忘却ステイルメイト

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2.隠し事の納税  私は、弟のために生きている。弟の幸福のために、私は弟の記憶納税まで管理をしている。少々面倒な事務作業だが、彼の幸福を思えば安いものだ。弟にとって不幸な出来事は記憶から消して、その分も私は覚えておかなければならない。二度と同じ過ちをしないために、人は記憶から学ばなければならない。  だが弟も私も、同じように同じ分量だけ記憶は納めなければならない。だから私は、忘れてしまいたくない記憶をこうして記している。家族といる時間以外の、大事な記録だ。  この国に生きる人の大抵はしていることかもしれない。日記をつけたり、イベントごとにはビデオを回して記録したりと、工夫を凝らしてどうにか忘れまいと抗う。大事な記憶のために、どうでもいい記憶をわざと作って逃れようとする者も多い。そして弟も例外ではなかった。  ある日、弟は友人のグレッグとこんな話をしたと、夕食の席で嬉しそうに話し出した。納税すべき記憶の時間数を、赤の他人と過ごすことで故意に作ろうという計画だった。グレッグの知り合いと、弟の友人とを互いに紹介し合うことで、一人でいない納税のためだけの時間を作り出そうと目論んだのだ。  グレッグのその計画を、弟は得意げな顔で語った。彼の納税は私の役目だ。小難しい手続きの苦手な彼の代わりに、私は面倒な書類関係の作業を引き受けている。友人との記憶も失いたくない弟の、飛びつきそうな話だ。 「グレッグにソニアを紹介して、僕はアレーシアさんって人と話をするんだ。そこで話していたことを忘れても、そう計画していた僕とグレッグの記憶は忘れないから、きっと成功するはずなんだって」 「なるほど、うまく考えたな」 「でしょう?アレーシアさんも同じこと考えてたって、快諾してくれたんだ。会話がはずんじゃわないよう気をつけなきゃ」 「はずんだっていいじゃないか」 「どうして?」 「忘れたらまた同じ話を楽しめるだろう」 「なるほど、そうだね」  ところで余談だが、私は弟にペナルティの条件は話していない。昔から、私が納税の手続きをするからと、弟はこれについての話をできる限り遠ざけるようにしている。ペナルティの原因を知った時、弟にバレてしまうのが恐ろしかったからだ。  話を聞けばグレッグも、既知と考えてか弟にそれを話した様子はないらしかった。そんな他愛もない話に安堵して、食後のデザートをソファに腰掛けながらテレビを眺める。弟も真似をして、隣に座る。静かな時間だった。  恐らくは誰もが試しているであろう、この弟の計画が失敗だと気が付いたのは、初めての納税を行なった三日後のことだった。次の計画について、打ち合わせのためにと約束したファミレスにグレッグが来なかった。  携帯を鳴らし、メールをいくらか送り、それでも返事のない彼に痺れを切らした弟は直接家へと向かった。そうして呼び鈴をけたたましく鳴らし、やがて扉をゆっくりと開く焦燥しきったグレッグと顔を合わせることになる。 「グレッグ!ねえ君どうして約束の時間に来ないんだい!連絡しようにもつながらないし、一体どうし、て……」 「……」 「グレッグ?ひょっとして具合が悪かったのかい。ならごめん、日を改めようか」 「……ま、だ」 「え?」 「お前は、誰だ?」  顔色の悪いグレッグを気遣うも、彼の言葉に弟は青ざめた。次に、何があったのかとソニアに電話をした。だがそこでも噛み合わない会話に彼女が泣き出してしまい、いよいよ音とは私に助けを求めて電話を鳴らした。  私がその場に到着するまでにも、状況を理解するためにいくらか互いに話したらしいが、泣きじゃくりながら支離滅裂な言葉を繰り返すのだと、悲しそうに弟は言った。  私が見つけたのは顔を真っ青にした二人と、道で泣き崩れる弟だった。二人は目の前の光景がまるでわからないと苦しそうに告げ、かろうじて覚えていることを私に話してくれた。そこから、彼らが今にかけて、およそ十一年に近い年月の記憶を失っていることを理解し、そこで私はようやく、ペナルティの可能性を考えた。 「君たち二人は、記憶納税のペナルティを受けたのかもしれない」 「納税なら、母さんにいつも頼んでいたと思うんだけど」 「おうちに誰もいないの、ママに会いたい」  目上に話すような聞きなれない話し方に、弟は頭を抱えて私たちの顔を交互に見上げる。見かねて近くのカフェへ場所を変え、二人の携帯を借りそれぞれの親に話を伺うことにした。まず、状況をうまく説明できないグレッグに代わり、私が彼の母親と話をした。 「……事の顛末は以上です、彼について何か、わかることはありませんか」 『……』 「あの、すみません。ミス・ムーア、何か」 『なんてこと、なんてこと……』  そう、酷く怯えた声で繰り返し彼女は呟いていた。様子がおかしいことを悟られないよう席を外し、表のテラス席でなだめすかして聞き出してようやく、二人のペナルティに合点がいく話を聞くことができた。 「兄さん、どうだった?何かわかった?」 「……いや、息子の記憶が大きく失われて酷く狼狽えていたよ。今すべきは原因を慌てて探すことより、実家に帰って養生することかもしれないね」 「……そうですね、そうします」 「兄さん、ソニアも……話し合いがうまくいっていないみたいなんだ」 「彼女も、落ち着いてから家でゆっくり話せるに越したことはないだろうね」  だが原因を見つけ出したところで、解決する術がないことは皆口にしないだけでわかっていただろう。幼子のような二人ですらそれは理解できていたのに、弟だけが、自分に原因があるのではと気が気ではなかったために眉をひそめて見つめていた。  二人の帰省の手伝いを済ませ、その間にも少しくらい原因について話したかもしれないと、二人の顔を見つめつつも弟は何も聞けずにいた。荷物を持って、いよいよ自分の非を怒鳴りつけられるのだと目を閉じた弟は、二人にお別れもろくに言えなかった。落ち着いたらまた友達にと、グレッグからの返信を読んだきり、今も音沙汰はない。
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