忘却ステイルメイト

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忘却ステイルメイト

 初めに、この話には二人の男が出てくる。二人は双子で、年は二十代後半。彼らに付属する情報は大して重要ではなく、過去は記録であり、未来は資源でしかない。名前もさほど意味をなさない。不便に感じるのであれば、AとBでも、ソドムとゴモラでも、カインとアベルとでも名付けておいてほしい。 ひとまずこの二人に特記事項はない。語られるのは二人の記録である。不幸な兄である私の話と、幸福な私の弟の話である。 1. 記憶の納税  この、恥で塗り固めた私の過去を語るにあたって、まず話しておかなければならないのが、この国の法である。我々の住む小さな国には、金のほかにもう一つ、納めるべきものがある。それは、記憶だ。  いつから、誰がそんな法律を設けたのか、そしてそれが何のためなのかを誰も知らない。恐らくは太古の昔に作られ、そして国民は、そのことについての記憶さえ奪われているのだ。だからただ、なぜ生まれたのかもわからないルールに従って、機械的に義務を果たし続けている。  納税の方法はいたって単純で、次の納税までの期間内から納税する記憶を選び、その日付と時間帯とを書類に記して提出する。そうすれば寝ている間にその記憶は失われ、忘れたことに気付くことでようやく、納税した事実を思い出すのだ。  どのようなシステムでこれが成立するのかも、誰も知らない。だがこの馬鹿げた法律はほとんどの国民に順守される。その理由は、制約があることがあげられる。一般に、人が作り上げたルールとは異なる、記憶納税のためだけのこの制約は、破ればペナルティが与えられる。納税拒否などを起こせば、納税するよう示された時間数を大きく上回る、膨大な記憶を失うことになるのだ。  記憶の納税がどのようなシステムかは、誰も知らない。知らない上に、眠っている間に記憶は奪われてしまう。それは例えば、身に覚えのない宅配便が届いたり、知らないうちに電話帳に、見知らぬ名前が追加されているような薄気味悪さが続くような話だ。だが天災のようなその法も、慣れれば日常になる。つまりは、麻痺した方が楽になれるのだ。  制約にはいくつかあり、弟が破ってしまったそれも二つほどある。一つは、一人でいるときの記憶は、一時間以上納めないこと。誰かと共に過ごした記憶でなければならない。無知でお人好しな弟は、これでとある大事な記憶をごっそりと奪われてしまった。人間関係というのは日々のコミュニケーションのバランスから築かれるものであり、とどのつまり彼はこれで、大事な友人を失ったことになる。  もう一つが、家族とだけで過ごす記憶は三時間以上納めないこと。これについてはもう二度も、我々双子は過ちを犯した。だがどちらのミスも、罰を受けたのは弟だった。これについては、もはや私は弟に赦しを請う術はない。私は、私のミスで、弟の記憶を奪ってしまった。  それも弟が愛していた、家族といる記憶を、ほとんどすべて塗りつぶしてしまったのだ。このことは常に弟を蝕んでおり、時折寂しそうにする彼の背中を私は撫でることしかできない。唯一生き残った家族である私が、記憶を奪った犯人であることを知れば、きっと弟は悲しむだろう。  だから、私の罪はもう一つある。それはこの記憶納税におけるペナルティが、私の恥を隠す好機でもあったからだ。自分の過ちも、罪も、全て私が黙っておけば隠蔽されてしまうのだ。私の恥が弟にバレぬよう、一生をかけて欺き続ける代わりに、私は弟の幸福のために、生涯を捧げることを誓った。私は、弟をこの国で生きる幸福な人間にしたいのだ。
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