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智也さんに飛びついたエトワールは、ちぎれんばかりに尻尾を振り、彼の顔をべろべろとなめ始めた。
「あはは! くすぐったいって!」
「だって私、寂しかったのよ! パパにずっと会えなくて!」
「あはは! ごめんよ! 俺もすごく寂しかったよ。だからこうして会えて嬉しい!」
智也さんとにどんな事情があったのか分からないけど、きっと彼が出張でもしている間にエトワールは亡くなってしまったのだろう。
……と、そこまで考えを巡らせたところで、一つの疑問にぶち当たった。
エトワールをここまで連れてきたのは智也さんの妹の瑞希さんだ。
確か1週間ほど前からエトワールを預かってるって言ってた。
でも楓庵にやってくるペットは霊魂のはずよね?
だったらエトワールが楓庵に来る前から姿をあらわしていたのはなぜかしら?
「美乃里さん、お水とメニューをお客様に出してくれるかな?」
「え? は、はい!」
八尋さんの声にはっと我に返った私は、智也さんにコップとメニューを差し出し、エトワールには水の入った陶器製の皿を床へ置いた。
興奮しすぎて喉が渇いたのか、エトワールはじゃぶじゃぶと水を飲んでいる。
その様子に穏やかな視線を向けていた智也さんは、しばらくしてからゆったりとした口調で注文を口にしたのだった。
「僕はホットコーヒーで、この子には米粉のパンケーキをお願いします」
私は「はい!」と返事をして、カウンターの方へ戻った。
八尋さんはキッチンの方へ消えていき、私はカウンターの中でコーヒーを淹れはじめる。ソラはいつも通りに隅の席でマンガを読みふけっていた。
「ねえ、パパ。私を置いてどこに行ってたの? 私、ずっと待ってたのよ!」
「ごめんよ。ちょっと遠くにいたんだ。留守にしている間、お利口にしてたか?」
「もちろんよ!」
「瑞希を困らせたりしてなかったか?」
「だからしつこいって! 私、ちゃんと瑞希の言うことを聞いていたわ!」
私は抽出中のコーヒーメーカーからちょっとだけ目を離してエトワールを見た。
エトワールもちらりと私の方を見て目を合わせてくる。
「お願いだから、さっきのことは内緒ね!」ってことよね。
「分かってるって」とウィンクで返した私を見て安心したのか、エトワールは智也さんの胸に、顔をぐりぐりと押し付けて甘えている。
智也さんはエトワールの頭を優しくなでながら、穏やかな口調で続けた。
「なあ、エトワール。俺たちは家族だよな?」
エトワールは「聞くまでもないでしょ?」と言わんばかりに、智也さんの頬をペロリとなめた。智也さんは目を細めて、エトワールを少しだけ離した。
「瑞希も俺の大切な家族だ。分かるね」
エトワールはふいっと顔をそむけた。
「俺が12歳の時に母さんが、そして今から3年前に親父が死んでからは、人間では瑞希だけが俺の家族なんだよ」
「それが何よ?」
不機嫌そうなエトワールの声。少しだけ重い空気が彼らの間に流れる。
「持っていってくれるかな?」と八尋さんが私に耳打ちしたので、私は出来立ての米粉のパンケーキとホットコーヒーを智也さんの前に置いた。
「お待たせしました!」
「ありがとう。ところでお会計のことなんですが……」
眉をひそめて言いづらそうにしている智也さんの言葉をさえぎるように、「既に妹さんから頂戴しておりますので、ご安心ください」と私はにこやかに答える。
でも智也さんはカフェ代を渋るような感じには見えないんだけどなぁ……。
「そうでしたか。それは良かった。妹に会ったらお礼を伝えてくれますか」
自分で言えばいいのに……。
そう不思議に思っていると、ソラの視線が痛いほど突き刺さる。
「他人の事情に首を突っ込むんじゃねえぞ」ということだろう。
そうよね。今は智也さんとエトワールだけの貴重な時間なんですもの。
私が変に乱すのは野暮だ――そう思い直した私はぺこりと頭を下げた。
「ええ、引き続きごゆっくりお楽しみください!」
再びと時がゆっくり流れ始める楓庵。
午後5時半を回った頃。パンケーキをペロリと平らげたエトワールは、ウトウトと眠そうに智也さんの足元で丸くなっている。
智也さんは彼女の黄金色の毛並みを優しくなでながら、口を開いた。
それは他人の私でも驚くべき内容だった。
「エトワール。これからは瑞希の家族の一員になるんだ。いいね?」
その言葉を耳にした瞬間。
私はすべてを察したのだった――。
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