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黙ったままの彼に「気なんて遣ってません。本当に、すごく嬉しくて」と畳み掛けると、「知り合い、そこにいるんだろう?恥ずかしくないのか」と照れたような声が返ってきた。
わたしの右横に立ってスマホをいじっている隆平を見遣ると、不貞腐れたように「なんで見せつけてくるんだよ」と呟いている。ああ、完璧に存在を忘れていた。とにかく、桐島係長に誤解されたくない一心で。
「……あの、明日の夜に」
「わかった。待ってるよ」
昼過ぎにはマンションに戻ってるから、何時でもいいぞ。心なしか、彼の声がさっきよりも弾んでいる気がする。またメッセージ送りますね、と言って、渋々電話を切った。
「やっと終わった?麻紀って、あんなにしおらしい声出せるんだな」
隆平はポケットにスマホをしまうと、「おまえも休憩所で甘酒もらおうと思ってたんだろ」とわたしの肩を抱いてきた。腹の底から嫌悪感が湧いてきて、「だから、触らないでってば!」とその手を思い切り跳ね除ける。
「気が強いのも相変わらずだな。やっぱり麻紀は、俺がいままで出会った中で一番いい女だ」
手を叩かれたことなどちっとも堪えていない様子で隆平が微笑む。この笑顔、みんなに「天使みたい」って言われていたっけ。中身は、天使どころか悪魔のようなものだというのに。
こんな寒い中、いつまで突っ立ってるつもりなんだよ。奴はわたしの腕をもう一度掴むと、顔に似合わない力でぐいぐいと引っ張ってきた。今度は容易に振り解けず、仕方なく足を進める。
「せっかくだから少し話そうぜ。おまえもいま、札幌にいるんだろ?」
休憩所の引き戸を開けながら奴が振り向いた。中の明かりがその無駄に可愛らしい顔を照らして、癒えていたはずの傷がじわじわと開いていくのを感じる。
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