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 現代から江戸時代にタイムスリップした虎猫。彼は猫に化けるのが得意な仙人でいつの時代のどんな場所にも神出鬼没することが可能なのだ。で、このトラ、優しい人物はおらんかと探し続けているのだが、下野国は那須郡今泉村の名主(なぬし)草野七右衛門の一人娘である蝶乃が美人と専らの評判なので彼女の気立てはどうかと興味が湧いて今泉村までやって来た。  それから名主邸と思しき屋敷に辿り着き、開いていた表門から潜入し、築地塀に沿って歩いて行き、縁側のある庭に出て植え込みに紛れ込むと、偶さか島田髷に結い紅梅白梅模様の入った撫子色の小紋を着た嬋娟たる美人が座敷から出て来て縁先に座ったのでトラは蝶乃に違いないと確信し、顔を出して、にゃおと鳴いてみた。  すると、彼女はトラに気づくなり、「まあ!なんて可愛いらしい猫ちゃんなんでしょう!」と歓声を上げた。だからトラが気を良くして、にゃおとまた一声鳴いてみると、「まあ!なんて人懐こい猫ちゃんなんでしょう!さあ、こっちへいらっしゃい!」と彼女は手招きした。  トラが言われた通り近づいて行くと、彼女はトラを拾い上げて抱きかかえた。 「まあ!ほんとに可愛い!まるで今まで私が飼ってたみたいに懐いちゃったわ!」  彼女は丁度、猫を飼いたかったところなので迷いなくトラを飼うことにした。  トラは飼われて直ぐ彼女が思った通り蝶乃と知り、その名の通り蝶のように可憐だから彼女に飼われることに慶福を感じた。その日々の中で人間観察を続け、まず七右衛門について言えば、組頭を始め役人方に非常に愛想が良く外面が良い反面、家では亭主関白という所謂、内弁慶であることが分かった。  一方、妻のお(よね)は、「あれは人妻と言って亭主のおもちゃになるか、亭主の支配者になるか、二通りの生き方しか知らぬ女」と太宰が言ったように前者のタイプで、「女は与えられたものを正しいものと考える。その中で差し障りのない様に暮らすのを至善と心得ている」と漱石が言ったように夫におもちゃのように扱われても、それを正しいものと考え、その中で差し障りのないように柔順に仕えているのが分かった。  で、肝心の蝶乃はと言うと、中々の読書家なのだが、「女には自分の好みがない。人が読むから私も読もうという虚栄みたいなもので読んでいる」と太宰が言ったように千部振舞になった上田秋成の雨月物語を御多分に漏れず愛読し、「女は物知りぶっている人を矢鱈に尊敬する」と太宰が言ったように何かにつけて物知りぶる七右衛門を矢鱈に尊敬し、「女は詰まらぬ理屈を買いかぶる」と太宰が言ったように七右衛門の陳腐であること夥しい理屈まで買いかぶっているのが分かった。  また、「女は人が困るのを面白がって笑うものだ」と漱石が言ったようにお米が七右衛門に責められて困っているのを面白がって笑い、殊に鼻の先をスズメバチに刺されて腫れ上がって弄れば弄る程、伸びてしまった鼻についてからかわれて困っているのを面白がって笑うので、「お前は母が困るのを見て笑って良いと思ってるのですか?」とお米から詰られると、「酷いわ、そんな筈がないわ。母様(かかさま)は私の品性を侮辱してるんだわ!」と弁解するのだが、これは、「侮辱したと思うのは事実かもしれないが、人の困るのを笑うのも事実である。であるとすれば、これから私の品性を侮辱するような事を自分でしてお目にかけますから何とか言っちゃ嫌よと断るのと一般である」と漱石が言った訳と同じ訳になることも分かった。  また、「唾を吐きかけられ、糞をたれかけられた上に大きな声で笑われるのを快く思わなければならない。それでなくては女と名のつく者とは交際が出来ない」だの、「陰で笑うのは失敬だとくらいは思うかもしれないが、それは年が行かない稚気というもので人が失礼をした時に怒るのを気が小さいと先方(女)では名付けるそうだから、そう言われるのが嫌なら大人しくするが宜しい」だのと漱石が言ったことに従って行動するような男としか付き合わなくて案の定、その男の欠点をあからさまに貶したり嘲笑ったり陰で笑ったりしているのも分かった。  だから、蝶乃は性格が決して良くないと鑑定したトラは、自分を可愛がるのも自分の姿形が可愛いから可愛がるのであって優しさから可愛がるのではないと思い、それを証明するべく七右衛門の屋敷を家出してから或る日、醜い虎猫に化けて蝶乃の前に現れ、彼女の反応を窺った。  すると、「不細工は父様(ととさま)だけで沢山だ!」と蝶乃は叫ぶや否やトラを思い切り蹴飛ばしてしまった。お陰でトラはギャーと泣き叫び、サッカーボールのように何度も転がった末、激痛を堪えつつあの女と付き合う為にはこんな目に遭っても文句を垂れてはいけないのか、あの女の夫になる男は辛いにゃあ、あれは行く行くは太宰の言う亭主の支配者になり三従の教えに背くに違いないにゃあと思った。
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