きっとあなた騙される

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「 おめでとうゴザイマス!」 「 わざわざお越しいただいて、  ありがとうございます。  貴女も、お仕事が、    お忙しいでしょうに…」 「 いいえ…  茉由さんは、高井の、  大切な部下ですから、  そのご家族様の事も、  大切にと考えております。  この度は、  とてもおめでたく、 『教授』にご就任されたとの事、      お喜び申し上げます」 亜弥は、 鮮やかな、一つ一つ、キチンと花粉 が取り除かれた、『高貴』『威厳』 『祝福』の、 カサブランカの、アレンジメントの 花かごを、茉由の夫に、手渡した。 柔らかな笑みを浮かべて、 その華やかな花を受けとった、 茉由の夫は、花を眺める事もなく、 すぐに、自分の秘書に渡し、 亜弥を自分の部屋の中にある、 応接室に案内する。 「 貴女は素晴らしい女性ですね、  ご主人の為にも、ちゃんと  動いていらっしゃるんですね」 「 恐れ入ります。茉由さんは、  愛らしい女性ですから、    それだけで十分ですよね」 亜弥は、 茉由の夫の前で嫌味を言う。 茉由の夫は、 大きな有名な大学病院の医師で、 入院患者さん達の病棟回診、 通院患者さんの外来診察をこなし、 担当医としての手術、 術後の診療を担当し、書類作成等 の事務作業もし、大学での研究、 論文作成、海外や国内の学会での 発表、講義や実技での学生のため の授業、試験、その準備と審査… それ故、家に帰る時間も、 ほとんどなく、 こんな対応も、 秒刻みで忙しいのに、 教授、 に、なったばかりで、さらに、 もっと忙しい中、 突然、ワザワザ訪れてきた? 亜弥に対して、 なぜか、ワザワザ時間を創る。 けれど、 そこまでは分からない亜弥だが、 それでも、 一応は、事前に、 この男の事を調べていて… 亜弥は、 高井が、茉由との事を相変わらず 堂々と続けているのならば、 自分も茉由の周りの事も把握して おかなければならないと、 茉由の夫に関しても、調べていた。 茉由の夫は、 有名私立大学の総合病院に勤務 する医師。 茉由とは学部違いの、 同じ大学の先輩で、学生時代に、 茉由の、サークル仲間の紹介で 知り合い、茉由の大学卒業と同時 に結婚した。 亜弥は、 今回の、この男の教授就任について は、病院のHPから情報を得て知った。 そして、そこに出ている、 病院staffの外来担当の予定表を調べ、 教授でも、月に数回は、 外来担当日がある事を知り、 その日は、 この男は病院に居るだろうと考えた。 けれど、それでも、空振りにならな い為に、念のため、この病院の HP で調べた、この男のフルネームで、 他に情報が無いかを検索して、みる。 すると、 この男は、日本だけではなく海外 の学会でも活躍している医師で、 日本に居ない時がある事も知った。 亜弥が、 この男と会える可能性を考えれば、 この、教授就任のこの時がベストで、 おそらく、普段は忙しく飛び回って いるこの男でも、ここにしばらくは 居るだろうと考えて、この男の忙し さは考えずに、このタイミングを逃 したくはなく、押しかけた。 この男も、 亜弥の訪問には驚いたが、これ をチャンス?と考え、忙しいのに、 珍しく、ワザワザ『外部』の人間 なのに対応した。 「 さぁ、どうぞ、  おかけください。まだ、  この部屋にも慣れていなくて、  片付けも終わっていませんが、  ここで、宜しいですか?  申し訳ないのですが、  私もあまり時間が無いので、  外に出る時間も、    もったいないのですが …」 「 はい ! モチロンです。  有名大学病院の教授室に  入れるなんて…  何だか緊張しますね …  しばらくの間は、  いつもよりも、  お忙しいでしょうに、  お時間を戴いて、  ありがとうございます。  本日は、  お祝いのご挨拶に、  伺っただけですから、  腰を下ろすつもりは    ないのですが … 」 亜弥は、 訊きたい事がいっぱいあってワザ ワザやってきたのに、そう、思わ れない様に、けん制する。 「 腰かけるつもりはない」と、 云いながら、 しっかり、応接室に入り込み、 そこにセッティングされた、 応接セットのソファに、もう チャッカリ腰かけていた。 その図々しい様子に、 教授付きの秘書は? 呆れ、 お茶の準備を始めた。 「 いえいえ、大丈夫ですよ、  貴女のような、  美しい女性は大歓迎です。  先日、茉由の、  見舞いにいらしたとき、  なんて、美しい人だと   思っておりましたので…」 この男は、強かだ。 亜弥の訪問の意図が分からない うちは、忙しく、こんな時間も もったいないのに、たわいもな い会話しかしない。 先ほど、亜弥が、茉由の事を、 『愛らしい女性』と云ったのも 気になるので、探りも入れた。 「 まぁ… 貴方は、  女性の事を、そんな風には  見ない方だと思っておりましたが、  賢い方でも、  男性目線もお持ちなのですね、  茉由さんの事も、やはり、  美しい姿に惹かれて、     ご結婚されたのですか?」 亜弥も、 自分が訊かれたことはサラッとかわ し、関連したことを見つけて、すか さず、質問に変える。この二人の情 報ならば、どんなことでも手に入れ る意気込みは凄い。 「 はぁ?茉由との結婚ですか … 」 この男は少し考えてから、別に、 『答えなくても良い』こんな事に、 ちゃんと、応えた。 「 私が、   茉由との結婚を決めたのは、       茉由の血筋かな …」 この男は、 まだ、あまり深い付き合いのない 亜弥に対し、意外なほど、すんなり? 喋り出した。 「 血筋?ですか … 」 亜弥は言葉を繰り返し、これに、 強い興味を示す。 「 ええ … 貴女は、  茉由の実家の事を、   ご存知ですか?」 「 いえ…」 「 そうですか…  では、  歴史にご興味は?」 この男は、 不可思議な話の進め方をする。 「 歴史?ですか … いえ、  歴史は、高校生の頃まで?  学んだ程度で、専門知識はなく、       とくに… 興味は … 」 亜弥がキョトンとしているので 「フッ!」っと、 この男はほくそ笑んだ。 「 茉由の実家は、たしか …  一般公開?されていて、  茉由は、実家には、もう、  帰れないみたいなんです。  私と結婚する、少し前に、  茉由の父親は、急に、  亡くなってしまって、  税金の事や何やらで、  手放したみたいです。  そのせいか、  バタバタとしましたが …」 「 茉由さんの、  ご実家、が、一般公開?…」 亜弥には『家』が一般公開されるとの イメージができない。 「 ええ… 茉由の実家は、  『鷹狩り御殿』  だったみたいなんです。       あの方の …」 「 御殿?鷹狩り?」 亜弥は『御殿』と云われても、歴史に 詳しくはないし、言葉も馴染みのない 『鷹狩り』は全くわからない。 「 ご存じないですか?  関東には、   『 鷹狩り御殿 』が  いくつかあって、 中には、  一般公開されているものも  あるんです。  まぁ、あの時代から随分と  経っていますから、建物は、  変わって しまったものも、        あるでしょうが…」 「 あの …  茉由さんは?」 亜弥は、 眼を見開いた状態で、かなり、動揺 した、まさか、自分が軽く返した事で、 こんな話になるとは思わなかった。 この時代に、『御殿』とは … 亜弥の頭の中には、 侍?武士?お代官様? 大名?お殿様?将軍?… でも、どれも違いがあまりよくは 分からないし、 『城』と『御殿』の違いもよくは 分からない。 それでも、 話が大きくなってきたのは確かだ。 茉由は、 今の会社に入社した時には、もうす でに、この男と結婚していて、名前 は変わっていた。旧姓は、調べれば 分かるのかもしれないが、 こんな展開になるなんて? 分からなかったし、 そんなに重要とは思わなかったので、 亜弥は、調べてはいなかった。 それに… 亜弥は、歴史に詳しくないので、 『あの方』以外は、 御殿に関わった人の名はでてこない。 亜弥はキョトンとしているのに、 この男は、 そんな亜弥の様子を見ながらも、 すました顔、で、 自分のペースで喋り続ける。 「『鷹狩り御殿』ですからね、  いつもそこに、  あの方が居るわけではなくて、  農民支配の領地視察を兼ねて、  鷹狩りをする時に、訪れる場所  なんですかね … かなり、  広いですし、盛り土?  ですかね、周囲よりも、  少し高くなっていて…   堀のような用水路があって…」 「 農民支配?領地視察?  の?鷹狩り?ですか … 」 亜弥には、 3つとも馴染みのない言葉な ので、聴かされた言葉をただ 繰り返す。 「 ええ …  御殿の前の道は、防衛上道幅が  狭くて鉤の手に曲がった道で …  いまは、  車道になっていても、        そのままな感じで、  ほぼ直角に曲がっているんです。  だから、車は通れますがあまり、    スピードも出せないんです。   それに、地名も…       茉由の実家の住所は、  『○○御殿町1丁目』なんですよ、  茉由は、  外で、何かしらの事があって、  自分の住所を  記入しなければならない時には、  それで何者か分かってしまうから、  嫌だって、言っていたことも …  ちなみにお隣りは『陣屋町』です。  御殿の横には陣屋があったので …  茉由は、見た目も善いですが、  あっ!スミマセン、   これは自慢ではないです。でも、   私は、茉由の外見は …        どうでも良いんです。   年をとったら、皆同じですよ …」 この男、 この話をするのが面白くなってきた のか、なにも構わずに話しを続けた。 まるで、亜弥だけではなく、 傍にいる、staff 達 にも聞かせる様に … そう、 この男は、機転が利いて、色々な事に 考えを及ぼす。 これは、 ちょうど良いタイミングだと思った のかもしれない。 この病院には、 一人、だけではない『教授』の中で、 自分を、より、大きく見せるために、 自分だけではなく妻も『特別な人間』 だと分からせるために、亜弥との対話 を利用する。 さすが、は、外科医。 『 切ってみなければわからない 』 手術の時の様に、こんな事でも瞬時に いろいろと考えちゃんとやってみせる。 この男は、 ふてぶてしい。 自分のためには、 なにを喋ってしまっても良いと 思っているのだろうか … そういえば … テレビドラマの中で、医者がオペ中、 手術室に自分好みの音楽を流している のを見たことがあるが、 本当に、 この男の術中にも、クラシック音楽 は流れている。大学病院では学生も、 手術室に入り、 患者を取り囲んでいる事もあるが、 この男の周りにも大勢学生達が居る。 派手好きなこの男の技術の腕も? おそらく … 確かなのだろう。 「 一般公開されていますから、  貴女も、高井さんも、        茉由の実家を  見る事が出来ますよ、  あっ!公開時間は、       調べくださいね、  私は、一般公開されてからは、  往った事が無いので、      分かりませんから…」 この男は、 顔の前で掌をバタバタとさせ、 お道化てみせた。 「 はぁ … 」 亜弥は、 返事にもならない声しか出ない。 あの、天然な子供子供した人が、 そんな人だったなんて、 あまりにも、意外過ぎた。 「 ですからね、  変わっているでしょ!  茉由は… 子供の頃から、  周りの子供たちからは、  離されて、育ったんです」 「 子供の頃から、茉由さんを    ご存じだったのですか?」 「 ええ …  私は、実は、学年違いでも、  ずっと以前から、  茉由を知っていたんですが、  大学の時に、急接近したくて、  知人を介して、初めて、   出逢ったフリをしたんです」 この男ゼンゼン悪びれた様子はなく、 サラッと自慢話を云う。当時から? 自分に自信がある野心家なのだろう。 だから、 この男は、そうした事も、ちゃんと 上手く、やってみせ、茉由を警戒さ せなかった。 茉由は、 自分の実家の事を、自分からは云わ ない。 分かってしまうと、それで、目の前の 人の、茉由への対応が変わってしまう 事が、なんどもあって、それが… 茉由には、辛いし、心が、苦しいから。 茉由は、 自分が何者でもないと思っている。 だから、 茉由は『あの家』から離れて、 社会人になった事に、 解放感からホッとし … 初めて、 なにも先入観のない会社の人々と ふれあい、同期の、咲や梨沙、 佐々木や佐藤と、せっかく親しく なれたのに、この男は … この事を茉由が知ったら、愕然とし、 ますます、この男の事を不信に思う かもしれないのだが、 かわいそうにも、 茉由は、まだ、この事は知らない。 亜弥は、 この男の、強かさを知った。確かに、 派閥競争も激しい?大学病院の中で、 『教授』を手に入れただけの事はある。 やっぱり、曲者? きっと、 この男の周りにだって、色々な人間 模様がある。ここにも、賢くて美し い女性はたくさんいるし、中には、 この男に言い寄ってくる、そんな女 性もいるが、 この男は、 自分から言い寄ってくる者には興味 がないし、女性たちは、皆、同じに 見えて、ただの個体にしか見えない。 「 そうでしたか…  茉由さんは、お小さいころから   可愛らしかったんでしょうね…」 亜弥は突っ込みどころが分からずに、 とりあえず、この男の喜びそうな事 を言ってみた。 「 はい、近づけなくても、  目立っていましたよ、  お人形のようでした。  茉由は、たぶん …  体育の授業の時以外は、  走った事が無いんじゃないかな?        そんな感じですよ 」 「 そうですね、  オットリしていますよね、  それに … 純粋で、  嘘がつけなくて、       裏表が無くて …」 亜弥に、 妻を褒められたのが嬉しかったのか、 この男は、 「フフっ」と嬉しそうにニヤケル と、リラックスするそぶりを見せる、 腰かけていたソファの背もたれに、 ドカッと音を立て凭れ掛り、両腕を 上に伸ばし、背中を反らせた。 「 そうそう! 単純でしょ!  周りの者に護られて育ったので、  子供のままですよ、         だから … そう、  椅子を指さして …  『そこに座っていろ!』って  云いつけたら、自分からは、  何も尋ねずに、云われたまま、  ずっと腰かけているだろうし …  怖がりだから、叱ると、  スグに、シュンって、凹みます。          ハハハハハ ...」 傍に居ても、この男には近づけない、 頑ななところがあるのに、茉由に関し ては、両腕を広げて包み込んでいるの が分かる。それは良い意味ではなく、 悪い意味で … 「 あぁ~   ちょっと、失礼します … 」 この男はそう云って、 亜弥をそのままに、 一旦、応接室から離れると、 また、すぐに戻ってきた。 どうやら人払いをしたようで、 気を使っているようでも、 ここの staff 達が? ドアを開けて出ていく音が聞こえた。 「 あの?   お忙しいんじゃ …      ないですか?」 亜弥も、 腰を浮かせて退室しようとしたが、 この男は引き留めた。 「 いえいえ、せっかく、   いらしたんですから、   どうぞ、どうぞ、まだ、      大丈夫なんです… 」 この男は、 まだ、なにか、云い足りないよう だった。人払いをしたのは、他の 者には聞かれたくない話をする為 だったのだろうか … 「 茉由なんですが … なにも、   できないでしょ? ちゃんと 」 この男は、 声のトーンを変えて、なにか、 抑えた感じを出した。 「 はい?」 なんだか、もう、 この男の独演会の様になってきた。 亜弥は、 何を言ったら善いのかが分からなか った。この男の云いたい事の邪魔に なると思うと、返事にも困る。 「 でもね、それで、良いんです。  私は困りません。貴女は、             先日、  茉由の見舞いに訪れた時、  『 人間ドック 』と思って     いらしたようですが … 」 「 はい … 」 「 あれは、経過観察、  定期的な検査のための、  入院だったんです。本当は、  入院までしなくても良いのですが、    心配なので、大事をとって …」 「 定期的な?」 「 はい、茉由は … 今でも …  リンパ腺 … の、中に癌が …  いいえ! ですから! 茉由は、  なにも、できなくても良いんです …」 この男は、一般人にも分かるように? 一言一言を確かめるように話した。 この話は … 医師だから、そんな事を口にできるが、 守秘義務があるのに、これはおかしい。 先ほどの、 人払いは、この為だったのだろうか … けれど、茉由は、この病院に何度も 入院をしている。 いまさら、茉由の病気をここの者に 隠す必要はない、ではなぜ人払いを … 「 ... それは 」 亜弥は、驚く。何も尋ねなくても、 この男は、なぜ、こんなに色々と、 喋るのだろう … こんな事まで聴かされた事に、   亜弥は心配になってきた。 でも、このまま話は終われないで 思わずそのまま訊き返してしまう。 「 では … 茉由さんは、  お具合が悪いのですか?」 「 ええ … まぁ… 茉由にも、  詳しくは、伝えていませんが …  できれば、貴女も、なるべく、           茉由には … 」 「 はい、  茉由さんがご存じないのなら …         そうですよね …」 この男の、 『こんな話し方』でも、亜弥は、 賢いから、ちゃんと、理解した? この男は、 急に、口が重くなった。しばらく、 沈黙を守り、テーブルに出されてた、 もう、すっかり、 冷めたお茶をグビっと飲んだ。 それにつられて、 亜弥もお茶を飲む。 あまりにも意外な聞きなれない言葉が 次々に耳に入ってきて、なんだか、 この場が、異空間のように、不可思議 な感じに思えてきた。 亜弥は、 ちゃんと返事はしたものの、     本当は頭が働かない。 さすがに、こんなに、 立ち入った話を聴かされたら、 平常心を保つことは、難しい。 亜弥は、冷静ではなかった。 亜弥は、 手にした、冷めても香り善い、 鮮やかな緑色のお茶が入った、 教授室に相応しい、品のある 蓋付汲出碗を、 気分を変えたくて、 そして、それをごまかす様に、 ゼンゼン詳しくないのに、 品定めする様な目で眺めてた のに、 そんな、余計な、時間をも、 与えない、様に、       『 ふぅぅ---!』 っと、 大きなため息が前方から聴こえて、 この男の存在をまた圧しつけられた。 そんなに、 大きなため息とは、疲れているのだ ろうか? この男は、天井を見上げ眼を閉じた。 自分を落ち着かせようとしているの だろうか … なんだか、 辛そうにも見える。 ちなみに、 亜弥は、この男が『 芝居上手 』 な、事は知らない。この男は、 自分で創り上げたキャラで人との やり取りを行うのがかなり上手い。 「 大丈夫ですか …」 亜弥は、気遣いを見せる。 「 あっ ...  ありがとうございます。       大丈夫です…   ですから、ね … おかしな   話、今回、私が、  教授に就任しましてね …  本来ならば、教授夫人は、  それなりに、    仕事が増えるんですよ  挨拶回りとか、       パーティーとか、  教授婦人会なんかですが …  でも、茉由には、  無理をさせられませんから、  そんな事にも、    付き合わせられなくて …」 「 そう、   なんですか …」 この男は、伏し目がちに、 重い口をゆっくり動かすように 話を続けた。 「 ええ … ですから …  なるべく、  茉由の好きな事だけ、  させているんです。        べつに …  外で仕事をしなくても?  良いのですが …        なんだか、  皆さんには、  甘えているのかも      しれませんが …  茉由の生きがい?       みたいだし … 」 驚きだ! この男は、実際には、さんざん、 茉由に制裁を加え、行動も制限 しているのに、 サラッとこんな自己弁護のよう なことを言い出し、 さらに、ちゃんと、亜弥が、 答えられそうな事にも触れている。 「 いえいえ、茉由さんは、  ちゃんと、  お仕事をされていますよ、  本社の『 営業本部の係長 』に  なられたんです、ご存知ですか?」 亜弥は、 つい、この男に同情したのか、直接 尋ねられていないのに、茉由の事を 話してしまう。それほど?亜弥は、 この男のペースに巻き込まれ、 もう、自分が何をしに来たのかも? 分からなくなっていた。 だから亜弥は、 この男を、なぐさめたつもりだった。 「 そうですか、茉由が、  係長ですか、大丈夫かなぁ …  ですから、この、教授就任の事も、  まだ、茉由には伝えていません、  気を使わせるのも、         可哀そうなので …」 そんな亜弥からの、 茉由の情報にも、怪しまれない様に、 この男は、すぐには飛びつかない。 そつなく、自分のペースを守る。 「 そう … だったんですね …」 亜弥は、 すっかり、この男に騙されたようで、 この男の話に合わせ、静かに、肯く だけの、 聞き役になってしまい、この男には、 もう、自分からは何も尋ねなかった。 そうして … この男は、ズズッ!っと、鼻を鳴らし 肩を下げ、両腕をダラァ~ンとさせて 背を丸め、俯いた。 「 私は … 茉由の病気を憎み、  私にできる … 一番!善い方法で、  茉由に尽くしているんですが …  ふぅ~ 茉由の血 って ね …  私と、同じ色をしているんです。  未だ温かい、茉由の血を、ね、 『 お味見 』も、しましたけど …    同じ味でした、私と茉由は …」            「 えっ!」 … 茉由さんの、血を?  同じ色って、なんで?  それに … 味見?した? …  コノヒト … なん なの?    … 普通 じゃ ない !… 訳の分からない事を聴かされた亜弥は、 驚きのあまり固まり、黙ったままだが、 その、異様さに、急に、 目が覚めたように我に返り、 警戒しながら、この男の様子を窺う。         … コ・ワ・イ … … この男 …  粘着質な男、なの?  それって … カナリ、   ヤバイヤツじゃない … … あぁ … 医者だから? …  なんでも … どうとでも?  自分にはできると思ってるの?… 亜弥は、 息をのんだまま、動かないのか、         動けないのか … それでも眼を見開いた。 ここの空気はすっかり変わり … 周囲の空気を急に冷たく感じた亜弥は、 居心地は悪く背中がゾクゾクッとした。 けれど、これだけじゃなかった。 それは、一瞬の事だった。 『 ダ ン ‼ 』 この男は、 急に、ソファから腰を浮かし、 「 亜弥さん ? 私には …   貴女のような方が!  良かったのかもしれません …」        態度を変える。 目の前に、 腰かけている亜弥の顔の近くに、 自分の顔を『にゅぅ~』っと、 舐めるように寄せて、顎を上げ、 気味の悪い、ギラギラ! っとした眼差しで、亜弥と無理 やり目を合わせると、ニヤリ! っと、口角をあげた。 亜弥は、 その不気味さにたじろいだ。 すかさず、バッグに手を掛けて、 帰り支度をする。 「 あっ‼ そろそろ、  私も仕事に戻らなければ  なりません。本日は、  お忙しいのに、  長居をしてしまって、  申し訳ございませんでした!」 亜弥は、 この男の返事を待つこともなく、 教授室から出て行った。 茉由の夫は … 「 クッ、クククッ!」 ソファでのけ反り、 愉快そうに笑いだす。 「 どうかな?」 この男は、 自分の「策」に自信があるのか … 「 アイツが、係長?   って、どんな会社だ!」 茉由の勤める会社は、 日本では大手の不動産会社なのに、 そんな事を呟くと何事もなかった かのように、 無表情に、自分の、大きな、 教授の desk に戻り、手早く、 PCを開け、その、すぐ横に置 かれた書類にも目を通し乍ら 仕事に戻った。 ちなみに、 この男は、かなり、大きい事を言 ったが『 茉由の病名 』については、 なにも、ハッキリと『 断定』した 言い方は、していない。 やはり、 この男は腹黒い。自分は忙しく、 時間がもったいないので、亜弥に 自分の云いたい事だけ伝えると、 一番早い方法で、追いかえした。 おそらく、 亜弥はもう、ここへは、来ない。 この日は … この男は、 突然亜弥が訪れた事に、最初は警戒し たが、亜弥の様子から、これは、 自分と茉由を調べに来たのだと考えた。 だから、こんな茶番までして? それを逆手にとって、 伝えたい、情報を、一方的に伝えた。 そこまでして? 『 茉由の事を亜弥に伝える 』これは、 高井に対するものでもある。 その二人に対して、 なぜ、 この様な話をこの男は伝えたのだろう、 茉由の夫は 『 高井と茉由 』の事を以前から            疑っていた。 それは、 茉由のドレッサーの引き出しの中に あった、高井の名が刻まれたボール ペンを見つけたから … ― この日、お兄ちゃんは出かけてい た。本物の父親が、珍しく、仕事 の休みで家に居たので、いつもは その代理で頑張ってはいたが、 大切な可愛い弟を、本物の父親に 任せられるから。 弟は、めったにお目にかかれない、 本物の父親に、ここぞとばかりに 甘える。 そのための理由なんて、どうでも 良かったが、あの、おやつに食べ た、パンダの中華饅頭を、 そんな父と共に、 お店に買いに行きたがった ― 「 おとうさん、いっしょに、 お店にいってよ? ボク、  パンダのおまんじゅうが        ほしいから!」 「 パンダの お饅頭?」 「 そう、おかあさんが   おみやげにくれたの 」 「 お土産?お母さんが?」 「 うん!」        『 何故だ?』   … おかしいだろう …         この男は首を傾げる。 自分が、 行動制限しているのだから、 茉由が職場以外の場所に外出 するわけがない。 子供の話だけでは、あまり、要点 がつかめない。でも、茉由は、今、 居ない。 茉由の夫は、 茉由の仕事日に家に居た。 それが、 意図的にかは、分からないが、 茉由とは、仕事の休みはいつも 別々だった。 この日も、夫だけが休みの日。 茉由が居ないので、 茉由の母に尋ねてみた ― 「 パンダのお饅頭?       そうね~?  あ~!  茉由ちゃんの会社の人  からの戴き物ですって!  一つだけだったから、  私がもう一つ買って来て、  おやつに出したの。  また食べたいのなら、  私が、  買ってくるから良いのよ?」 夫は頭を下げた。 「 それでは、   宜しくお願いします 」 茉由の夫は、茉由よりも賢い。 『 会社の人からもらった、たった  一つの中華饅頭 』 これだけで?   寝室に入り、茉由の、 持ち物検査を始める。 「 子供が二人なのに、中華饅頭、 『一つだけ?』『会社から?』  ワザワザ持ち帰って来るのか?」 夫の疑念は、当たった。 茉由のドレッサーの、引き出しの 中から、男物の銀のボールペンを 見つけてしまった。それを手にし た夫は、その場にしゃがみ込み、           考えだした。 「 最近、アイツは、病院に来なく      なった、な、何故だ?」 夫は考えた。 「 来ないのなら、来させたら善い 」 夫は、リビングに戻った。 茉由の母に向かい、芝居をする。 茉由が最近、病院へ検診に来なく なって自分が心配していること、 検診を受けなければ、病気の早期 発見ができないこと。 早期発見ができなければ、再発、 転移の時に手遅れになること、を、 妻を心配する夫、 そして、医師として伝えた。 「 子供たちの為にも、  茉由さんを、  病院へ来るよう説得して下さい。          お義母さん!」 夫は、辛そうに、茉由 の母に訴えた。 その原因になったボールペン。   高井の名が、刻まれている。 ―  こうやって… 他の人たちよりも、ずっと、ゆっ くりとしたスピードで、並んで歩 いていると、二人だけの、ここの、 周囲の人たちとは、違う空気を吸 っているようで、地元の、慣れて しまった港の空気も … 今日は、違うと、茉由は感じた。 高井と腕を組んでいなくても、     二人は、くっついている。 背の高い茉由よりも、 もっと背の高い、高井の肩の位置 が、      ちょうど良くて、好き、 右側に顔を向けると、高井の堂々 とした、 前に向かって胸を張る姿勢の、 上着の胸のポケットに入っている、 銀のボールペンが目に入り、 茉由は、なぜか、 それが、欲しくなる。 ここの景色よりも、ずっと、 そこから目が離せない。今、 欲しいのは、 綺麗な夜景じゃなくて、この ボールペン、だった。 ちょっと、いたずらっ子の様に、 何も言わないで、そっと、ポケッ トからボールペンを抜いてみる。 上手にできたみたい。 それを高井は気づかない。 ペンには、 高井の名が刻まれていた。 それを、嬉しそうに両手で持って、 目の前まで持ち上げたところで、 高井はようやく、気がついた。 「 どうした?    嬉しそうな顔をして、  その、ペンが、そんなに、  気になるのか?あ~?  それが、       欲しいのか?」 高井は、いつもよりも、 口数が多かった。 でも、 茉由の気持ちも分かって いた。 茉由は黙ったまま肯く。少し、 すがるような目をしてみる。 高井は茉由から、ペンをゆっく り取り上げると、 茉由と向かい合い、 茉由のスーツの胸ポケットに ゆっくりと差し込んだ。 そして、 そのまま茉由の肩を引き寄せ、 優しく kiss をした。 山下公園から出た、横断歩道の 信号待ちの間、 二人の唇はずっと 離れなかった。 茉由は初めて瞼を閉じないで、 長い kiss をした。 夜でもここは …    明るかった。 観光地のここは、解放的で、 そんな二人を誰も観てはいない。 茉由は高井にドキドキしたのも 初めてだった。 茉由は、 高井をずっと、見ていたかった。        ― ―   「 あれ?いけない 」 茉由は着替えを急ぐため、 寝室へ入ると、 スーツの胸ポケットにある ボールペンを思い出した。 「 あ~、落としたら大変!」 せっかく、 オネダリシテ、手に入れたペン。 高井との kiss も、思い出した。 『ひとり』なのに、嬉しそう、 微笑みながら、ペンにもう一度、       軽く kiss をする。 そこには、 高井の名が刻まれている。 茉由は自分の kiss を消す様に、 その名を小指でなぞってから、 寝室のドレッサーの引き出しに、 ペンをそっと入れた。 高井の名が刻まれたペンは、       茉由の寝室にある。    ― 茉由は、独りの時に、 いつも手を差し伸べる、 そして、いつも、目の前に居て、 強く、茉由を護り、ときに、 振り回す高井に、 引き寄せられ、従ってしまうが… そんな茉由を、この男は、 直接、責めたり、問い詰めない。 それでも、茉由が逆らえない様に、 この男は動く ― 「 良いわね、一週間の、    検査入院ですって!」 夫と母は、茉由の事を決めていた。 茉由は、この命令に、なにも、 言い返さない。 ― 茉由を、強く管理する夫の 事を忘れるなんて、茉由は、 愚かにも程がある。 5年以上もこの夫からの 制裁に苦しんでいるのに。 ― 有名な大学病院。立派な、病院。 茉由は、 夫が勤務する病院に居る。 夫が用意した、茉由の病室は個室。 ここには、他の病室のものとは違 う、落ち着いた木目の、一人には 広めなベッドの他に、 見舞いに訪れた人もくつろげる、 上品な応接セットや、大型テレビ、 ユニットバスと、それとは別の、 洗面室、ミニキッチンなど、 かなり広めで病室らしくない。 ビジネスホテルのシングルの部屋 よりも、ラグジュアリーな感じだ し、茉由はこの部屋ではスマホも 自由に使え … ここに居る間は、 子供たちとの、楽しい、メッセー ジのやり取りも、十分に時間があ ったので、茉由は嬉しく、 『 昼間の時間 』を楽しめた。 だが、すぐに『独りぼっち』の、 寂しさ、怖さ、の、ネガティブな 気持ちは大きくなってきた。 独りぼっちでは、ここで、 『 何かあって 』も、 誰にも気づいてもらえない、 『 助けて …  もらえないかもしれない … 』      などと、考えてしまう。 病院なのに『 助けてもらえない 』 なんて、考えるのはおかしいのか もしれないが、茉由は、夫に強い 不信感を抱いていたから、そんな、 『 事 』を、考えてしまう。   夫との夫婦関係を、 ちゃんと築いてこなかったのは、 茉由にだって 責任はある。 この夫婦には、全くの信頼関係な んてものはない。 子供がいるから、 家族でいるだけの、形だけの、        関係でしかない。 『 茉由の病気 』は … これは、 医者である夫が、妻の不貞を疑い、 その制裁に、病気と信じ込ませ、 要らない手術や薬の投与を施し、 白血球数が平均値の1/10になる ようにし、これで、抵抗力が弱っ ているとのことを茉由に自覚させ、 『 信じ込めせ、   行動を制限する 』         「 怖い 」― 茉由は入院してから、どんどん、 不安が大きくなっていた。 ここでは、ちっとも休まらない。 茉由の恐怖心は、病気に対するも のではない。 『 医者である、夫に対するもの 』 ここでは、なにか、茉由に異常が 起きた時、その所見をカルテに記 すのは、      主治医の夫。 夫は『 事 』を起こしても、簡単に その、  後始末もできてしまう。 茉由は、そんな強い不安を、 誰にも言えない。 ここは、設備が整った、大学病院。 ここでは、常に24時間体制で        茉由は管理される。 夫だけではなく、夫からの指示で 動く、看護師さんたちも、夫側の 人たち。 茉由はそこに、 ポツンと独りで居る。 けれど、 ここは、夫の職場、で、 子供たちの … 父親の職場。子供たちの為にも、 ここで、茉由は『 問題行動 』を、 起こせない。自分勝手に動けない。 夫の怖さは、 高井の恐さとは違う。 茉由の動きも、とめられた。 茉由はまだ、 この時に夫が、 茉由の後ろの男の影を疑って、 茉由を病院に閉じ込めた事は          知らない。 検診ならば、入院の必要はない。 入院させてまで、茉由の夫は、 24時間監視体制をしいていた。 夫は、茉由の外の世界は、 職場だけ、と考えている。5年前 から、行動を制限した茉由には、 職場と家との往復しかなく、その 他には、茉由の居場所はないから。 だから、夫は、茉由の後ろの男は、 職場の人間だと考えている。 夫は、茉由が入院している間に、 その男の事を、ハッキリと、 その姿を、確認し様としたのだ った。 茉由は、 子供たちに弱い自分を見せたくな くて、外に、仕事に出る事にこだ わりを持っている。 茉由は仕事を失いたくはない。 だから、影響がない様に、 今回の検査入院を、会社には、 「夫が医師なので、その家族 が対象になる『人間ドック』に 入るため」と、届け出をした。 自分の病気のことを会社には、 まだ、知らせてはいない。 茉由はもどかしい … 茉由の母が、今回の入院を夫から 相談されたのも、母が間に入り茉 由に伝えたのも、 家族の誰も不自然さを 感じてはいない。 夫は、茉由のことを心配している。 そう、家族は信じている。 こうしたことも、茉由には 『 不気味 』でしかない。 夫のそんな、 『何もかもが、できてしまう』 事 の 怖ろしさを、 知っているのは茉由だけだ。 そんな夫のする事を、 茉由はどうする事もできない。 逃げられないし、従ってしまう。 そんな茉由から離れている高井は、 茉由が入院した時、それが、人間 ドックだと聴かされたので、何も 心配はしていなかった。 茉由が以前から、夫からの制裁を 受けていることも高井は知らない。 高井は、いつも自信満々で何事に も動じない人間だから、この茉由 の入院を、自分の都合の良いもの に、考えてしまう。 高井はこの時、 茉由に、再び、 花束が渡せるチャンスを、 手に入れたと考えていた。 それにこの時は、亜弥の Family name が変わった事を本社に居る 梨沙から、茉由に知らされたとは、 まだ高井は分かってはいなかった。 だから「まだ、間に合う」と、        高井は考えていた。 高井は、普段、 車で移動しながら仕事を している。今日も、仕事の … 途中で茉由のところへ貌を出した。 茉由の夫が24時間管理体制 をしいている病室に、 自分の目的 のためだけに。 高井は、仕事中なので、 仕事で着用するスーツを着て いる。 いつも堂々としている高井は、 ここが、 茉由の夫が勤務する病院だと、 分かっているが、 そこへだって、 自分はなにも臆することはない と、      堂々と現れる。 あの、 真紅のリボンで纏められた、 今日に合わせて作り直した花束を           握りしめて。 この花束は、 花嫁が手にするブーケのような、 真っ白なレースに包まれ、 鮮やかな真紅のリボンで 纏められた、上品なものだった。 高井の左胸には、 社名と高井の名がハッキリと 刻まれた、 ゴールドの名札がついている。 高井は病棟クラークへ寄る。 茉由のいる病室をそこで尋ねた。 この病院では、 患者さんのプライバシーを 守るため、病室を尋ねられても、 ほんらいは、対応は、しない。 けれど、 この病院の医師である、 茉由の夫から、 妻の勤め先の方には日ごろから お世話になっているので、 失礼のない様に、と云われていて、 もしも会社の人間が見舞いに訪れ た時には、丁重にご案内するよう にと、 指示されていたので、 クラークの者は、高井の申し出た 氏名と、会社の名称も記された、 高井の名が刻まれた名札を確認し、 念のために、名刺と、高井が携帯 している、会社の従業員証明証を 確認してから病室までご案内した。 なので、これで … 病棟クラークには、高井の名刺が           残され ― 茉由の居る病室のドアの手前まで 案内すると、クラークの者は引き 返した。高井は、一人で茉由の病 室へ入っていった。 茉由は、 独りぼっちで不安を抱えていた ので、高井の登場には、心から 喜びを表現した。 この時は、不気味な夫の事より、 来てくれた、 高井がそこに居るのが、 目に映って、嬉しかった。 それに、 自分の家族よりも、 高井が来てくれた方が、 安心、してた。 そんな茉由の表情を見ると、 高井は、 離れているのが切なくなった。 自分の創った、マンションギャラ リーから、茉由が出てしまったこ とに、高井は、胸にポッカリと… 穴が開いたようにも感じて いたから。 だから、今、二人は、 お互いを求めている。 高井は、茉由に、 持参した花束を渡した。 「 おまえ、この花束、   忘れて行っただろ?」 優しく声を掛ける。 「 これ、  私のだったんですね?   ありがとうございます。        嬉しいです 」 茉由はそう言って花束を… 受け取ったものの、 その真紅のリボンを    指でなぞった瞬間! 急に、顔が青ざめ、 肩を竦ませ、身体は震え、 せっかく、受け取ったばかりの 花束を、床へ投げつけてしまう。 … バサッ!   『 嫌!これ!怖い!』 あまりの激しさに、高井は驚く。 「 如何した? 大丈夫か?」 茉由はひどく脅えている。高井の 言葉は耳に入らない。手で顔を覆 い、震えながら、 ベッドの上で小さく丸まった。 高井は茉由の背中を支えながら、 もう一度、ゆっくり尋ねる。 「 ナニ が、あった?」 茉由は、泣きべそのまま振り返り、 背中にあった、高井の腕にすがり 付いた。とても強い力だった。 茉由は、本当に脅えていた。 「 ゆっくりでいいから、      話してごらん 」 高井の低い声は心に優しく届く。 茉由の辛そうな顔は、 初めてじゃないが、これは、 今までとは、違う。 茉由のか弱さは、高井の気持ちを 大きく、揺らがす …        高井は、切ない。 茉由は口を開いたが声が出せない。 何も言えない。上手く、言えない。 夫の、茉由に対する制裁の事も、 今まで口に出したことが無いのに、 ここでのいまの事だけ言っても、 きっと、分かってもらえない。 茉由は、混乱している。 目の前に居るのが高井では無かっ たら、 この花束のリボンを観なかったら、 こんなに、 なってはいなかった。 茉由が恐れているのは、 夫から、なにか、を、される事。 この真紅のリボンは、 この時の茉由には、 茉由の躰の『血管』を連想させる。 医師ならば、夜中にも対応できる のだから、人の目が少なくなって から、『される』のかもしれない。 そう考えたら、茉由は眠ることも できない。眠るのが怖い。 こんなこと、 上手く説明できない。 「 帰りたい 」 そう言うのが、精一杯だった。 茉由はひどく、落ち込んでいる。 高井は、茉由の入院は、何も問題 のない、人間ドックと聞かされて いたので、この茉由の沈み様には 驚いたが、 ここが、茉由の夫の勤める病院な らば、なにか、夫が関係している のかと考え、 茉由の顔を覗き込み探ろうとする。 「 ダンナの事が怖いのか?」 茉由は、高井から離れ、強張った 顔を伏せて黙っている。 「 答えられないのなら、      それが 答えか …」 高井はそう判断する。 「分かった。退院できるのか?」 高井の問いに、茉由は、首を横に 振る。 「 そうか … ならば、  俺が、毎日来るから、  おまえは、ここで、  俺が来る迄、  平気な顔をしていろ、       できるか?」 茉由は小さく頷く。辛そう、に。 「 大丈夫、必ず、   毎日来るから、      いいな!」 高井の優しさが、茉由の躰を温め る。たとえ、ここで、二人、抱き 合わなくても。 高井は、ほんの少しの会話の後に、 再び、ベッドの上で小さく丸まっ てしまった茉由が、 また、顔を上げられるまで、 ベッドの横に腰かけていた。 高井は、わざと、少し、 距離をあける。 そうすれば、自分に縋りたい 茉由は、身体を起こすだろうと 考えたからだ。 そのとおりに、茉由はしばらく すると、落ち着きを取り戻し、 ベッドの上で身体を起こした。 「 スミマセン、私、    どうかしている … 」 茉由は、ひとり言のように目線を 落として呟いた。 でも、その目線は ゆっくりと動き、 高井の逞しい腕を探している。 その腕に縋りつきたい。 けれど、 茉由は自分で落ちつこうとした。 茉由は、亜弥の名が、 変った事を知らされていたから。 それだって、ほんの少し前まで、 何も気にならなかったことだった のに、 今はそれが、茉由の動きを 留めるものになる。 茉由は動かずに、ゆっくり目を閉 じてみる。 高井はその様子を見守っていたが、 自分の気持ちも抑えられなくなっ             てきた。 ... 茉由が 欲しい ここから出して、連れて行きたい。 だが、自分は、亜弥を、妻にした ばかりだった。 今日は、茉由にその事を伝えよう と、思っていた。       茉由が苦しむように。 けれど、もう、その事は高井でも 云えない。この、弱っている茉由 には。 これ以上、苦しみを与えられなく なっていた。 高井は、初めて、困惑している。 あの、いつも、何事も、動じない 高井が、この茉由には翻弄される。 二人は、距離をあけたまま向かい 合い、ここでの沈黙は続いた。 どのくらい、時間は過ぎたのだろ う。ここは静かすぎて、時間感覚 も無くなっていた。 「 もう、大丈夫です 」 茉由は落ちついたみたいだった。 『 俺は、毎日、来るからな!』 高井は茉由に云い聞かせる。 「 大丈夫です…  リーダーは、ご結婚されたと          聴きました…」 「 誰から聴いたんだ!       … いや、いい … 」 高井は、もう、その事は訊きたく はなかった。 「 おまえが、大丈夫ならば、 善い … 」 高井は、距離を置いた、まま。 二人は、動かない。 茉由は、黙って肯く。 茉由の目線は、高井から離れ、 窓の方を向いていた。 結婚したことを、否定しなかった、 今、高井を、見たくない。 ベッドに入ったまま、高井に背を             向ける。 「 … マタクル 」 高井は茉由の背中に向けて呟いた。 茉由は振り返り、それを断ろうと したが、高井は、もういなかった。 茉由は、また、独りだった。 床に落ちた花束は、ベッドの上の 茉由からは見えない。 茉由から隠れた、花束のせいで、 『 幻を観たの?』と      思わされてしまった。 夕方の、 検温に訪れた看護師さんは、 茉由に何も聞かずに、床に落 ちている花束を、片付けた。 次の日、高井は来なかった。 茉由の病室には、夫も来ることが            なかった。 ここでの検査は、 看護師さんからの案内に従って、         茉由は動いた。 夫は、 指示を確り出していたのか、 茉由は、全く、元気だったのに、 ここではすっかり『病人扱い』で、 検査室に向かうのにも、 気分を変えようと、病室から出る のにも、茉由は、歩行することは、 許されず、 常に、 『車いす』を使うように指示され… 茉由が、歩けるからと断っても、 必ず、車いすに乗るように、 強く、案内される。 なんだか、ドンドン、 病人になっていくような気がする。 ... またなの? また、なにか、       私に、起こるの ... それに、 ここに入院してから、夫は一度も 病室には来ないし、看護師さんた ちからも、夫の話は出てこない。 なんだかそれも、茉由には不自然 に思える事だった。 そう、 夫は、もう、今回の、第一、目的 は果たせていた。なにせ、高井は、 茉由の入院、一日目に病院へ来た のだから。 高井は、病棟クラークに、自分の 『 名刺 』を置いていったし、 高井が茉由の病室まで歩いて行く 様子は、モニターに映し出され、 『 記録 』もされていた。 夫は、それを確認できた。 この、ボールペンに刻まれた名と 同じ、『 T.TAKAI 』という人物を。 「 こいつか ……」 夫は、モニターを睨みつけている。 高井のボールペンを、強く、握り しめて。 以前に茉由を疑った時には、 夫は、その人物の特定はしていな いし、茉由にも、問い詰めてはい ない。 その時は『影』だけ、しか 分から なかった。 けれど、 今回は、茉由のドレッサーの中に は、高井のボールペンはあったし、 こうやって、モニターからも、 高井の姿を確認できた。 影だけの存在でも、 あれだけ茉由に『制裁』を加えた この夫は、こうして、姿がハッキ リと分かる高井を観た時に、 どのくらいの『 反発 』が生まれる のだろう。 今回、夫は、茉由に対し、 『車いす』の使用を強制した。 これは、病院の中のstaff全て の者に、茉由が、元気に歩く姿を 誰の記憶にも残さないものだった。 茉由が、いつ、 『 状態が悪くなっても 』 おかしくはない状況を、 夫は、創ったことでもある。 茉由の病気は、いつ、再発、転移 するのかが分からない病気。 これでは、また、夫に何かされて も、『 不自然さは残らない 』 あまりにも、 茉由は、大人しく、夫の指示を聴 きすぎる。 この時にも、もっと、健康さを アピールしとけば良かったのに。 無防備に、何事にも、素直すぎる。 けれど、夫は、まだ、『事』は、 起こさなかった。 でも、 退院の日、 高井は突然現れた。 驚くことに、亜弥も一緒に。 ご夫婦揃ってのお出ましで。 「 嘘、なんで?」 茉由は唖然とした。 茉由は、やっと、我慢に我慢を重 ねて、ゼンゼン、身体も休めるこ となく、 最悪のコンディションでも、検査 を受け続けて、 どうにか、やっと、最終日を迎え た茉由は、ちゃんと、 家族が待つ、我が家へ帰れると思 って、ホッとしていたのに、 最後の 入院最後の日にで、なぜ、 高井と亜弥は、揃って、現れたの だろう。 それに、 それを、モニターで確認していた のか、 それとも、クラークから連絡が入 ったのか、 それとも、看護師さんから連絡が 入ったのか、 この場に、茉由の夫も現れた。 「 あと少しだったのに …」 茉由は、深い溜め息をつく。 …なぜ、皆、ここに居るの?…  茉由は、 頭の中の整理ができない。 この病室から、まだ、出られない 事だけは分かった茉由は、力なく、 応接セットのソファに倒れ込む ように腰を落とす。 「 あのう? 皆さん、如何、     なさったんですか?」 茉由は、 投げやりに、呟いてみる。 夫は、この、茉由の問いかけを 無視した。 白衣姿のまま、高井夫婦に向か って、挨拶をした。 「 初めまして、茉由の夫です。  ここで、外科の准教授をして           おります」 「 初めまして、高井と申します。  茉由さんの、上司にあたる者です。  これは、妻です。茉由さんの、元、  上司でもあります。私たちは、    茉由さんと同じ会社の者です」 高井は、 夫婦単位の挨拶で返した。 「 今回は人間ドックと、会社に  は届け出がございましたので、  私たちは、心配は、    しておりませんでしたが …  夫婦共に、茉由さんとは、  お仕事を一緒にしております  ので、お見舞いにと、思いまし  て顔を出させていただきました」 高井はどんな時でも動じない。 「 茉由さん、今日が、退院なんで  すね?なにか、お手伝いいたし  ましょうか?女手があった方が  善いのではと、夫から言われた  もので、くっ付いてきました。         大丈夫ですか?」 亜弥は、以前と同じように、 優しい気遣いを見せる。 夫は穏やかな表情の、ま、ま、 「 茉由の上司の方ですか?  お忙しいのに有難うございます。  ましてや、ご夫婦で来ていただ  くなんて、茉由は、お世話にな        りっぱなしですね 」 夫は恐縮しながら頭を掻いた。 こんな … しらじらしい、 社交辞令が 続いた後で、 夫は、急に話を変えた。 「 … そうそう、     確か、今回の茉由  の、検査入院の一日目にも、  貴方は、いらしてますよね、  病棟クラークに、記録が、  残っていました。とても、   部下想いでいらっしゃる 。  … 貴方は高井さんでしたか?   " 高井 … さん?”     あ~、この、ペンの、      " 高井さん " ですか?」 茉由の夫は、 白衣の胸ポケットから、 高井のボールペンを取り出した。 ペンは今、 高井と、 高井の妻の亜弥と、 茉由と、 茉由の夫の、 4人の、前に、ある。 「… これに、貴方の名が、   刻まれています、高井さん? 」 茉由の夫は、 高井に、 ペンを、 渡した。 いや、 返した。 「 あ ~ …   ありがとぅございます。      探して、いました。      何故? あなたが?」 高井は、とぼける。 「… はい、妻のドレッサーの、  引き出しの中にありましたが、  私が、探し物をしている時に、  偶然、見つけてしまいまして…  ほら、男性物でしたから、妻に  確認しようと、本日、自宅から  持ってきました。  私たち夫婦は、        すれ違いが多く…  御覧の通り、本日も、私は勤務  中ですから、茉由は一人で自宅  へ帰るのですからね、        持って来たのです」 「 … すれ違いが多いのですか …」 高井は、茉由の夫の言葉を、 一部だけ、繰り返した。 そして、何も、全く、困惑など せずに、サラッと、夫に言い返す。 「 そうでしたか、男性物のペンな  んて、ご自宅に在ったら …  御主人は、ご心配されますよね、     しかし、ご安心ください、  御覧の通り、私には、こんなに、  美しい、賢い妻がおりまして、  しかも、私たちは、結婚、した  ばかり。私が、よそ見をする        わけがありません。  こうして、本日も二人、揃って、  茉由さんの所へ来ているのです  から、    … なぁ? 亜弥?」     ― … カチャカチャカチャ    … カチャカチャカチャ       … カチャカチャカチャ 「 本当に …     眼障りな … 」 あの時は … 『 口が達者な者 』にいくら言っても 無駄、に、 なると思ったからこの男は黙っただけ、               だった。 … カチャカチャカチャ    … カチャカチャカチャ       … カチャカチャカチャ   『 … おい!    誰か! いないのか! 』        … カチャカチャカチャ    … カチャカチャカチャ       … カチャカチャカチャ これは、 八つ当たりしたくなって? typingも激しく、荒く … 自分が外に出したstaffにも 声を荒げる。 今日は、 こんなに忙しくなった … この男にとっては … それでも、 亜弥が訪ねてきてくれて、本当、に、 良かった。自分のやりたい事が簡単に、 一つ、      クリアできたから。 この男は、こうやって? 自分の為に茉由を護るのだから … 茉由の気持ちなど、 考えることなく、 茉由の職場での立場にも考えを 及ばさず、 自分が考えた方法で茉由を護る。 そう … 高井は、茉由が病と知ったら、 自分の欲を満たすため、だけ、に、 は、手を出さないだろうと考えた。 それに、 茉由の方は、戒めとして、さんざん、 手術を繰り返し、躰にその痕を残し てあるのだから、自分からは、その 身体を投げだすことはないと …            考えている。 この男は、これまでだって、 いろいろ手を尽くしてきた ― だから … 茉由に価値があるとしながらも、 茉由との結婚の時に、 茉由の方の名をのこさなかったの も、その名に目をつけて、よけい な者が茉由に近づかないように、 したかったからだし、 「茉由ちゃん!」「茉由ちゃん!」 と、いつまでも茉由にベッタリ、の、 義母も茉由と同様に世間知らずだが、 この男は、結婚後も、茉由が、 その環境に戸惑う事のない様に、 茉由の母親も受け入れ、 茉由の事は義母の好きなように させている。 そうして … 茉由が、 他に『居場所』ができない様にし、 家に帰ってくるのならば、 この男は、 安心して自分の仕事に集中できる。 それにこの男は、 茉由の『血』が好きなのだから、 たとえ、 茉由が自分の事をどう思おうが、 そんな事はどうでも善い。 その『血』が、とまることなく、 『自分だけが使える』様に、 自分の処にあれば良い。 他の者から汚される事が 無いように。 関西から戻った茉由には、 この男の考え通りに、もう、 逃げる処がなくなってしまった。 茉由は、 この男との結婚当時は? 実家から離れらえた事に、 ホッとしていたのだが、 今は分からない。 この男は、 自分のために、茉由の名を隠し、 経済的に余裕があるのに、茉由 の実家を守る事もしなかったし、 自分の考えで茉由に制裁を加える。 もしも、茉由の父が、まだ、 生きて居てくれたら … 茉由の実家はそのままで、いまも、 茉由は、 そこへ、逃げる事もできたし … 強い立場の茉由の父は、 娘をこんな目にあわせる、この 男の『事』を知ったら、 どうするだろう … この男との結婚後は、 なくした … 大きな実家や、 強い父に護られなくなった、 そんな茉由、 いま、茉由の知らないうちに、 茉由に関わる人たちは、 茉由のことで動いていく … 亜弥は、 この男から聞かされた話を、 高井に?伝えるのだろうか … この男の思い通りに … ― この男は、 desk で、ニヤケル … 「 … フッ         だろ …   面白くなりそうだ …      そう さ …   思い通りにはさせない …   アイツは僕のモノ …   だから … ゼッタイ …   誰にも … ヤツにも …   自由には、 させない … 」   … フッ させない …            さ … ― そう … けれど …  不可思議なのは … この男 … いったい、なぜ、ここまで … これほど?まで? するのは … なぜか … 必死 すぎで … 生き急いでいる様にも、感じて … これほど、茉由に ? 茉由なんかに ? なぜ、そこまで …  優秀なはずの、 この男は なぜ、ここまで? たかが、妻に … その、ために? こんなに? 画策して、いるの だろう … それは … この男 … 自分が 判ってはいなくて … 本当は … まぶしかった … 子供の頃から、憧れてた … 焦がれていた … そんな、茉由に … 茉由だから、なのか … この、執着心は … 単に … この男には、似合わない、 純粋な … 恋心、 から、 なの か … ― けれど不幸にも … この男には … この日から、そんなに … 長い時間は、残されて、は … 無かった … あの飛行機事故は … この日からスグ、だったから …
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