第一幕 女装のナイト

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 カップに口をつける直前で手を止めて、ソラに視線を移したおばさまに対して、彼は険しい表情のまま続けた。 「あんたはレオを守っていたつもりかもしれねえけどよ。レオだってあんたを守ってたんだぜ」 「どういうこと……?」  言葉が出てこないおばさまに代わって問いかけた私に対し、ソラは口を尖らせて答えた。 「へんっ! そんなの見ていればすぐ分かったぜ。美乃里が近づこうとしたら鋭い眼光を飛ばしたり、今だってあんたの膝の上から周囲に気を払ってる。なあ、レオ。そうなんだろ? 遠慮なんてすんな。最後なんだからはっきり言っていいんだぜ」  レオはソラの方へ顔を向けて小さくうなずいた。 「うん……。僕、パパと約束したから……」  おばさまの膝の上でお座りをしたレオ。顔だけをおばさまに向ける。  そしておばさまが「どんな約束をしたの?」と、震える声でたずねると、はっきりした口調で語り始めたのだった。 「僕がママとパパの子になる前は、ママはずっとおうちで泣きっぱなしだったんだ。パパはね、そんなママを見て申し訳なくて仕方なかった。そして僕を見つけてくれた時に、こう言ったんだ。『ママの騎士(ナイト)になって、ママを守ってくれ』って」 「私の騎士(ナイト)……」 「ママは本当はすごく強い人だけど、今は『哀しみ』って怪物に襲われているんだ。そんなママが自分で笑えるようになるまで、ママを守ってほしい。どうやらパパではダメみたいなんだ。だから君の力を貸してくれ――パパは僕を抱きかかえながら、そう言ったんだよ」    おばさまとレオが視線を交わす。  レオはとても落ち着いた口調で続けた。 「僕ね。ママを怪物から守ろうって一生懸命頑張ったんだよ。ねえ、ママ。僕はママを守れたかな?」 「うくっ……。ううっ……」  おばさまが再び嗚咽をもらす。でもその涙は悲嘆にくれた冷たいものではなく、愛と慈しみに溢れた温かいものだった。  八尋さんが空になっていたコップに水をそそぐ。昂った気持ちを落ち着かせるように、おばさまはそれを一口飲んで呼吸を整えてから口を開いた。 「うん、だってレオちゃんは引きこもりがちだったママをお散歩やカフェに連れ出してくれたじゃない。ずっと泣いていたママをいつも笑顔にしてくれたじゃない。あなたは立派な騎士(ナイト)様よ」  レオは嬉しそうに口角を上げて、舌を出した。 「なら、よかった! ねえ、ママ。頑張ったご褒美に、僕と2つだけ約束してくれないかな?」 「約束? ええ……」  おばさまが返事したところで、少しだけ間をあけるレオ。その姿は儚げな小型犬ではなく、私には屈強で忠実な騎士に見えたの。 「1つめは、僕に『ごめんね』って言わないで。僕はね、ママのことが大好きなんだ。ママが喜べば、僕も嬉しかった。だから僕に対するすべてのことに後悔なんてしないでほしいんだ。きっと僕のお姉ちゃん……愛海ちゃんも同じだと思う。だから僕と愛海ちゃんにもう『ごめんね』は言わないで」  おばさまの瞳に涙はなく、あるのは柔らかな光。  その光はどんな哀しみにも負けない強さを象徴しているように、私には思えた。  彼女は何の迷いもなく、首を縦に振った。 「うん、約束するわ」  レオはおばさまの膝の上からピョンと跳ねて、ソラの横に立った。 「もう一つはね、パパともっと仲良くしてほしいんだ。僕はママとパパとお出かけするのも、写真をとるのも、美味しいご飯を食べに行くのも、全部、全部、大好きだったの。僕は二人の子でいられたことが、本当に幸せだったんだ。僕は二人が仲良くしてくれれば、とても安心できるんだ」  おばさまはこの日一番の笑顔になると、大きくうなずいた。 「うん。分かったわ」  レオも口角を上げて、嬉しそうに尻尾を振る。 「さようなら、レオちゃん」 「さよなら、ママ」  レオがそう言った後、最後の一口を飲み干したおばさま。  それを見届けたレオは、ソラに連れられてドアの向こう側へと消えていったのだった。  
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