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男はプロだった。
年の頃は30代前半、モデルのように整った容姿は彼を実齢齢より若く見せ、優雅な仕草や物腰は彼を年齢よりも大人びて見せていた。
男の仕事は、結婚詐欺師。金に不自由しないが愛に飢えている孤独な女性に一時の間、結婚という束の間の夢を見せる。そしてその対価として多額の金を得る。
別に悪いことだとは思わない。
仮初めとはいえ、女が憧れる理想の恋人を演じ、あまつさえ結婚できるかもしれないという夢まで見せてあげるのだから。俺はそれに対する正当な報酬を頂くだけのこと。
男は今までそうやって数多の女性に夢を見せては奪ってを繰り返してきていた。
次に狙うのは、とある貿易会社の女社長。
名は高藤ユリ。
彼女は30歳という若さで社長の座を手にし、その後徐々に事業を拡大、今やその世界では知らぬものはいないほどの成功を収めていた。だが事業の成功と引き換えに、プライベートは犠牲にされてきたらしい。40代も半ばを過ぎて未だに独り身だった。
俺は偶然を装い、ユリと接触を図る。
仕事終わりなのだろう、街頭の下を歩く彼女はおよそ敏腕女社長とは思えない冴えない風貌をしていた。
予め摺っておいたハンカチを拾った風を装い話しかける。
急に話しかけてきた俺に一瞬怪訝そうな顔を向けたものの、俺が微笑んで見せると一気に警戒が緩んだようだ。少女のように、頬を上気させる。思いがけず初心な反応に内心ほくそ笑む。俺は自分の微笑みが相手に与える影響を十分意識しながらユリにそっとハンカチを持った手を差し出す。頬を赤く染めたまま俺の手の上のハンカチに手を伸ばしてきたユリの手をそっと掴み、誘い文句を囁く。
ユリが俺に夢中になるまで長くはかからなった。
そろそろ頃合いかと思った時、折よく彼女の方から自宅の晩餐会に招かれた。
ユリが結婚を意識し始めたという読みはどうやら当たりのようだ。
ユリと俺二人だけの晩餐会。そこで供された年代物の赤ワインはやや癖が強かったが、高級品とは決まってそんなものだ。
食事が終わり、一瞬の静寂。彼女が俺を見つめる。
俺は覚悟を決めたように真剣な表情で、幾多の女性に繰り返してきたセリフを口にする。
「ずっと黙っていたけれど、僕は難病を抱えていて、明日の命もしれない身だ。今まで好き勝手に生きてきて、いつ死んでもいいと思ってた。でも君と出会って考えが変わった。君ともっと一緒にいたい。この病気を治して、君と結婚したい。
治すためには海外で手術を受けなくちゃならないが情けないことに僕の薄給ではとても足らない。手術が無事成功したら、必ず戻ってきて、金を返し、君と結婚する。どうか君と僕の未来のために、手術費用を貸してもらえないだろうか。」
もともと金を持て余している連中なのだ。今までにこれで落ちない女は一人もいなかった。
「お金なんていいから、必ず手術を最高させて帰ってきて。」そんな風に涙を流す女もいた。
全くバカバカしい。だが、この演出を行うことで、俺が二度と姿を現さなくても女たちは俺の手術が失敗に終わったと勝手に思い込み、俺は下手に行方を探されずに済む。女は女で、ようやくできた恋人が難病でその命を落としたという悲劇のヒロイン気分に酔いしれることができる。
アフターケアまできちんと抜かりなく。
これこそがプロの仕事。
ユリは俺の言葉に、お決まりのセリフを口にした。
「あなたが病気だなんて信じられないわ。どうしてもっと早く言ってくれなかったの?」
だが続く言葉は予想といくらか違っていた。
「でも、大丈夫。私が最後まで面倒をみるわ。」
その言葉の真意を問う間もなく、俺は急激な眠気に襲われ、意識を失った。
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