののくほど醜い容姿をしているのか。青年は、通り過ぎ様に振り返って女性を見て、慌てて背中の銃に手を回した。女性と思っていた後ろ姿は、宇宙人であった。顔の殆どを占める大きい二つの瞳が、青年の視線と交差した。ストッキングに見えていた脚は昆虫のように細い脚で、そもそも全身が黒い体で、髪の毛はなく、性別は分からない。古典的な宇宙人グレイをめかし込んだような容姿をしている。宇宙人はカブトムシのような腕を伸ばしてビニールパックに包まれた商品を取ると、お代を払うような手つきで、地球人には分からない物質を置いた。そして完全に青年と向かい合う。 「はじめまして。私は○○の同僚で、○○といいます。あなたが来るのを待っていました。ここに来ること、知っていました。チキュウの言葉を分かります」  ギリギリ聞き取れる超音波のような甲高い声で、独特の訛りのある話し方だ。青年は、喋る宇宙人を初めて見た。青年が叫んで逃げ出す。怖くなって後ろを振り向くと、四本の節足を高速で動かしながら、ゴキブリのようなスピードで、その宇宙人が迫ってきていた。  よそ見をして走っていた青年は、進行方向に向いていた側頭部に衝撃が走って倒れ込んだ。視界に青い空と、今ぶつかった相手であろう電信柱がそびえている。昆虫のような宇宙人は青年に覆い被さってくる。青年は全力で手足をばたつかせて、蹴りや拳を打ち込むが、硬い甲羅のような体にぶつかって、痺れが襲ってくる。 「なんで殺した」鼓膜が破れそうなほど甲高く耳に刺さる叫びを宇宙人が発する。青年は顔をしかめて、攻撃していた両手で耳を覆った。すると叫びは更に大きくなっていき、空気が震えるのを青年は肌で感じる。もう何を言っているか分からない崩れた言葉、もしくは宇宙人の元々の言語で叫んでいる。青年は、対抗するように大声を出した。「うるさい、うるさい」 益々大きくなる宇宙人の悲鳴に、青年の視界は歪み、意識は遠のいていった。 目が覚めるとそこは、基地にある医務室であった。横になった青年の上に、使い古した毛布が申し訳程度に掛かっている。対宇宙軍にも医師が一人いて、ベッドを囲むカーテンの向こうに、人影が座っている。おそらく他の隊員によって、ここまで運び込まれたのだろう。窓の外は暗く、星空が望める。まだ目が覚めていない振りをして、ゆっくり休もうと、青年は再び目を瞑った。 しばらく眠っていたのだろう。青年は額にひんやりした感触を覚えて目が覚めた。手で熱を測られているというより、何か機械を当てられているような。しかし眠気が残っていて、瞼が開かない。 『こんにちは。わたしは別の銀河系から来ました』  青年の頭に直接言葉が浮かぶ。何事かと跳ね起きると、カーテンが空いていて、枕元に機械の塊の様なメカ風の宇宙人がいる。青年のベッドに機械を置いて、それから伸びたコードが青年の額に当てられている。宇宙人が基地内に侵入している。もしかすると、先程カーテンの向こうにいると思っていたのも、医師ではなく、このメカ風宇宙人だったのかもしれない。  宇宙人から目を離さないように、手探りで銃を探すと、青年の傍らに置いてあった。すぐに引き金を引いて構える。なぞの機械を額に当てる行為、そして基地への侵入。これらは明らかに敵対行動だ。青年は、この宇宙人を撃っても構わない状態にある。 「侵入者、侵入者。宇宙人がいる」 青年は胸元のトランシーバーで、口を大きく動かして、できるだけ、はっきりと聞き取れるように大声で応援を呼んだ。この遅い時間に基地に大勢人がいるとは思えない。ほとんどの平隊員が、基地の敷地内にある宿舎の方にいるだろう。すぐに入り口へ上官が押しかけてきた。胸にたくさんのバッジがあり、基地内で仕事をしていた偉い人だろう。また次々と隊員が駆けつけてきて、青年を援護するような陣形をとった。  何語か分からない言語が宇宙人から発せられ、その宇宙人をシールドが、すっぽり覆い隠す。大量に打ち込んだ銃弾はシールドの周りに静かに落ちる。衝撃を吸収しているのだろう。これ以上の攻撃は無駄だ。緊張状態のまま、互いに静止する。  メカメカしい宇宙人は、じわじわと青年に近づいてくる。銃の構えが甘かったのか、肩に激痛が走る。宇宙人は機械と、それから伸びるコードを持って近づいてくる。下がり続けた青年は、腰がベッドにぶち当たってそれ以上下がれなくなった。コードの先端が、青年の額に押しつけられる。 『わたしは○○銀河系、○○惑星、○○という名前です。今日は、死んだ○○の代理で来ました』  翻訳特有の稚拙な日本語と、おそらく固有名詞を言っていると思われる、地球人には理解できない発音の単語が混じっている。死んだ某の代理。青年はすぐに昼間殺めた宇宙人と、偉い人の言っていた、敵対意思がない宇宙人は殺めてはならないという法律の話しを思い出した。 『○○の家族は悲しいです』『謝罪を要求しています』。つまり、昼間の宇宙人を殺したことを謝れと言っているのだ。 「元々は勝手に地球に侵略してきたお前らが悪いんだろ。それに俺は、あいつに危険を感じたから撃った。分かったら今すぐ帰れ」  青年は全ての怒りを代理人と名乗る宇宙人へぶつけた。他の隊員がいる以上、自分に非があったことを話すわけにはいかない。事実は闇に葬られたのだ。  どんどん応援が増えて、大勢に囲まれた宇宙人は、入り口から堂々と帰って行った。地球人の弁護士のように、絶対に融通の利かなそうな雰囲気を感じた。  このようなことがあっても、翌日には、朝日と共に青年は街への巡回へ出る。基地の内部は警備が厳しくなった。青年より更に新人の幼い隊員が、基地内部を徹底して見回っている。  昨夜のことは、咄嗟に起こされたこともあり悪夢かもしれないと思っていたが、この様子では本当に宇宙人が昨日、青年と会話するという明確な意思を持って宿舎に侵入してきたのだ。  あの宇宙人がまた接触を図って青年の元に来やしないか、青年はいつも以上に周囲を警戒しながら歩いた。いつものサボり場所は、昨日の件で嫌な思い出の場所となってしまった。別の避暑地を探しながら担当地域を練り歩く。かなり猫背の青年は、背負った長い銃によって背筋を矯正されているようなものだ。丁度、背中に定規を差し込むように。  青年が前から目を付けていたサボり場所の第二候補は、公園のベンチだ。背の高い木で外周が被われていて、外から見えにくい場所である。腰掛けると、ビルの隙間よりは体感として暑いものの、直射日光を浴びずに済む上、直に固い地面に座らなくていいという利点もある。  噴水と遊歩道のみで遊び場のないこの公園は、昼間でも親子連れがいない。早朝だと老人の散歩している姿も見かけるが、太陽の真上にあるこの時間は、人っ子一人いない。  青年から見て左側の入り口から、人影が入ってくるのが目の端に映る。仮にも軍人だから、少しは巡回しているように見せなければと立ち上がって適当に公園の中を歩く。そろそろ先程の通行人も去ったかと振り返ると、見覚えのあるメカメカしい生き物がこちらへ向かってきていた。代理人を名乗る宇宙人だ。心臓が止まるほど驚いた。足がすくんで逃げることもできない。金縛りのように、目をそらすこともできず、宇宙人に昨日の機械を額へ押し当てられるのを許してしまう。 『彼は素晴らしい人だったと、彼の家族から聞いています。優しい、無害な、親切にする人でした』  無害という表現は表現的に正しくないが、要は亡くなった人に対して周囲の人間が「彼は良い人でした」という様なものだろう。 『あなたに詳細な、状況の説明を要求します』  逃げ場の無い状況に、青年の震える喉から、か細い声が出る。 「世間に出回っている映像は、ビルで影になっているところがあるだろ。あの宇宙人は、先に攻撃してきたんだ。画角的に映っていないだけで」 『どのような攻撃をしたか説明してください』  青年は困った。あの巨大な芋虫のような四つ足を地に着いた生物が、はたしてどのような攻撃方法を持ち合わせているのだろう。 「唾を吐いてきた。人体を溶かす粘液だと思って撃ったんだ」 『あなたは通行人に唾を吐きかけますか。真実とは思えない説明です』 「人間はやらないが、ラマとか、動物ならやりかねない。あいつは四本足であるいてた」 『○○の住む○○惑星は、重力が、チキュウ、より重いです。進化の過程で、生体の形状は決まります』  つまるところ、あれでも地球でいう牛や馬みたいな動物ではなく、人間だったというわけだ。正真正銘、意思のある宇宙人だったと。 『○○の家族から、オーディオ手紙、もらいました』  怪しい言語で何を言っているか不明瞭だが、メカメカしい宇宙人は、機械だらけの手をなにやら動かし、動画を再生した。芋虫型の宇宙人が何人もいて、動いている。ビデオレターを預かってきたと言いたかったのだろう。画面の中は天井の低い家が映されていて地球の家と似ていたが、色彩や、見たことのない機械類から、文明の違いを感じた。青年にも分かる言葉でテロップが流れている。巨大な芋虫が三体並んでいるように見えるが、右から、青年の撃った宇宙人の祖父、母、父だという。彼らは自分たちの孫及び息子に当たる、あの宇宙人が、いかに育ったか、どれだけいい子だったかを訴えている。仕事が軌道に乗っていて、宇宙旅行が終わったら昇進も待っていたそうだ。  ここまで見せられて青年は、誘拐された子供の親が誘拐犯に向けてTVで訴えかけている映像を思い浮かべた。まるで自分が悪人の様に言われていて腹が立つ。戦争とは無縁の時代に生まれたと思ったら宇宙人に攻め込まれ、父は軍に呼ばれて、次に自分まで招集された。運動とは無縁の子供時代を送っていたのに急に軍隊式の訓練を強いられる過酷な日々に、死傷は名誉と言われて危険な戦いを迫られる毎日。 「撃たなきゃ怒られる、撃ったら撃ったで、それは違う。もう、こりごりだ」  二度と来るなと怒鳴りつけて、ビデオレターが映っているタブレット型の機械を払い落とす。青年はメカメカしい宇宙人を押しのけるようにして通りに出た。あの代理人を名乗る宇宙人の話しを聞けば聞くほど、あの芋虫のような宇宙生物もれっきとした人間であり、つまり自分は、別の銀河系から来たとはいえ人間を殺めてしまったのだという罪悪感が膨れあがってきた。  一カ所に留まっていると、また宇宙人に話しかけられそうで、青年は仕方なく全うに見回りの任務を遂行する。一発で宇宙人と分かるものもいれば、地球で調達した衣服を纏う、それと分かりにくい奴もいる。そのため青年は、いつでも銃が抜けるように、意識を集中させながら周りを見回して歩いた。  待ち伏せされたことといい、宇宙人側に青年の巡回ルートがバレているのかもしれない。青年はルートをずれて、一本隣の道に入った。本来は別の隊員が見回るルートだが、青年が今いる場所から離れた方に夜の店や昼でも遊べる場所が連なっていることから、この地区を担当する隊員は、その辺の店で遊んでいると噂だ。青年自身もサボるタイプだが、堂々と店に入って遊ぶ陽気というか暢気な奴の気持ちは一生分かりそうにない。  政治家の保有するビルの前に人だかりができている。大声で宇宙人の保護を訴えていて、反対派によるデモ活動のようだ。数名の警官が、度を超さないように見張っている。ビルに向かっているデモ隊の背中が、青年には人間の皮を被った宇宙人に思えて、もう人間不信になりそうだった。今にも振り返ったら宇宙人の顔があるのではないかと思ってしまう。  トランシーバーから、宇宙人が暴れて負傷者が出たと知らせが入る。青年は一度基地へ戻り、自衛隊からのお古である特殊車両で現場へ向かった。現場には先に警官や救急チーム、消防隊が人命救助や交通整備をしている。野次馬をかき分けるように車両は進み、青年ら軍隊が降りると、既に民間人は追いやられていた。コンクリートの地面がへこみ、民家が数棟、倒れている。火災の心配はなく、ただ行方不明者がいるということで、瓦礫を撤去しながらの捜索作業が進んだ。他の隊員に発見された負傷者が、担架で運ばれていく。 「宇宙人なんて、みんなこんな奴らばかりだろ」  皆殺しにしてしまえばいいのに。未確認生命体に対する法が甘いと、青年は叫びたくなった。夜通し瓦礫の撤去作業が続き、交代で休みを取るため、青年は基地へ戻った。  宿舎までは戻らず、基地で仮眠を取る。座っていても平気で眠れるほど、体は疲れきっていた。夢うつつの状態で、あの日青年が撃った、芋虫型の宇宙人が脳裏を過ぎる。真っ白な空間で青年と、あの日撃った宇宙人が二人きり。そいつは青年の足元まで這ってきて、必死になにかを訴えかけてくる。ブルドックの様に皺の寄った顔は悲しみを湛えている。本物は、こんなに豊かな表情はしていなかった。もっとおぞましい見た目で、エイリアンそのものだった。 「ボクを殺したこと、絶対に許さない」  芋虫型の宇宙人の顔が急にはっきりと見えて、見開いた目は血走り、大きく開いた口からは凶暴な歯がむき出しになっている。青年は必死に逃げようとするが、足元が雲のように柔らかく全く逃げることが許されない。 「お前の夢に毎日出てやる。逃げられると思うな」  宇宙人の口から粘液が飛び出し、青年の体が溶けていく。大声で叫ぶと、そこは先程まで青年が仮眠を取っていたソファーであった。周りの隊員に白い目で見られていないことから、叫んだのは夢の中だけだったのだろう。青年は大量の汗をかいていて、暑さのせいというより、悪夢による冷や汗のような気がした。水分を補給しに流し台までいき、コップを取ろうと振り返ると、夢で見た芋虫型の宇宙人が確かに目の前にいる。青年は自分でも情けないと思うような声を上げて尻餅をついた。 『お前を許さない』  機械から発せられた、青年でも分かる言葉。わざわざ翻訳機を使っていることこそが、これが夢でないことの証明だ。もう逃げられない。死んだ宇宙人の幽霊が、一生自分についてまわってくるのだ。幽霊こそは絶対にいないと思っていた青年だったが、見てしまっては信じるしかない。自分が真実を隠し通す限り、この宇宙人からは逃げられないのだ。 青年は、走って、基地の外に出て、デモ隊を見た場所まで走った。練り歩いていたらしく、昼間とは違う場所であったが、デモ隊を発見することができた。青年は、彼らの前に立ちふさがった。対宇宙軍の制服に、デモ隊は敵意を向けてくる。宇宙人にも人権を、そう訴える大量の声を超越するように、青年は深呼吸の後、真実を告げた。 「俺は、昨日テレビで騒がれた、敵意のない宇宙人を撃ち殺した者です」  同じ地球人に語りかけているはずなのに、緊張で青年の言葉は片言になってしまう。デモ隊は更に興奮状態になり、警官が数名で押さえ込んでいる。 「現行の法律は、宇宙人から攻撃を受けた場合、反撃することを許されています。しかし、宇宙人は、人と付くとおり意思のある人間です。離れた銀河系に家族があり、友人がいます」  デモ隊が静まる。青年の次の言葉を待っているようだ。 「そして、宇宙人は地球人より遙かに高い文明にあり、地球人では恐怖を感じる行為も、宇宙人にとっては敵対行動ではない場合があります。俺は、勝手に敵対行動と勘違いした上で宇宙人を撃ち殺しました。宇宙人は、地球人の言葉を機械を通して喋ることもできるし、勉強していれば、外国語のように話せるようになるんです。違って見えても、同じ人間です」  応援するような声が、観衆から響く。 「この新しい宇宙人に関する法案は、宇宙人の人権を無視して家畜の様に扱っています」 あれから数日が経過した。青年は、己の過ちを街中で大声で説明した。たくさんのスマートフォンが向けられて、すぐに呼び出されたが、青年は人々への説明を続けた。現在、青年は自宅の周辺を走っている。見回りでなく、早朝ランニングだ。あの日の青年による必死の説明によって、未確認生命体に関する法に対する批判が続出した。軍隊にいた青年に知る術はなかったが、世論は宇宙人保護派と討伐派が真っ二つに割れていたらしい。法律は宇宙人を地球人と同じ法律で裁くこととし、それに応じて対宇宙軍は解散となった。元々自衛隊から派遣されていた者はそちらへ戻り、一般人だった青年の様な者は自宅へと帰された。  向こうから、芋虫型の宇宙人が来る。青年は呼吸がしづらくなった。もう全て打ち明けたというのに、隠し事はないのに、まだ解放されないというのか。 『聞こえますか。私は、○○の叔父です』  聞き慣れた機械音は、代理人を名乗る宇宙人が持っていた機械から発せられた音と同じだ。そして目の前の宇宙人は、青年があの日撃った宇宙人の、叔父だ。 『代理人に頼みましたが、私は直接会いたいと思いました。○○のこと、たくさん知ってください』 『○○は、幼い頃に隕石が衝突して、両親が亡くなりました。私が○○を引き取り、妻と育てました。私の子供は○○より幼く、よく面倒を見てくれました』 『私たちの銀河系は、生き物の住める惑星がたくさんあります。技術を発展させ、他の銀河系を見つけました。その中で、生き物が住んでいるのが、チキュウ、です。チキュウに旅行に行くことができるようになりましたが、値段が高いので、諦めていました。しかし、○○は働いてお金を貯めて、念願のチキュウ旅行に行きました。そして、宇宙船から、○○が死んだと知らせがありました。悲しかった』 『可哀想な○○に、たくさんの人がお金をくれました。そのお金で代理人を立て、あなたから話しを聞いてもらったのですが、満足できる回答ではありません。だから、私が来ました』  その話を青年は、地球人で想像した。恵まれない家庭に生まれた子供が、貯めた金で念願の宇宙旅行へ行ったきり、旅先で死んだ。可哀想な話しだ。 『この前は、甥のフリをして、あなたを騙した、悪いことをしました』  フリとは、何のことだろう。青年が首を捻っていると、答えが返ってきた。『基地に入りました』  基地で、甥のフリということは、あのとき台所で青年が見たのは、死んだはずの宇宙人でなく、その叔父だったという訳だ。完全に騙されていたのだ。あれのせいで青年は、衆人環視の状況で自分の罪を明らかにする羽目になったというのに。 『あなたに、反省して欲しかった』  怒る気は起きなかった。あのようにしたおかげで、法律が見直され、対宇宙軍が不要とされて、青年は母と再び会うことができたのだから。  宇宙人と青年は、それ以上会話することもなく別れた。  ランニングから戻った青年は、食事を済ませると仏壇へ線香を上げて、目を閉じる。  もう二度と、青年は父の声を聞くことができない。畳の間に置かれた仏壇は真新しく、写真を見ても、あまりピンと来ることはなかった。宇宙人との戦闘で昏睡状態に陥った父は、病院で長らく治療を受けていたが、目を覚ます前に弱った体が感染症にかかり、帰らぬ人となったらしい。青年が帰宅してから、母に聞かされた話だ。  部屋に籠もったままの生活では無くなった。しかし心に空いた穴はとうてい新たに何か始める気は起きず、政府から支払われた多額の見舞金及び保険会社からの死亡保険金が、これからの自分と母の生活を支えていくのであろうと青年は感じていた。まだ二十半ばだが、人生という長いマラソンを走り終えたような疲労が、心身に重くのしかかり、回復しそうにないのだ。  宇宙人は今でも恨めしい。しかし当の宇宙人は、地球人からの攻撃を跳ね返しただけで、直接何かされた訳ではない。すると青年はどこに怒りの矛先を向けたら良いか分からず、世界の半分を宇宙人が占めるこの地球ごと、綺麗に無くなってはくれないかとさえ思うのだった。
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