YOLO

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「開幕まであと10分!」 男性スタッフの声が緊張と興奮の中に響いている。 劇場といっても収容人数100人ほどの小さなホール。 舞台上では本日の主演女優が幕が開くのを待っている。 上手と下手には準主役とその他大勢が 開演を待ちつつ時々彼女の方に視線を送っている。 今日はとある芝居の初日… ライトを浴び、客席の方を向いて立っている。 それだけならバカでもできるし、私でなくてもいい。 やっぱり主役のオファーなんて受けるんじゃなかった。 5年前のアイドルオーディションで 「夢は女優になる事です!」と言ってたのを思い出す。 本気で恥ずかしい。黒歴史に絶対残る発言! 今は自分に女優の才能なんてないと信じて疑わない。 小さい時からアイドルか女優になりたかったのは本当。 地方の劇団に入って数々の主役を演じてきたし、 両親や友達も私が芸能人の素質があると言ってくれたし 私もそれを信じていた。 『地方の実力は必ずしも都会では通用しない』 それを痛感したのはデビューしてすぐ。 何をしても次の仕事に結び付かなくて5年経った。 実際この仕事はマネージャーが方々の劇団に頭を下げて ようやく取ってきてくれたもの。私の実力でじゃない。 断る事なんかできない。周りの期待に応えたかった。 だけど稽古では演出の人に怒られたり呆れられたり散々。 共演者の中には慰めてくれる人もいたけど、 大抵の人はうんざりした表情を隠そうともしない。 様々なプレッシャーに囲まれて初日を迎える。 これで千秋楽まで持ちこたえられる?私? ああ!誰か変わってくれたらいいのに! 何であんな子が主役なの? 本当ならアタシがあの舞台に上がっているはず! こんな薄暗い上手袖の奥の方で出番を待つ役者ではないのに! 舞台女優として10年やってきた。もうすぐ30歳を迎える。 今年が主役を飾れる最後のチャンスだと思って この舞台のオーディションを受けた。 主役のイメージづくりにジムにも通い、 キャラクターを理解するため同じような生活パターンに変えもした。 半年間このオーディションに賭けた結果がこのざまだ。 結局主役に抜擢されたのは今売り出し中の若手タレント。 噂では事務所の猛プッシュですでに決まっていたらしい。 かたやアタシはその他大勢の端役。 それでも彼女に役者の才能が感じられたなら納得できた。 だけど稽古をみてもその片鱗は微塵も感じ取れない。 アタシの方がうまく演じられるのに! 主役をやれない悔しさで地団駄を踏みそうになる。 他の役者も“何であの子が主役なの?”と納得していない。 舞台上で倒れてくれさえすれば、代わりに演じてあげられるのに。 “緊張で吐きそう!もう実家に戻りたい!” “こんなの間違ってる!才能ある人にやらせるべきなのに” 【ああ!変わってくれるなら何だってするわ!】 「あと5分で幕開きまーっす!皆さん頑張りまっしょう!」 演出家がそろそろだといった風に舞台にあがってくる。 彼は主役の肩をポンと軽く叩いた。 「初日だから失敗してもオッケーって事で!楽にいこう!」 ここは…舞台の上? いきなり誰かに肩を叩かれて我にかえった。 頭上や足元から色とりどりのライトがアタシを照らしている。 さっきまで上手袖の奥にいたのに。 引っ込もうとすると演出家が腕を引いて止める。 「もう動いたらダメだよ~初日で緊張するのはわかってるけどさぁ」 馴れ馴れしい口調で『元いた場所』にアタシを立たせた。 何のつもり?端役しかやれないヤツとからかってるの? ふと自分の着ている衣装に違和感を感じた。 それは端役の地味な衣装ではなく、 演じる事を夢に見ていた主役のものだった。 足元のライトの眩しさに視界が真っ白になった瞬間。 私は暗い場所に立っていた。 倒れて舞台裏に運ばれたのかと思ったけど違うみたい。 どこにいるかわからずウロウロしていると誰かに声をかけられた。 「何やってんの?もうすぐ開演よ」脇役の一人だった。 周りを見ると開演前の緊張と期待の熱気で 主役以外の役者がざわついている…主役以外? 私はどうなってるの? 「あの子もかわいそうね、実力もないのに主役なんて」と 他の脇役の女性が言った。 ここでない明るい場所に視線を向ける。 そこには“私”が立っていた。 あと5分しかない。どうしよう。 主役をやる為にセリフは覚えていたし、 もし突然指名されても大丈夫と言える準備はしていた。 いつでも演じられる自信はある…はずだった。 現実に主役として舞台に立つ緊張感は 端役の時とは比べられものにならないほど身体と精神をしめつけた。 失敗したらどうしよう?セリフを忘れたらどうしよう? うまく演じる以前にその想いが堂々巡りを始める。 ライトの眩しさもアタシを照らす栄誉の光とは思えず かえって役者としての才能の無さを己の前に明らかにした。 明るければ明るいほど心に暗い影を落としていく。 主役と変わりたいと願ったから? そんな事望むんじゃなかった! 恐る恐る自分のいた舞台上手の袖に目をやる。 そこには密やかに安堵した表情の“アタシ”がいた。 「開演時間です!」 時間ピッタリにスタッフが高らかに声をあげる。 幕がそろりそろりと上がる。 客席からは期待に満ちた視線がステージに向けられ始める… いよいよショータイムの始まりだ。
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