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◇◇
おばさまが会計を済ませてからお店を出たのは午後9時を過ぎていた。
お店の周囲は真っ暗だけど、私が来たのとは反対の方に灯りのついた道があって、すぐに人通りの多い道路に出られるのだそうだ。だから私と八尋さんはおばさまを楓庵のすぐ外まで見送るだけだった。
「ありがとう。あなたのおかげでレオちゃんに心から『さようなら』が言えたわ」
突然手を握ってきたおばさまに、私はブンブンと首を横に振った後、力強い口調で答えた。
「いえ、私は何もしてません。レオちゃんが最後までお客様を怪物から守ろうと頑張ってくれたからですよ!」
「ふふ。そうね。あの子が最後まで騎士でいてくれたおかげね」
「ええ、その通りです!」
あまりに自信たっぷりで言った私がおかしかったのか、クスリと笑みを漏らしたおばさまは、軽い足取りで森の方へ歩いていく。八尋さんの言う通り、柔らかい灯りで照らされた道がある。その道の入り口で立ち止まった彼女は、ゆっくりとこちらを振り返った。
「じゃあ、ごちそうさまでした。また来るわね……と言いたいところだけど、ここはペットと一緒じゃないとダメだったわよね?」
八尋さんが穏やかな笑顔で「いえ、お客様お一人でも結構でございますよ」と答えると、「ふふ。一人でくるつもりはないわ」と軽い口調で答えてから、彼女は会釈をして、道の奥へと消えていった。
きっと次に楓庵を訪ねてくる時は、夫と一緒にやってくるつもりなのだろう。
レオとの約束を守るために――。
おばさまがザクザクと木の枝を踏む音が暗闇の中に浮き上がるようにして耳に入る。その音が消え、ホーホーという鳥の声だけになったところで、八尋さんがどこか遠慮がちに問いかけてきた。
「さあ、店じまいとしよう。ところで美乃里さんはこれからも働けそうかな?」
心なしか眉が八の字になっている。
これまで起こったことを目の当たりにすれば、気味悪がって逃げ出してしまうのではないか――そう胸を痛めていたのかもしれない。
でも私はもう決めていたのだ。
この先もここで働かせてもらおう、と。
確かにとてもじゃないけど信じられないことばかりだ。
けどあのおばさまの笑顔を見た時に、大きな喜びと強い達成感で胸がいっぱいになったことは変えようのない事実だった。正直言って、そんな経験ができる仕事に、私は今までついたことがない。
それともうひとつ。
ここなら前に進めそうな気がしているのだ。
だから私は……。
「はい! よろしくお願いします!!」
ありったけの元気な声で返事をしたのだった。
第一幕 女装のナイト 【完】
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