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陽がゆっくりと傾き、人々がまばらになりはじめた頃、突然、足元をノックされますた。
こつん。こつん。こつん。
その控えめに突いてくる主を、ボクは知っています。
顔を動かすと、ボクの片足に背中を張りつけるようにして立っている、見慣れた姿がそこにはありますた。
真っ白い肌。
真っ白い帽子。
真っ白いワンピース。
――そして。真っ白い、杖。
『……こんにちは、オジョウサン』
いつものようにボクが声を出すと、彼女もいつものように、目を閉じたままゆっくりと顔を上げて、「こんにちは、のっぽさん」と笑いかけてくれますた。
――彼女は、ボクが時計になってから出来た、初めての友だちです。
すらりとした身体つきから、おそらくはおとなの女性なのでしょうが、その顔立ちにはどこかあどけなさが残っていて、とてもかわいらしく、まるで花のようです。
彼女はいつもこのくらいの時間になると、どこからともなく、ふいっと現れて、気づくとボクの足に寄りかかっています。
そうして、しばらくしてから、いつも決まったように、ボクに同じ質問を投げかけてくるのですた。
「……ねえ、のっぽさん。今、何時になりましたか?」
ボクが時刻を口にすると、彼女はふわっと顔を綻ばせます。
そして、その笑顔の意味を、ボクは知っています。
彼女はいつも、この場所で、あるヒトと待ち合わせをしています。彼女にとって、とても大切なヒトです。
そしてそのヒトは、まるで時計のようなヒトで、いつもきっちりと同じ時間、具体的には18時にやってくるので、彼女は待っている間、何度もボクに時間を聞くのです。
ボクの伝えた時刻が約束の時間よりうんと早いと、彼女は寂しそうに眉を下げ、逆に約束の時間まであとわずかだと、彼女は嬉しそうに唇を緩めます。
彼女が笑うと、ボクはいつも、とても嬉しくなりますた。
「……ねえ、のっぽさん。のっぽさんは誰かと待ち合わせをしたことがありますか?」
杖の先を地面にこすりながら、彼女がボクに問いかけてきます。
ボクは、ぐわんと頭を振りました。
『ボクには、待ち合わせをする相手がいません。
……けれど、待ち合わせをしている時のオジョウサンは、とても楽しそうです』
「ええ、とても。……でも、少しだけ、不安な気持ちもあるんです」
彼女は長いブロンドの髪を揺らし、そのまま、少しだけ膝を曲げて、地面をぴょんぴょん跳ねながら餌を探している小鳥に、顔を向けました。
「……のっぽさんは、とても背が高いですし、遠くまで視ることが出来るでしょうけれど。……わたしには、すぐそこにいる、鳥の姿も視えません。
もし待ち続けても、彼の足音が聴こえてこなかったら。彼の声が聴こえてこなかったら。
……あのヒトが来てくれなかったら。――そう考えると、少しだけ、こわいです」
それは、とても悲しげな声ですた。
それを聞いて、なんだかボクも悲しくなって、慌てて顔を上げて、遠くを見つめます。
時刻は、もうすぐ18時。――すると、そのヒトが、こちらに向かってゆっくりと歩いてくるのが見えて、ボクは安堵します。
やがて、そのヒトが近づくと、それに反応するように、彼女はいじらしく身体を揺すって立ち上がり、顔を動かしますた。
「……お待たせ。それじゃあ、行こうか」
まるで、花が咲いたようですた。
そのヒトの声に反応して、彼女は、本当に、花のように笑いますた。
彼女の背中が、ボクの足から、ふっと離れます。
杖を器用に扱いながら、ゆっくりと歩いて、その存在を確かめるように、そのヒトの手を握ります。
並んで歩くふたりの姿は、とてもきれいで、あたたかくて――じっと見ていると、彼女は振り返って、ボクに手を振ってくれますた。
届かないことは分かっていても、ボクは彼女に、大きく手を振り返します。
たくさん、たくさん手を振りますた。
――ハカセ。ハカセ。ボクは心の中で、ハカセに呼びかけます。
ハカセ。あのヒトも、彼女も、とても幸せそうな顔をしていますた。
それを見て、ボクも、とても幸せな気持ちになりますた。
ほんの少しだけだけれど。
ボクも誰かの幸せのために、貢献をすることが出来ますた。
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