第六話 花でできた泥

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 「私は、あなたに消えてほしくない」  そう告げると、慧一郎は少しだけ驚いたように菜々子を見た。  「私はね、『いつでも指輪を捨てていい』ってお母様から言われてるの」  そこまで言って菜々子は涙ぐんだ。  「でも慧一郎は、『夜ノ君』をやめられない。このお屋敷に生まれたというだけで」  胸が締め付けられるように苦しくて、菜々子は涙を流した。  「その上、『自分』まで消えてしまうなんて、あんまりよ。……ひどい」  慧一郎は、毎日天に向かって泣いているのではないだろうか、そう菜々子は思った。  「ひどい」  涙の代わりに光が溢れても、慧一郎自身がそうと思っていなくても、本当は、そうなのではないかと思った。  「ひどくなんて、ないですよ」  慧一郎は微笑んだ。  「僕は生まれてきた時から役目が決まっていただけ。その為に生まれてきたんです」  菜々子は少しだけハッとしながら、慧一郎を見た。  「それを、あなたも望んでいるの?」  「『夜ノ君』はみんなから望まれています。ならば、僕は『夜ノ君』になるだけです」  菜々子はじっと、慧一郎を見つめた。 「答えに、なってないわ」 黒く大きな瞳の中に、自分の姿が映っている。  「その為に、生まれてきたんです」  困ったように笑みながら、慧一郎は繰り返した。  ――あぁ、『慧一郎』でいるうちに、菜々子さんに会えてよかった  何故か菜々子の耳に、かつて慧一郎が言った言葉がよみがえる。  「あなたが、『慧一郎』であることを望む人は、誰もいないの?」
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