・本章

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『……オジョウサン』 「はい、のっぽさん」 『……その。約束の時間は、何時ですか?』 「22時です」 彼女は弾むようにいってから、いつものように顔を上げます。 そして、いつもの口調で、ボクを呼びますた。 「……ねえ、のっぽさん。今、何時になりましたか?」 ……ボクは。 返事をしませんでした。 聞こえないふりをしたわけでも、まして彼女のことを無視したわけでもありません。 ただ、なんといえばいいのか、分からなかったのです。 ――時刻は、ちょうど、22時。 そしてボクは、それを正確に伝える、義務があります。 ……けれど。 それでも。ボクは。 初めて、ウソをつきますた。 『……今、21時55分。アト5分です。 22時になったら、ボクの方からお伝えします』 あのヒトは、来ません。 心のどこかで、もしかしたら――そうも思っていたけれど、時間に正確なあのヒトがまだ姿を見せないのです。あのヒトは、もう、来ません。 彼女は、それを知ったら傷つくでしょうか。 あるいは、あのヒトの身に何かあったのかもしれないと(うれ)えるでしょうか。 ……ボクには、何も、出来ないのでしょうか。 『…………』 偽りの時間を申告しても、時は、歯車は、動くのを()めようとはしません。 ……10分。 15分。 次第に、辺りはさらに寒く、風は冷たくなってきます。 彼女の身体の震えが、ボクの身体を巡り、伝い、回ります。 けれどボクは、その振動が、寒さから来るものではないと知っています。 ――彼女は、泣いていますた。 『…………』 時刻は、22時30分。 きっともう、彼女は、あのヒトのウソにも、ボクのウソにも気づいているのでしょう。 ……いえ。もしかしたら、最初から、気づいていたのかもしれません。 それでも、彼女はここから動こうとしません。このままでは、それこそ本当に、寒さで倒れてしまうかもしれません。 ……でも。ボクに、何が出来るというのでしょう。 ボクの力では、彼女を幸せになんて出来やしない。 それでもボクは、彼女に笑っていてほしい。幸せでいてほしい。 ……ボクは。 ……ボクは…………。 『……お待たせ』 その声に、彼女はふっと顔を上げました。 本当に、とても驚いている様子で――けれど、1番驚いているのは、紛れもなく、自分自身(ボク)ですた。 『……ごめんな、寒かっただろう? ……さ、早く、どこかあたたかいところへ行こう』 膝を折り、ぎぎ、と手を伸ばして、彼女の涙を拭います。 すると、彼女は――ぎゅう、とボクの手を握りますた。 「……時間ぴったりですね」 いいながら、彼女はまた、ぽろぽろと涙を流します。 そのまま、唇を震わせて、くしゃっと笑いますた。 「……でも。今日の5分は、いつもに比べて、とてもとても長くて。 ――とっても、待ちくたびれました」
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