Fireworks.

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「……あと五分だけ、待っててくれる?」  少女がひとり、一面を窓で張られた広い部屋の、その窓の前に立って、すっかり日が沈んで暗くなった外を見ていた。部屋の照明も付いておらず、雲ひとつない夜空に煌く満月の明かりが、彼女のブロンドの髪と端正な顔を闇の中に浮かばせていた。 「……やっぱり、今日が『時』だったのね」  彼女は、部屋の中に現れた刺客の存在に気付いていた。刺客が一切音を立てず侵入してきたのに、振り向いて見ることもせず。 「……フリシア」 「昨日と今日はここの学園祭だったの。後夜祭もあとは最後の花火を残すだけで……毎回毎回、あなたに会えないかなって思ってた。別に、『次に会う時が私を殺す時』なんて言ってないんだから。でも、あなたは『今』やってきた。私の、最後の学園祭の終わりに。……私の、二十歳の誕生日の終わりに」  彼女は、フリシアと呼ばれた女性はわざとらしく口をとんがらせ、しかし直ぐにもその口元は自然な微笑みに上書きされた。刺客の男の声は、流石に『あの頃』からは変わっていたが、自分を呼ぶ声の調子は全く変わっていなかったからだ。  刺客。背丈はどうやらフリシアより数センチメートル低いらしい。  ……フリシアはこの学園に入学した当初から注目を浴びていた。才色兼備、その才も色も至上のものであったからだ。ある者は手篭めにするため、ある者はこの芽を摘み取るため、フリシアには様々に暴漢や刺客が来たが、既に芽などではなかった彼女はその悉くを返り討ちにし、場合によっては徹底的な追及、報復をした。入学から半年も経てば、最早誰も彼女に手を出そうとは思えなかったし、彼女の容赦のなさはその伝説とそれからの実績で『神の寵児』『麗しき大魔王』などと囃されるようになった。  彼女を取り巻く状況がこのような中に来た、この刺客は……フリシア自身によるものである。過去のフリシアが、未来の自分を憂いて送り出したものである。 「ええ、教えてなかったかしら。今日は私の誕生日なの。だから今年は友達も結構意気込んじゃって、振り回されたりもしたけど」  フリシアは、生まれながらの天才であった。有志以来最大の神童である、とまで評した人もいた。  武術。学術。魔術。  もともと多くの実力者を輩出してきた名家、ベッドフォークス家の出であったが、一族の中でも現在特にこれらに秀でた者を集めた演習で、フリシアは齢わずか九才にしてその悉くを凌駕した。 「それも、もうすぐおわり。だから、そう。『契約』上、私はあなたに一切の抵抗はできないし、あなたは私を殺さなくちゃいけないけど……、たぶん『その時』は、あなたの顔を見た時だから。……一回名前呼ばれちゃっただけで、結構「やばい」から、まだ独り言で、まだ、独白」  フリシアがベッドフォークス家の中で一番の実力者となった次の夏、彼女父の仕事の連れ添いで世俗を離れた片田舎で、同じ年齢の少年と出会った。 「ケント・ヘレディ。わたしが唯一、『勝負』で勝ったことのないあなた」  ケントには【能才】(いわゆる異能、特殊能力。性質や程度を様々に、血筋や自然発生により千人に一人程度が持つ)があった。そして当時のフリシアは、ついにそれを打ち負かすことができなかった。あるいは、フリシアの過失によって。あるいは、ケントがフリシアの戦術を単純に上回って。 ケントのそれを、ケントを知る誰かは【真実】だと言った。ケント自身は【運命】だと言った。フリシアは【勝利】だと言った。  要するに、あらゆる勝負に勝つ能力……ではない。結末を思い通りにする能力である、というほうが本質に近い。  フリシアに負けようとケントが思ったときは負けた。細心の注意をもって【能才】を発動しないようにした時は、単純な能力差でケントは負けた。 「殺しは元も子もないけれど、お互いに全てを出して、それが勝負だもの。少なくとも、お互いに『勝つ』という意思がなければ」  フリシアの滞在期間は二週間だったが、その大半を二人は共に過ごした。なんとかしてケントに勝てないかという試行錯誤をしたり、異世界の扉を開けて駆け回ったり、夜に抜け出して、満天に広がる星空の中をこちらに超光速で飛んでくる何かを撃ち抜いたり。  ケントと彼の能才は当時のフリシアにとって強い刺激になった。ケント自身が聡明だったこともあり、フリシアは自分でも自身の力を持て余していたこと、本当の現時点はどれほどなのか、 「二週間しかいられなかったけど、それがちょうどよかったのかな。こっちの勝手な都合だけど。たぶん、あなたの発言の一つ一つも、【それ】の裏付けがあったからなのでしょう」  そこで過去の回想を止め、フリシアは小さくため息をついた。 「……会わなかったのが正解だったのでしょうね。あれ以上に一緒にいたら、たぶんあなたに今抱いている感情は恐怖や殺意、だったのでしょう」  かわりに彼女が思い出すのは、その最終日に交わした、ケントが、フリシアが、今ここにいる理由。 「『……だから。契約をしましょう。誓約をしましょう。いつか、私が人生の絶頂に至った時に、私をあなたに殺してもらうために』。契約の魔法。覚えてる?」  契約の魔法。ゆびきりげんまんでの約束を有耶無耶にされて怒った幼少期のフリシアが作り出した『ゆびきりの魔法』がケントとの交流を経てより強力になったものである。簡単に言うと、約束を破るとゆびきり時に交わされた魔力で作られた針千本が襲ってくるのがゆびきりで、契約を交わしたが最後、絶対に履行しなければならない強制力を持つようになったものが契約の魔法である(なお、フリシアはゆびきりについては公表したが、契約については公表せず、自身の切り札の一つとしている。ゆびきりはただ針が千本全方向から襲ってくるだけなので防御が可能だが、契約はその強度から奴隷契約なども容易に結べてしまうからである。それもケントの提言によるもので、再発見防止の策も取っている)。 「……なら、今のこれは何なのだろう。あなたなら、すっと直接的に、答えを言ってくれるのでしょうけれど」  自殺する夢を見た人の話を聞いたことがある。たしか、夜に船から海に飛び出して、飛び出した瞬間にそのことを強く後悔した、というものであったか。ならば自分は今自分の命を惜しんでいるのだろうか、フリシアはそう結論付けた。この先にもあるであろう人生の歓び、家族、友人、それらへの別れの覚悟は、あの契約を交わした時から、常に覚悟していたというのに。 「……さて。そろそろ五分経って、最後の花火が始まる。腹を括って、あなたに、わたしの首を差し出しましょう」  フリシアは振り向いて、改めて、覚悟を抱いたフリシア・ベッドフォークスの凛々しい顔で、刺客の男の顔を見つめーー 「あと、五分だけ」  その顔が崩れた。気が動転して腰を抜かして、崩れ落ちる彼女は男の胸のところに収まった。振り向いたところを、ケント・ヘレディに抱きしめられたのである。 「……、そうなの」  フリシアは真実に気がついた。彼女は自身の運命を知った。  ぽろぽろと涙が溢れてきた。誰にも見せられない顔をしていた。ケントの胸だけが、それを知った。 「あなたの腕の中が。あなたの胸の中が。こんなにも簡単に。こんなにも、こんなにも高くて」  そして勝利が宣言される。 「でも。それに、今日はーーーー」  打ち上げ花火の大きな音が鳴った。いよいよ、フィナーレだ。 *  学園祭の幕を閉じる後夜祭の、五分間の花火が終わった夜の学園に悲鳴が上がった。学園主席、フリシア・ベッドフォークスが、首なしの遺体で発見されたのだ。操作は数日間行われているが、犯人も、犯人に繋がるような痕跡も、フリシア・ベッドフォークスの頭部も未だ見つからず、これが本当に殺人事件なのか、フリシアが学園、世間から出奔するために死を装ったのか、それすらも定かではない。
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