第三章 王子様の帰還

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第三章 王子様の帰還

『光が戻ってきた』 それは唐突なメールだった。 ディスプレイに表示された大友からのメールに僕はただ驚いた。 時を同じくして創さんからもメールが届いた。 光さんと話をするから立ち会ってほしいという。 瑠奈さんといい、何故僕を間に入れようとするのだろう。やめてほしい。 しかし、やはり断り切れずに僕は喫茶店に向かった。 そこには、金色の髪をゆるくカールさせたまるで王子様のような風貌の光さんがいた。 垢抜けた、というのが第一印象だった。 冬を越え、春になり、勉強漬けの僕は高校三年生の初夏を迎えていた。 受験本番はもう目前だった。 「裏切るような真似をして、本当にすまないと思っている」 光さんは本当に申し訳ないという表情で、ぽつりぽつりと語り始めた。 引き抜きの話に目がくらんでロスロズを裏切ったこと。加入したバンドが見た目重視のアイドルバンドだったこと。決められた世界観、楽曲、衣装、ヴィジュアル。 ギターの腕などどうでもよかった。作曲のスキルなんて目もくれられなかった。 ただプロデューサーや事務所の言いなりになっていればデビューの夢は叶った。 少々は我慢したという。馴染もうとしたという。 それが、連絡がなかった間に起きていたことだった。 けれどある時光さんは悟った。 このまま続けて行くということは、自分のやりたい音楽を殺すことに等しいのだと。 そしてとうとう先日、創さんに連絡したのだという。 夢は残酷だ。 輝かしい未来を期待させておきながら、突然奈落の底に突き落とす。 「で、お前どうするつもりなわけ?」 冷えた目で光さんを見やる創さん。怒りも呆れもその目からは感じられない。 ただ純粋に友達としての気遣いのようなものがその顔には浮かんでいた。 「一応、契約の問題はクリアにしてきた。で、許してもらえればだけど・・・」 光さんは媚びるような上目遣いで創さんを窺う。それを受けて創さんは盛大に溜息を吐いた。 「もう一度一緒にやりたいって?」 年は同じはずなのに、創さんは本当に大人びている。 まるで年下の問題児を相手にするお兄さんのようだと思った。 「お前がいない間に瑠奈も茨も抜けたけど。それでもいいのか?」 「創さえいてくれればそれでいい!」 「お前、相変わらず調子だけはいいよな」 アイスティーを含んで創さんが呆れたように告げる。 しかしその表情はどこか、嬉しそうでもある。 窮地に陥った時に、仲間から頼られるのは悪い気分ではないのだろう。 彼らの絆のようなものを感じて眩しさに目を細める。 僕が居なくたって、彼らはケンカすることも、争い合うこともなかっただろう。 そんな僕に創さんが気付いて。 「悪かったな、寺田。変なことに付き合わせて。受験生なのにな」 「寺田は頭いい学校行くんだっけ?」 光さんはすっかりいつもの人懐こい笑顔に戻りそう訊いてくる。 「一応、目指してはいますが・・・お二人は?」 「俺たちは進学せずにバイトで食い繋ぎながら路上ライブなんかしてデビューを目指すよ」 それは、酷く羨ましい話だった。僕も夢だけを追えたら。 一度完全に消滅したロスロズは夢に向かって再び走り出した。 僕はそんな彼らを見て、一瞬だけ勉強する意味を失ってしまった。 僕は、店の前で彼らと別れると、その考えを振り払って塾へ向かった。 秋も深まりコロコロと枯れ葉が舞う歩道を歩いていると、いつもの喫茶店に見知った顔を見付けた。 「大友」 メールではやりとりはしていたが、実際に会うのはかなり久し振りになる。 相変わらず綺麗な黒髪。メイクを施した少し大人っぽい大友のスーツ姿。 「資格、合格したんだ」 「まあね。見ての通り」 大友はブラウスに紺のジャケット、同じく紺のスカートを身に付けていた。 ライブハウスでのイメージとは百八十度違った。物凄い落差だ。 「ロスロズ、存続するってね?」 「そうみたいね。あたしにはもう関係ないけど」 「やっぱり参加しないの?」 「とてもじゃないけど無理。職場まで二時間かかるし、朝は早いし夜は遅いし」 その後、大友が慣れない仕事に苦労していることを聞き、仕事に慣れたらバンドに戻れるのではないかという、淡い期待は打ち砕かれた。 「でも、資格取ったなら近くの会社に変えるとか・・・」 すると、大友はふるふると首を横に振った。 「雇ってくれた親戚の人ってね、まだお父さんが生きていた頃から何かと支援をしてくれた人なの。だから裏切りたくない」 何とも大友らしい考え方だった。 電車を乗り継いで二時間の会社。近くへ引っ越すにもお金がかかるし、お母さんを残して一人暮らしも出来ないだろう。 完全に大友の夢は阻まれていた。 僕は何ができるだろう。 好きな女の子の夢を阻むこの状況に。 ・・・好きな? そうか、僕は大友が好きだったのか。 そういえば学校では、大友をいつも目で追っていた。 大友の昼休みの過ごし方、放課後現れる場所。 僕は知っている。まるでストーカーのように大友の姿を追っていたから。 意識した途端、頬から耳から全身が熱を持ち、目の前の大友が見られなくなった。 「寺田はどう?勉強の方は」 「追い込みだよ。もう寝る時以外全部勉強」 「大学行ったらあたしの分まで青春を謳歌してよ」 社会人の先輩となる彼女は朗らかに笑った。 僕は彼女のそんな無垢な表情に少しばかり罪悪感を覚えた。 彼女の望むキャンパスライフは送れそうになかったからだ。 微かな振動が足下に伝わる。隣のライブハウスからの音漏れだった。 大友が懐かしそうに体を揺する。 「光が中一の頃からコネを作っていた隣のライブハウスのオーナーがね、元ミュージシャンらしくてギターもベースも一通り教えてくれたの。若い人を応援するのが好きみたい」 本当に大友は、ロスロズに未練がないのだろうか。もう一度ドラムを叩きたいと。音楽を続けたいと。 しかし彼女はぎゅっと目を瞑ると、何かを振り切るように首を振った。 「じゃあ、勉強の邪魔したら悪いし、帰るよ。本番、頑張ってよね」 さらりと甘く香る髪をなびかせて大友は店を出て行った。 その後ろ姿は、やはり僕の知らないソレだった。 目を疑った。 第一志望に僕は合格したのだった。 この日に向かって喫茶店へも行かず、ただ合格を勝ち取る為に生きてきた。 大友ともメールはするけれど、会うことは控えた。 あらぬ感情に心を乱されて勉強に影響が出ては元も子もない。 合格通知を前にして、僕にしては珍しく興奮してしまって、大友や創さん光さんにまで報告のメールを送ってしまった。 嬉しかった。跳び跳ねたいほどに。努力は報われる、と大声で叫びたかった。 三人からはお祝いのメールが律儀に届いた。 そして僕は決意した。 合格の喜び冷めやらない自宅での夕食。 「話があるんだ」 「どうしたの?」 テーブルに僕の好物を並べる母親は上機嫌だった。 一度深呼吸して。覚悟を構えて。 「大学に入るのを、一年待ってほしい」 聞くや否や、母親はヒステリックに怒り始めた。 けれど、僕が理由を話し、深く頭を下げると、父親は静かに言った。 「一年だけだ。結果が出なければ二度と小説家になりたいなんて言うな」 感謝の意も込めて、再び深く頭を下げた。 その日から、僕は寝食も忘れて執筆に没頭した。外にも出ず、一日のほとんどを書くことに費やす僕の姿を見て、母親も僕がどれほどの熱量を持って夢を叶えようとしているのかを、理解し始めたようだった。
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