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行きつけの汚い居酒屋に若い男がいる。
そいつは相当酔っぱらっているのかグラスを握ったまま眠りこけている。
「……おい、目ぇ開けろ」
と俺は体をゆすった。
青年はもにょもにょと何か言うが、起きる気配は一切ない。
「店長。コイツの家、知ってる?」
いかつい顔をした店長は無言で首を振った。
「仕方ねぇな」
俺は青年の横に座り、いつものように枝豆を注文し、安酒をあおった。
グラスを三回空けた頃、隣の青年がもぞもぞと動き始めた。
「起きたか。金払って、もう帰れ」
「なんで俺をふったんだよ……」
「あ?」
「悪いところは全部なおすから……」
「……」
「俺を捨てないでくれ」
青年は眠りながら涙を流し始める
男が握っていたグラスが傾き、中身のテキーラがテーブルに広がり始める。
「一人はもう嫌なんだ……」
面倒だ。
「店長、お勘定」
俺はアルコール臭い青年を見下ろした。
「ついでにコイツの分も」
俺は男に肩を回し家路をたどる。目的地は青年の家だった。
こいつの住所を知るために身分証を確認したところ、どうやら有名私立大学のお坊ちゃんらしかった。
「おら、ちゃんと歩けよ」
青年は足がもつれて上手く歩けていない。
「ははは……、恋人がほしいなぁ」
まだ酔っているのか、目が虚ろだ。発音もふわふわしている。きっとこいつは今の自分の状態が分かっていない。
「さっさと新しい彼女でも見つけるんだな」
「もうこの際、誰でもいい」
酔っ払いと目が合う。
「あんたでもいいよ」
酒でとろけた目には活力がない。
「お前ノンケだろ」
「別にどうでもいい。自分がどうなろうが興味ない。もう何でもいいよ。どこで野垂れ死のうが、もうどうだっていい」
矢継ぎ早にそう言い放つ。
面倒臭い。
「そうかよ。死なないように、せいぜい頑張れよ」
学生証に示された住所にたどり着くと、そこには簡素なアパートが建っていた。
「おら、お前の家についたぞ。自力で入れるな?」
「かぎ、ない」
「はぁ?」
「もう終わりだ」
青年は頭を抱え始めた。アルコール臭のする溜息をついた。
めんどくせぇ。
「俺の家に来るか」
「…………」
青年は俺を見上げる。何も考えられないような無垢な表情で。
「いいよ。めちゃくちゃに壊してくれるなら」
青年は濁った眼でそう答えた。
朝、地下室からガンガンと大きな音が聞こえ、俺はコーヒーとスマホを片手に地下室の扉を開いた。
地下室にはダブルベットが一つ置いてあり、その上に青年が寝かされていた。
「やっと目が覚めたのか」
俺はコーヒーを青年に手渡すところで気が付いた。
「ああ、それじゃあ手は使えないよな」
青年の手首には手錠がはめられており、そこから伸びた鎖はベッドの足に繋がっている。
鎖の長さからして上体を起こすのも難しそうだ。半強制的にベッドにうつぶせにされた青年は忌々し気に顔を上げた。
「手のコレ、あんたのせい?」
「そんなことより喉が渇いたろ? さっき、手錠を外そうとむやみに暴れてたよな?」
俺はコーヒーを口に含むと青年の顎をすくい口移しをした。すぐに青年は吐き出す。コンクリートの床に黒い液体が飛び散った。
「あんた何なの。こんな格好させて変態かよ!」
青年は怒り出し、まくし立てた。
「あんたは誰なんだよ! 大体ここはどこだよ!」
「ここは俺の家だ」
「なんでこんなこと」
「お前が望んだことだろ?」
「はぁ? そんな訳――」
「それに、誘ってきたのはお前だ」
「……男なんて興味ない」
「だろうな。この前、女に振られたんだもんな?」
「…………」
青年は大きくため息をつき、枕に突っ伏した。
俺はベッドに横たわる青年の身体を眺めた。日焼けしてない白い身体はボクサーパンツしか身につけていない。
「未練を断ち切るのを手伝ってやろうか」
「は? それってどういう意味」
俺は持ってきたスマホを青年に見せた。画面を見た瞬間青年は青ざめた。スマホから発信音が聞こえ始める。
続いて女の声で、
『もしもし? どうかした?』
「え……」
昔の恋人の登場に青年はたじろいだ。
うろたえる青年の耳元で俺はささやいた。
「今から俺の言うとおりにしろ」
俺は興奮を抑えながら青年に命令する。
「いいか、電話の女とは普通に会話をするんだ。何か不審に思われそうな声を出すたびに焼きを入れるからな」
「……本当にあんたってやつは趣味が悪い」
『もしもーし?』
電話口から聞こえる女の声に青年は慌てて対応した。
「あ、ごめんね。なんか電波が悪いみたいなんだよね」
『ああ、そうなんだ。全然いいよー。それよりどうかしたの?』
「それがちょっと……問題が起こって」
俺は青年の白い背中に手を這わせた。
青年は俺に触れられた瞬間、大げさに身体をびくつかせた。
背中の筋をつー、と指でなぞり、棘突起を超え、尾骶骨にたどりついた。
自然と青年の息が張り詰める。
「彼女はどんな人なんだ?」
「……君は優しかったよね。だから、お願いがあるんだ」
『うん? お願いって?』
俺は青年の尻に手を這わせた。
「ヒッ」
青年の小さな悲鳴を認めると俺はベッド下から鞭を取り出した。
青年が目を丸くしてこちらを見ている。
柄の先から一本の鞭になっているそれを俺はわざとらしく床に振り下ろした。
コンクリートでできた部屋中にパァンという打撃音が響いた。
「警察を呼ん――」
俺は青年の尻に鞭を振るった。
「ッア!」
鞭がしなって、目の前の青年がみっともない声で鳴く。
俺はもう一度振り下ろす。
今度は枕を噛んで何とか声が出ないように耐えた。
「クッソ! こんなことして何が楽しいんだよ!」
青年は威勢よく吠える。その口に、俺は鞭のグリップを突っ込んだ。
「いいか、よく聞け。めちゃくちゃに壊せって言ってきたのはお前だ。今後は、どんだけ酔っぱらっていようが頼る相手をちゃんと見極めるんだな」
覚えておけ、と俺は付け加え、グリップを引き抜いた。
「……俺はノンケだ」
「関係ない」
呆気にとられる青年をよそに、俺は鞭の柄で青年のボディラインをなぞり、睾丸を持ち上げた。
耳元で低く囁く。
「全部作り変えてやる」
「……このド腐れ変態野郎」
蚊の鳴くような小さな声も俺は見逃さなかった。
俺は青年の首を絞めた。
喉から空気が抜ける音がする。
青年の顔は青くなり、身体はのたうち回った。
生理的な涙が浮かんでくるところを見ると俺は手を離した。
青年は激しく咳込んだ。
『ねぇ、さっきから変な音が聞こえるんだけど大丈夫なの?』
「……大丈夫だよ」
青年の弱々しい声。
荒い呼吸をし、上下する背中。
そこに俺は鞭を振り下ろした。
「ウッ」
肺に入っていた空気が吐き出される。
『何してるの?』
「…………」
今度は青年の顔を思いっきり柄で殴った。
骨と骨が当たる衝撃があった。
青年の頬が赤く腫れる。
青年はその後、冷静を装って元恋人となんとか電話をつづけていた。
なんてことのない話をつづける青年を俺は彼女に不審がられる度に容赦なく鞭で叩いた。
十五分も電話をつづける頃には青年の白い背中には無数のミミズ腫れができていた。
「もうやめるか?」
ゼイゼイと肩で息をしていた青年が恐る恐る振り向き、ぎこちなくうなずいた。
この青年を見ていると嗜虐心が湧いてくる。
俺は携帯電話を指さして、
「じゃあ女に『俺はもう男じゃないと満足できない身体になってしまいました、別れてくれてありがとう』って伝えないとな」
青年はもう限界だったのだろう。躊躇いもなく昔の恋人に男の台詞を口にした。
『……キミ、変だよ。どうしちゃったの。そんな人だとは思わなかった』
女がすすり泣く声が聞こえる。
俺は泣いている女をどう青年が宥めるのかニヤニヤしながら見ていた。
「もう切ってくれ、限界だ」
青年が喉から振り絞るように言った。
俺は「可哀そうに」と言い電話を切った。
「もう嫌だ……なんでこんな……」
俺は青年の顔を掴んでこちらに向かせた。
「お前がめちゃくちゃに壊してくれって言っていたからな」
慄く青年の顔を見て俺は笑った。
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