1人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ
『……オジョウサン』
「はい、のっぽさん」
『……その。約束の時間は、何時ですか?』
「22時です」
彼女は弾むようにいってから、いつものように顔を上げます。
そして、いつもの口調で、ボクを呼びますた。
「……ねえ、のっぽさん。今、何時になりましたか?」
……ボクは。
返事をしませんでした。
聞こえないふりをしたわけでも、まして彼女のことを無視したわけでもありません。
ただ、なんといえばいいのか、分からなかったのです。
――時刻は、ちょうど、22時。
そしてボクは、それを正確に伝える、義務があります。
……けれど。
それでも。ボクは。
初めて、ウソをつきますた。
『……今、21時55分。アト5分です。
22時になったら、ボクの方からお伝えします』
あのヒトは、来ません。
心のどこかで、もしかしたら――そうも思っていたけれど、時間に正確なあのヒトがまだ姿を見せないのです。あのヒトは、もう、来ません。
彼女は、それを知ったら傷つくでしょうか。
あるいは、あのヒトの身に何かあったのかもしれないと憂えるでしょうか。
……ボクには、何も、出来ないのでしょうか。
『…………』
偽りの時間を申告しても、時は、歯車は、動くのを止めようとはしません。
……10分。
15分。
次第に、辺りはさらに寒く、風は冷たくなってきます。
彼女の身体の震えが、ボクの身体を巡り、伝い、回ります。
けれどボクは、その振動が、寒さから来るものではないと知っています。
――彼女は、泣いていますた。
『…………』
時刻は、22時30分。
きっともう、彼女は、あのヒトのウソにも、ボクのウソにも気づいているのでしょう。
……いえ。もしかしたら、最初から、気づいていたのかもしれません。
それでも、彼女はここから動こうとしません。このままでは、それこそ本当に、寒さで倒れてしまうかもしれません。
……でも。ボクに、何が出来るというのでしょう。
ボクの力では、彼女を幸せになんて出来やしない。
それでもボクは、彼女に笑っていてほしい。幸せでいてほしい。
……ボクは。
……ボクは…………。
『……お待たせ』
その声に、彼女はふっと顔を上げました。
本当に、とても驚いている様子で――けれど、1番驚いているのは、紛れもなく、自分自身ですた。
『……ごめんな、寒かっただろう? ……さ、早く、どこかあたたかいところへ行こう』
膝を折り、ぎぎ、と手を伸ばして、彼女の涙を拭います。
すると、彼女は――ぎゅう、とボクの手を握りますた。
「……時間ぴったりですね」
いいながら、彼女はまた、ぽろぽろと涙を流します。
そのまま、唇を震わせて、くしゃっと笑いますた。
「……でも。今日の5分は、いつもに比べて、とてもとても長くて。
――とっても、待ちくたびれました」
最初のコメントを投稿しよう!