空蝉のネバーランド

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 本当に、ちっともなんの根拠もないけれど、僕はきっとこの近くに深冬がいる気がしていた。帰るつもりはない深冬が、それでも僕たちの街に近づける最後の場所だから。駅の周辺案内図を見て、いくつか深冬がいそうな箇所に目星をつける。あとはしらみつぶしに探すしかない。そう思って駅を出ると、風に乗って線香のにおいがして思わず立ち止まってしまった。八月なのだから、珍しい香りじゃない。あちこちの家からくゆる煙だ。  でも僕はこんな柔らかく香る線香のにおいを、他に知らない。振り向いた先にある、駅とビルを繋ぐテラスを兼ねた空中連絡口。妙な確信は、ずっと繋いできた僕たちの時間が生み出すものだと信じたい。走った先に重ねてきた時間はまだ消えてないと思いたい。道行く人が僕を怪訝そうに見る。もしかしたら何人かぶつかったかもしれない。 「深冬!」  汗だくで辿り着いたテラスは平日の夜だからか、偶然か、誰もいなかった。柵に足をかけた深冬以外は。冷える鼓動と裏腹に、僕は十五年の人生で一番必死に、がむしゃらに走った。今この手が間に合わなかったら、深冬はいくつもの夏をなかったことにしてこの夜の向こうに消えてしまう。
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