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「どうしても離したくないんだ。麻紀と一緒に生きていくって決めたから。……俺には、麻紀しかいない」
巧がわたしの言葉を補うように呟いた。お父さんが深くため息をついて、「一緒に生きていく、か……」と視線を下げる。
「おまえはいつもそうだな。決断までには相当時間を掛けるくせに、こうと決めたら行動が早い。大学進学も、就職も、転職も、いつもそうだ。俺と母さんにはほとんど事後報告だろう」
「……ごめん」
「麻紀さん、正直言うとね。巧が誰かと一緒に生きていきたいと言い出す日が来るなんて、想像もしていなかったんだ」
そうね、とお母さんが相槌を打つ。彼の過去──婚約破棄の件について思い出しているのかもしれない。
「今回の結婚の話を初めて聞いたとき、信じられない気持ちでいっぱいだった。もういい歳の息子なんだけどね、親としては心配でたまらないんだ」
「……はい」
「お相手はどんな女性なのか、どんなお付き合いをしているのか、もしものことがあったりはしないか──今日麻紀さんに会うまで、バカみたいに何度も考えていたんです。でも」
巧の顔がね、同じなんだよ。大切なことを決断して突き進むときと。お父さんの穏やかな声は、やっぱり巧にそっくりだ。さっきまで明るく笑っていたお母さんの目元が微かに光っている。
「離したくない、この人しかいない、なんて……巧の口から初めて聞きました。そんな人と出会えたというのは親としては喜ばしいし、ほっとすべきところなんだろうけど……不思議な気持ちだな、母さん」
「そうよ。実家にも全然帰ってこないからなにやってるんだか、って思ってたけど、いつの間にかこんなにしっかりした綺麗なお嫁さん捕まえて。麻紀さん、どんどん尻に敷いてやってくださいね」
お母さんの言葉に大きく頷くと、「俺のほうが歳上だろう。上司だし」と彼が不満そうな表情を浮かべた。「元上司、でしょ。それにいまは時間外だから」「減らず口め」──わたしたちのやり取りを眺めながら、ご両親が「仲良しだな」「本当ね」と微笑む。
「こう見えて、不器用なところも至らないところも多い息子です。どうかよろしくお願いします」
温かい眼差しに涙が零れそうになり、慌てて指で拭う。「こちらこそ、よろしくお願いします」──手は、最後まで握られたままだった。
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