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丘陵にて
高校三年生の俺は部活を引退した後も、ランニングだけは続けていた。
高校近くにある丘陵には緑が多く、真夏の夕方に走るにはもってこいだった。
いつものように斜面を上っていると、途中でパラパラと雨が降ってきた。幸い大きく育った木々の枝葉が雨粒から俺を守ってくれた。
そのうち、雨足は強まり、ザーッという音とともに、結局、俺は雨に包まれた。
肩にかけたタオルで顔を拭きながら、なんとか見晴らし台まで上った。そのまま、あずま屋に走り込んで、やっと雨から解放された。
タオルを絞ると含んだ水分がコンクリートを打つように落ちた。
再びタオルで顔を拭き終わってようやく、あずま屋にもう一人いることに気がついた。
里子さんだ。
「園田さん」
当時はまだ下の名で呼ぶほど親しくなかった。俺が呼びかけると里子さんは笑顔でこちらを向いた。
「桂木君、今日もランニング?雨の予報なかったよね」
里子さんは俺がランニングしていることを当然のように話した。知っていてくれたことが嬉しくもあり恥ずかしくもあった。
ふと見れば里子さんもずぶ濡れだった。白いブラウスから下着が透けて見える。
俺は咄嗟に「もし良かったら」とタオルを差し出した。
しかし、それは、散々俺の汗と雨を拭いたもの。しまった!と思ったが後に言う言葉は見つからなかった。
「ありがとう」
里子さんは嫌な顔ひとつせずにタオルを受け取ると、顔を拭いて体を隠すように肩にかけた。
俺は見晴らし台からの景色を見下ろした。近くにある住宅街が薄いグレーで染まり雨が降り注いでいることがわかる。一方で遠くの方は明るいままだ。まるで、世界の縮図を見ているような不思議な光景だった。
「園田さんはどうしてここへ?」
「みんな知らないみたいだけど、天気次第でここから半島が見えるのよ」
「半島?」
園田さんが見ていた場所は俺とは違ったらしい。
「今日、ロケット打ち上げでしょ?だから、来たんだけど、この分じゃ見られないわね」
今朝のニュースを思い出す。この先の半島で観測衛星を乗せたロケットの打ち上げが行われるという。
「そういうの興味あったんだ?知らなかった」
当然だ。その存在を気にしているだけで、今までろくに話したことがないのだから。
「ねえ、桂木君は進学するの?」
「県外の専門学校」
「そう…私は地元で就職。いつか進学するにしても就職するにしても、高校三年生が、地元にするか県外に出るか宇宙に行くか、迷う時代になるわね」
「宇宙!?」
俺が素っ頓狂な声を上げると、里子さんは顔を上げてキラキラした目で話し出した。
「今回の打ち上げは将来的な宇宙居住船建設の第一歩になるのよ。最初はお金持ちが宇宙旅行に行く。そのうち、宇宙に別荘を持つようになって、ついには、宇宙で暮らすようになるわ。そして、それが庶民にとっても当たり前になる」
里子さんが高校でこんな熱っぽく話す姿は見たことがない。
「県外に行くって言っても、隣の県なんだ。すぐに帰ってこられる」
俺がそう言うと、里子さんの頬に赤みがさした。俺は畳みかける。
「卒業しても、またその話を聞かせてほしい」
里子さんは黙ったまま、何度も頷いた。
そうしていると、あずま屋の外が急に静かになった。雨が上がったのだ。
「これなら、打ち上げの様子を見られるかも!」
俺と里子さんは見晴らし台から半島を見た。俺は里子さんと同じ未来を見ているような気がした。
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