空蝉のネバーランド

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『いつも待っててくれて、ありがとう。うれしかったです』  教科書のお手本みたいに整った字。別れの言葉は書かれてないのに、さようならと言われたのと同じだった。ありがとう、またありがとうだ。ありがとうで今度は手を離そうとする。僕は今日が何日だったか、思い出した。去年、四人でレモンマドレーヌを食べ、夏の始まりを過ごした日。こんな夜を清夜と言うんだ、と父さんが深冬と僕に教えてくれた日。  りぃんと軽やかに鳴っていた風鈴が、突然落ちて、割れた。強風が吹いたわけでもない、吊るし紐が弱くなってたわけでもない。どくどくと心臓は熱くて冷たい。粉々になった硝子の破片は深冬と同じだった。  その瞬間、僕の体は動いた。  財布と必要なものだけを急いでかき集めて、家を出た。走って、走って、走って、数少ない本数の電車に飛び乗り、息が整わない苦しさなんてどうでもいいから、もっと、もっと速く電車が走ることを唇を噛んで願っていた。情けない。口内の鉄の味に慣れた頃、乗り換えの駅に着いた。
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